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【私は歴史研究家ではありませんので、記載の情報には誤りが含まれる可能性もあります。ご容赦くださいませ】皆様、こんにちは。今日は書きたいお題が幾つかありまして💦迷った末、コチラにしました。大河ドラマ「べらぼう」関連の話題です。横浜流星さん演ずる主人公の蔦屋重三郎こと「蔦重」。回を追うごとに、大店の主人としての風格も漂い始めましたね~。私はその昔は日本の江戸時代を舞台にした作品を数多く手がけておりましたが
レビュー一覧1~5回6~10回11~15回16~20回21~25回26~30回31~35回36~40回41~45回キャスト一覧『べらぼうキャスト一覧2025年』大河ドラマ「べらぼう」キャスト一覧ドラマ視聴のための参考です。更に詳細はコチラキャスト蔦屋と駿河屋蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)横浜流星駿河屋市右衛門…ameblo.jp2分ダイジェスト46回47回48回美術館ナビ46回47回48回感想ドラマも終盤を迎え、劇的な展開に。写楽が源
赤良こと19歳の御家人大田直次郎初の📖『寝惚先生文集』に平賀源内の序文✍️天明期を代表する文人で幕府官僚でありながら文筆方面でも高い名声を持ち、中でも狂歌で知られ、山崎郷助(朱楽菅江)、小島源之助(唐衣橘州)と共に『狂歌三大家』と並び称された蜀山人・大田南畝が19歳の時、未だ幕府官僚になるずぅ~と前、大田直次郎と称していた頃に出版した初の著書📖『寝惚先生文集』に平賀源内が序文を書いたワケなんすけどね☝️簡単に判り易く言えば、『坂道グループの個人写真集』に帯びコメントを書く秋元康のよう
大河ドラマ「べらぼう」最終回ナレーターでお稲荷さんの綾瀬はるかさんが最後華を添えました。冒頭は逃げた治済が雷に打たれて落命生きることは許さない森下脚本でありました。そこに源内の影?瀬川らしき後ろ姿もあって、最終回らしさ演出ある中、、治済のそっくりさん斎藤十郎兵衛の登場シーンもあった事の種明かしもありの中、写楽の正体説も盛り込む森下脚本の上手さがありましたね👏。馬琴には「八犬伝」一九には「東海道中膝栗毛」蔦重がヒントを与える場面もありました。ここはもうちょい詳しくやって欲しかっ
ドラマでは、わずか10か月で消えた謎の浮世絵師東洲斎写楽の正体は、瀬川と、蔦屋重三郎の子どもだった、という設定になっているようである。果たして本当に写楽が、瀬川と蔦重の子であったのかどうかを、詳しく見ていこう。東洲斎写楽は、活動期間が寛政6年5月から翌年正月までのわずか約10か月間だけ、という蔦屋専属の謎の浮世絵師である。写楽は主に浮世絵の役者絵、歌舞伎役者の肖像画を制作し、代表作には「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」などがある。彼の浮世絵の特徴は、リアルで大胆なうえに、個性を鋭くとらえ
ほとんど感想書いてなかったですが見てました!「べらぼう」最終話ネタバレしてます。大河の最終話といえば、主人公が亡くなるのが定番なので、蔦重(横浜流星)ともお別れかーと寂しい気持ちで見てましたがまずは島流しになった一橋治済(生田斗真)が、移動中にしぶとく逃亡するも、雷に打たれて絶命してしまいましたまさに天罰。生田斗真、悪役が板についちゃって、他の役が回ってこないんじゃないかと心配です蔦重は精力的に仕事をしますが、突然立てなくなり脚気を患っていることが判明当時の脚気は
【山東京伝(さんとうきょうでん)】/古川雄大宝暦十一年~文化十三年(1761-1816)江戸は深川の質屋の子として誕生。本名・岩瀬醒(いわせさむる)、通称を伝蔵。安永三年頃、14歳で浮世絵師・北尾重政に弟子入りし北尾政演(きたおまさのぶ)と名乗る。同七年(1778)黄表紙📖『開帳利益札遊合(かいちょうりやくのめくりあい)』で戯作者デビュー。蔦重を初期から支えてきた北尾重政の弟子という事で、蔦屋の仕事には比較的早い時期から関わってきた。同九年(1780)、蔦重が初めて黄表紙を刊行した📖『夜野
大河ドラマ「べらぼう」第20回「寝惚(ぼ)けて候」の感想の続きです。この日、蔦重は南畝先生の招きで狂歌の会にやってきておりました。蔦重は次郎兵衛と参加していた。蔦重:「和歌は和歌の言葉「雅語」を使わなきゃいけねえけど、狂歌はふだん俺らが話す言葉でよんでいいらしいです。」元木網:「会主の元木網(もとのもくあみ)にございます。」お題は「鰻に寄する恋」詠んだのは朱楽菅江(あけらかんこう)先生役