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こんにちは。本日は、兵庫県K.T様の装着写真をご紹介したいと思います。今回は日本海軍伝声管(送話口・受話口)の待機中の装着姿を再現してくださいました。~教官と練習生~練習生が休息されておられます。教官が空戦模型を使って教えているようです。九三式中間練習機に乗り、教官は後ろ、練習生は前に、操縦席は前も後ろもあり、教官が後ろから伝声管(送話口)を使って指示を出している。練習生も伝声管(送話口)を使って、返事をしているようです。
前回の続き、大刀洗平和記念館に訪れた話です。前回は、映画「ゴジラ-1.0」からのつながりで、局地戦闘機「震電」を取り上げました。帝国海軍・一八試局地戦闘機「震電」のレプリカ大正8年、南方および大陸への中継地点として、九州・太刀洗の42万坪の土地に延長500m、幅200mの2本の滑走路と付帯する施設が建設され、帝国陸軍・航空第四中隊(後に大隊に昇格)が設置され、大刀洗飛行場が整備されます。大正時代の大刀洗飛行場(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館常設展示案内」筑前町、20
こんにちは。本日は、前回に引き続き伝声管の装着した状態を陸海軍で見ていきたいと思います。海軍伝声管(受話口と送話口)海軍飛行帽前期型に装着した伝声管(受話口と送話口)待機中はこのように、受話口のホースを頭(飛行帽)に巻きつけ眼鏡バンドにはさめている搭乗員もおられました。こちらは受話口を送話口の穴に差し込んで、一緒に首にかけておられます。この場合、ホースは外しておられるようです。再現したところ。こちらは送話口の
こんにちは。兵庫県加西市にあるsoraかさい(鶉野ミュージアム)に行ってきました。私の友人でもある坂本氏(坂本大尉)とのご縁もありこの度、訪問することができました。スタッフ方との交流や写真撮影をしてきました。装備類についても見ていきたいと思います。soraかさい館内には戦闘機「紫電改(しでんかい)」や、「九七式艦上攻撃機」の大型模型、当時の様子を写す貴重な資料が展示されています。戦闘機「紫電改」坂本氏日本海軍後期型冬用飛行帽(ビンテ
今から35年前の8/12…日航の123便が御巣鷹山に墜落しました。今でも鮮明に記憶している事が…丁度〜その時の夕方〜実家に用事があり玄関先で父親と話しをしていました…急に親父があの飛行機は変だと言いだして、ふと空を見上げると1機の旅客機が北東の方角に飛んでいました…機首上げた格好て真っ直ぐに、まるで上昇しているように…上に上に…そんな風に見えました!確かにこんなところを飛んでる飛行機は初めて見ました。親父は戦時中に航空隊に所属していて3回も撃墜されても生きて帰って来た人なのです…彼、曰く
こんにちは。本日は、アメリカテキサス州P.M様からオーダーいただいた、初期の前期型飛行帽や装備類(記録盤とマフラー)をご紹介したいと思います。Hello.TodaywewouldliketointroducetheIJNearlytypeflighthelmetsandequipmentorderebyMrP.M.fromTexas,USA.日本海軍初期前期型冬用飛行帽IJNEarlyWinterFlightHe
今回は搭乗員軍装コレクションの中から「飛行眼鏡」をご紹介します。飛行眼鏡と言えば航空隊搭乗員の三種の神器の一つですね。上の画像は山本製の飛行眼鏡です。山本製の山本とは、現在の「山本光学株式会社」さんのことです。現在ではSWANSというブランドを展開され、様々なジャンルで愛用されているサングラス&ゴーグルのメーカーです。皆さんの中でも愛用されている方が沢山おられると思います。山本製作所について航空隊搭乗員、三種の神器のひとつとも言える飛行眼鏡。通な呼び名として
こんにちは。本日は、岡山県H.O様よりオーダーいただきました、日本海軍初期冬用飛行帽をご紹介いたします。~完成品~●表・・・山羊革(焦げ茶色)●裏・・・兎毛(赤茶色)●サイズ・・・60cmこのタイプは初期の前期型冬用飛行帽でベテランパイロットなどが被っておられ、終戦まで使用されていたものです。特徴は、鼻口あてとそれを付けるための頬部のホック(冬用は縦付け)、顎バンドの顎部に毛付き、周囲のパイピングなどがあります。ちなみに今回はパイピングを施しているタイプで
こんにちは。本日は、新作の記録盤をご紹介いたします。全てアルミ金属で製作いたしました。今回まとめて製作のご依頼をいただきました。本当にありがとうございました。それでは見ていきましょう。今回はこの4タイプの記録盤を製作いたしました。まずは①と②をご紹介いたします。長野県のH.M様の依頼品①東京都のY.K様の依頼品①埼玉県のS.I様の依頼品①このタイプの記録盤が人気のようです。細部も見ていきましょう。①バンド
本日は、日本陸軍の電熱線航空頭巾をご紹介したいと思います。被服本廠、昭和17年製●表側・・・山羊革●裏面・・・兎毛右側の耳垂れは顎部分に当たるように長く裁断されており、丸見がつくようにタックが2本入っています。高高度用で飛行帽の中にコードが張り巡らされています。陸軍飛行帽のなかでも特に裁断が複雑でたくさんのパーツがあります。当時の資料によると、値段も当時の定額25円6銭(通常の飛行帽は10円40銭)と高価なものでした。顎部分を上手い具合に包み込むよう
機体の組み立てが順調に進み、完成への道筋が見えてきた愛機の零戦五二型。エンジンの積み込み手前の工程まで辿り着きました。ところが・・・主翼を眺めていて、あの部品が気になりました。それは、「補助翼(エルロン)の操作ロッド」【第九十二話】移動風防開閉装置を造るでレバーだと思い込んでいた部品です。『【第九十二話】移動風防開閉装置を造る』風防の開閉装置がない?水転写デカールの密着作業を進めながら気づきました。風防の開閉レバーを取り付ける凹みがない?零戦の風防には開閉のため
今回は「日本海軍航空隊飛行服(搭乗員)」です。撮影にはカポック[救命胴衣]と縛帯[パラシュート用ベルト]も装備してみました。一応フル装備の装いです。縛帯をトルソー(マネキン)相手に着せるのは意外と手間でした。使い込んでないのでベルトが硬い・・・。慣れが必要であります。(笑)自分で着る方が楽です。では順番に見ていきましょう。▲三種略帽と飛行服の組み合わせ防暑衣とは打って変わって緊迫した感じが漂います。なんだか鳥肌。(笑)この組み合わせ、かなり気に入ってます!
こんにちは。本日は、当時の写真で見かけた、裏毛を整えている飛行帽を再現してみましたのでご紹介したいと思います。当時の写真です。搭乗員の後ろ姿をよく見ますと毛付きの飛行帽を被られていますが、飛行帽から毛が見えていません。ですが、右下の御方が跳ね上げておられる為、毛が覗いてみえます。初期型の飛行帽はただでさえ丁寧な凝った作りだと感じていましたが、このように毛まで綺麗に整えられていることに感心いたしました。そこで今回は写真の初期の前期型冬用飛行帽を再現いたしました。
海軍弁当箱について海軍めし番外編です。航空隊で使われていた弁当箱について、質問を頂きましたのでネタにしてみました。ブログ記事の「海軍めし其の2食」で使っていた弁当箱は、当時に実際使われていた実物です。今回はこの弁当箱について少しだけ掘り下げてみようと思います。小生は専門家でも軍備通でもありません。物好きで収集している素人なので弁当箱に関する詳しい知識を持ち合わせていません。あしからず(^^;)あちこちで集めた情報と手持ちのモノを見ながらの遣やっ付け記事になりますが、興味
こんにちは。本日は新作の日本陸軍飛行帽をご紹介いたします。こちらです。耳カバーが日本海軍の前期型飛行帽によく似ています。片耳レシーバーを装着しています。訓練前の教育事項の指示が終わり、「訓練飛行開始」により挙手の敬礼でパイロットが搭乗した2式単座戦闘機Ⅱ型甲が訓練飛行区域へと飛び立つところ。こちらの訓練学生は今回ご紹介の飛行帽を被っておられ、左耳にだけレシーバーがみえます。推測ですが、いかなる状況にも柔軟に対応
海軍めし第1回目は「戦艦大和最後の昼食」です。今から76年前の昭和20年4月7日、日本屈指の超弩級戦艦「大和」が米軍艦載機の攻撃によって沈みました。大和の最後4月6日戦艦大和が出撃。作戦は最初から沖縄特攻でしたから、生きて帰ることのない片道切符でした。一番砲塔横の黒板には、こう書かれていたそうです。「総員死ニ方用意」これを見た乗組員の心中を察すると、なんとも心が痛みます。午前11時頃には戦闘配置となり、昼までに戦闘配食が配られたそうです。
今回は日本海軍航空隊の防暑衣を引っ張り出して撮影してみました。ラバウルなど南方戦線で着用された防暑衣(上着)と飛行服(ズボン)の組み合わせにしてみます。1枚目はこちら▲第二種略帽を被せてみる出撃のない日の基地内では略帽で過ごすことも多々あったのではないでしょうか。防暑衣と第二種略帽は爽やかですね。2枚目はこちら▲飛行帽と飛行眼鏡を被せてみるこの雰囲気だと今にも警報が鳴り、出撃命令が出そうなピリッとした雰囲気です。飛行帽は初期冬型で兎毛を纏っています。南方
こんにちは。本日は、新作の日本海軍昭和12年試作飛行帽をご紹介いたします。全員が昭和12年試作飛行帽をかぶっている。航空眼鏡は4者4様なのが面白い。昭和12年8月23日、宝山上空で9機を撃墜(右端の鈴木寛中尉自身3機、個人感状が授与された。野口三飛曹、中村一飛曹、近藤一飛曹。(昭和15年朝日新聞社刊「支那事変写真全集」若鷲部隊より)このタイプはレシーバーを取り付けられるように試作した海軍で最初の飛行帽だと思われます。全ての搭乗員が昭和12年製飛行帽を被って食
こんにちは。本日は、東京都Y.K様よりオーダーいただきました、日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。完成品●表・・・・・山羊革(茶色)●裏・・・・・兎毛(生成り色)●サイズ・・・60.5cm後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。太平洋戦争・真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、この3タイプは終戦まで使用されました。現在、後期型飛行帽は当時の
空中線がない?水転写デカールの密着作業を行いながら、またまた新たなディテールアップ作業を追加していきます。今回は空中線です。空中戦?いえいえ、空での戦いではありませんよ。「戦」ではなくて「線」です。空中線とは航空無線アンテナのことです。画像で見ていただきましょう。コックピット後部にあるアンテナ支柱から、垂直尾翼の間に張られています。アシェット零戦のキットにはその部品が用意されていませんでした・・・ということで、自作していきます。※1/18ビッ
今回は私が潜水艦を育成するときに利用する、7-4レベリングと攻略方法を紹介していきます。とりあえずはレベリングからです。今回はレベリングのみを考えての編成のため一隻のみですが、Oマスの燃料ボーキ収集の際は複数編成で33式分岐点係数4で47以上にしてください。でないとNマスに逸れます。このレベリングではCDJKMNマスと進んでいきます。では出撃していきます。CマスDマスJマスこのマスでは基本は重巡1潜水艦3の編成ですが、時々駆逐艦の編成
こんばんは。本日は、日本陸軍最初の特別攻撃隊である万朶隊の岩本益臣大尉の飛行帽を紹介したいと思います。万朶隊は、1944年(昭和19年)10月21日、鉾田教導飛行師団で編成された。装備機種は九九式双発軽爆撃機、隊長は陸軍航空士官学校第53期岩本益臣大尉(1917〜1944)。出撃は4機の「九九式双発軽爆撃機」に5名の万朶隊隊員が搭乗して行われた。本来、「九九式双発軽爆撃機」は4名で運用するが、機銃等は特攻機改造で撤去しており、通信士の搭乗する1番機を除いては、全機
今回は搭乗員軍装コレクションの中から「マフラー」をお見せしようと思います。航空隊搭乗員のマフラーは皆の憧れでした。頭脳明晰で勇敢な搭乗員。首に巻いたマフラーをなびかせ、大空へ駆けあがっていく姿に誰もが見惚れました。▲画像は小生のコレクション(複製品)になります。当時の搭乗員のマフラーはどのように巻かれていたのか、参考画像を見てみましょう。首元に巻かれた白いマフラーがとても引き立ちますね!基本的に色としては白が多く使われていたのですが、部隊によっては独自の色を採用
こんばんは。本日は、カナダのコレクター様より製作依頼を承りましたのでご紹介したいと思います。(Harvey,fromCANADA)日本陸軍★酸素マスク(マイク内蔵型)★伝声管(送話口・受話口)★フェルトカバー2個酸素マスク(マイク内蔵型)伝声管(送話口)昭和19年製の飛行帽に伝声管(受話口)と送話口を装着伝声管(受話口)は三つのパーツがあり、装着の際にリングで締めて外れないよう
今回は「カウルフラップ」の追加工を行ないました。「カウルフラップって何?」という方もおられるかと思います。エンジン(発動機)カウル内の空気の流れをコントロールするフラップのことです。画像を用意しましたのでご覧ください。このカウルフラップは操縦席から操作できます。下の操縦席のイラストをご覧ください。右手にある「カウルフラップ把柄」を使って手動で開閉します。杷柄(はへい)というのはハンドルのことですね。状況に応じて、この杷柄でカウル内の温度を調整していました。因
こんにちは。本日は、東京都T.Y様よりオーダーいただきました日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。完成品●表山羊革・・・焦げ茶色●裏兎毛・・・薄茶色(ベージュ)●サイズ・・・60cm後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。太平洋戦争の真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、終戦までこの3タイプは使用されました。この後期型飛行帽の装備品をご紹介したいと思