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「大化の改新のクーデター」の的(まと)は、権勢を極めた蘇我入鹿でした。朝鮮三国(高句麗・百済・新羅)からの使節を迎える儀式が行なれる宮中で刺殺されました。鎌足は佐伯子麻呂(さえきのこまろ)と葛城稚犬養網田(かつらぎのわかいぬかいのあみた)を刺客に仕立てますが、鎌足自身は当日、柱の陰に身を寄せ、いざという時のために弓で狙いを定めていただけ。刺客となった二名も怖気づき、先に飛び出した中大兄皇子(のちの天智天皇)に釣られる形で入鹿に襲いかかりました。こうみてきますと、
藤原鎌足(中臣鎌子)は、NHK大河ドラマ『光る君へ』で藤原道長の時代に栄える摂関家の祖といわれます。中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに大化の改新のクーデター(645年)を成し遂げ、朝廷の政治を有力豪族の蘇我氏から天皇家に取り戻した忠臣という扱いで紹介されることが多い人物です。ところが、そのクーデターの4年後の大化5年(649)、『常陸国風土記』に「大乙上(だいいつじょう)中臣□子」とあり、□の部分に「鎌」の字を入れると、クーデターの4年後に鎌足は、平安時代の制度でいう「正八位
藤原鎌足誕生の地に寄ってみました!飛鳥の地~ほんと色々歴史を感じるわ(笑)
二百円札の藤原鎌足新紙幣が2024年に発行されることになって、お札談義に花が咲きます。「そういえば福沢諭吉の前ってだれやったっけ」「2000円札はだれや」。自分も含めて、けっこう間違える。これだけお世話になっていながら、よく見ていない、よく覚えていないのがお札です。お札といって誰を思い浮かべますか。私の場合、今も聖徳太子です。「紙幣界」のカリスマである聖徳太子は、100円、1000円、5000円、10000円の「4冠」を達成しています。100円は1930年が最初で、
阿武山古墳封印事件藤原鎌足といえば中大兄王子と蘇我入鹿🐬を宮中で誅殺したクーデター(乙巳の変)の首謀者として有名な歴史上の重要人物の1人だが、その鎌足の墓の存在はあまり知られていない。いや、知らされていないと言ったほうが正解かもしれない。墓が発見されたのは、1934年(昭和9年)京都大学地震観測所の工事の際に偶然見つかった。墓には数々の貴重な遺品と、骨・肉・毛髪が残る成人男性の完全なミイラが埋葬されていた。その出立ちから当時の権力者であり、相当高貴な人物と思われる。発掘時は世紀の大発見!
8月最後の31日、まだまだ暑いのは承知の上、奈良県天理市に!石上神宮その後天皇陵を2つ巡り桜井市に。ランチは山奥の蕎麦屋さん笠そば処笠山荒神社天皇陵巡り第10代、崇神天皇陵第12代、景行天皇陵第34代、舒明天皇陵第32代、崇峻天皇陵この日最後の目的地は、コロナの影響で秘仏の公開が8月31日まで延長された【談山神社】に談山神社①では談山神社の名物「十三重の塔」!これですね~感動の瞬間父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等によって西暦678年に建立。