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大和郡山城1585年(天正13年)、大和郡山城に入った豊臣秀長は、多武峯の僧徒に対して武器の提出を命じ、郡山城下に寺を移す政策をとります。多武峯(とうのみね)は、645年(皇極天皇4年)の大化の改新で中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が蘇我入鹿の暗殺を計画したという地。669年(天智天皇8年)に没した鎌足は、摂津国阿威山に葬られますが、のちに多武峯に改葬され、妙楽寺が建立されたのだと伝えられています。701年(大宝元年)には、鎌足の木像(大織冠霊像)を祀る聖霊院が建立され、
気都和既神社(きつわきじんじゃ・けつわきじんじゃ)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村大字上字茂古の森172(社前道路に停め置き可)■延喜式神名帳氣都和既神社の比定社■旧社格村社■祭神気都和既命[合祀]天児屋根命「飛鳥川」支流の「冬野川」上流左岸の谷地、「上(かむら)」に鎮座する社。◎「冬野川」はかつて「細川」と称されました。多武峰妙楽寺(現在は談山神社)の「西山門」へは、わずか東方1km。当ブログに於いて飛鳥坐神社の旧社地と考えている加夜奈留美命神社は、北西1kmの山中