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こんにちは。本日は、兵庫県加西市鶉野飛行場跡に建つミュージアムsoraかさいで先任搭乗員をされている坂本氏より、着装写真をいただきましたのでご紹介したいと思います。今回は、搭乗の際に身につけている装備品について見ていきたいと思います。~2024.12.7soraかさいにて~A~Oまでそれぞれ見ていきましょう。A鷲の目型遮光(偏光)航空眼鏡乙眩しさをカットし、それ以外の光を出来るだけ多く通すように作られた、特殊カラーレンズです。当時もこのよ
Howareyouall?Today,wewouldliketointroduceourreproductionoftheIJNAviationLifevests.~AviationLifevests~LifeVestswereanecessityforImperialJapaneseNavalpersonnelflyingovervastexpansesofwater.In1923apneumati
気が付けば、この製作記事も「百話」となってしまいました。製作開始から既に2年以上・・・。少し感慨深いものがありますね。今後も宜しくお願い致します!m(__)m外板の装着も終わり、いよいよ機体の塗装に手を入れ始めました。このアシェット零戦五二型は、最初から着色済みモデルなので塗装は必要ありません。しかし、当工廠では「鹵獲前の機体」というコンセプトの下、激しい戦闘地域での勇姿を表現する計画で製作を進めている為にすべての部品を塗り直しています。そして、いよいよ外板塗装の汚し作業
こんにちは。今回は日本海軍の初期型お椀付き水筒をご紹介いたします。埼玉県S.A様よりオーダーいただきました。完成品初期型でもいろいろあったようですが、今回は布張りで布の肩掛け紐のタイプになります。実物オーダー品実物オーダー品コルクの栓です。バックルを開けてみましょう。拡大赤ラインのまわりにワイヤーが入っています。お椀がみえました。このようにパカッと開きます。
こんばんは。本日は、半袖半ズボンの防暑服に救命胴衣(ライフジャケット)を当時の写真とともに、ボディに着用させてご紹介いたします。ソロモン海域における日本海軍水上機用基地として、もっとも重要な存在だったショートランド島基地の風景。水際まで生茂ったヤシの木を、必要な面積だけ伐採して建てた宿舎、テント小屋と、そのすぐ前に浮かぶ零式観測機群など、水上機基地の様子がよく分かる。トラック島(現在のミクロネシア・チュ-ク諸島)の南東33キロ、モートロック諸島・ラモトレック
こんにちは。今回は前回に引き続き、記録盤の③と④をご紹介いたします。全てアルミ金属で製作しております。長野県H.M様の依頼品③戦闘機の外板の色合いになっています。この記録盤はゴムバンドではなく紐締めです。紐を解かずに長さが調節できるように、とめ結びにしています。紐を滑らせるだけで足に括れます。結び方にも知恵がありますね。実物留め具の動き。表から見たところ。こちらも角を上手く使っていて、指を滑らせるだけで開閉
アシェット零戦延長号零戦の機体は9割ほど完成しています。はい、残り1割ですよね?不思議なもので完成間近になると、あれこれ気になる部分が出てくるのです。この部分はこうした方が良いとか・・・。迷いがでてしまい、完成という踏ん切りができないのです。だから1割残しという訳です。(笑)そこで、無理に完成という気持ちの整理をつけずに、「延長号」の製作へ進んでみます。延長号は101号から140号。元々100号で完成というキットでしたからプラス40号です。多い!(◎_◎;)
キットに含まれている機体外部装備品の改造に着手します。装備品として主だったものは「小型爆弾」と「増槽」がありますが、今回は爆装部品「小型爆弾」と「爆弾架」のディテールアップを行ないます。今回は爆弾の仕様に関するデータが手元にはあまりなく、懸命に情報収集を行いましたが満足のいく程の資料が集まりませんでした。一部は他の戦闘機体からの仕様を真似て製作しているので、実際のモノと違っている個所があるかもしれませんがご容赦願いたいと思います。小型爆弾・爆弾架装置「ここは直したい」
こんにちは。本日は、千葉県T.A様より日本海軍後期型夏飛行帽とハチマキのご注文をいただきましたので、ご紹介したいと思います。~完成品~航空眼鏡はアルマイト地の鷲の目眼鏡(深澤航空光機)をセットして、撮影いたしました。後期型夏飛行帽●表・・・山羊革(焦げ茶色)●裏・・・ビロード布(焦げ茶色)●サイズ・・・58cm●高島屋製を再現実物高島屋製の後期型夏飛行帽高島屋製は当時、高級品として定評があったとのこと。全体的なバランスが良く縫製も丁寧
「海軍省刻印箱」についての続編をお伝えします。海軍省刻印箱については、前回の記事で一件落着と考えていました。しかし、ここにきて新たな証拠が見つかるという思いがけない展開が起きました。今までのような憶測とは違い、箱の使い道についての明確な証拠が出たことにより、「弁当箱vs遺品箱」論争に決着をつけることができそうです。▲この箱の使用目的とは?これまでの経緯あれこれと懸命に調べてみたが、これといった確証を見つけることができなかった「海軍省刻印箱」。知り得る範囲内での情報
今回の参考書は雑誌「丸」別冊、「玉砕の島々」にある回想記、須藤傳氏著「第七五五空とギルバート沖航空戦」です。著者紹介欄に、当時第七五五空分隊長・陸軍中尉とあります。ご本人は文中、三沢に着任したとき、「私は海軍特務少尉であった」と書いてみえる。特務というからには海軍兵学校を出ていない叩き上げの搭乗員。私は陸海空の順で「苦手度」が増しますので、せっかくの機会ですから丁寧に読みます。須藤傳(つたえ)氏は、海軍特務少尉だった昭和十七年(1942年)9月22日に、青森県三沢基地の元山海軍
海軍めし第1回目は「戦艦大和最後の昼食」です。今から76年前の昭和20年4月7日、日本屈指の超弩級戦艦「大和」が米軍艦載機の攻撃によって沈みました。大和の最後4月6日戦艦大和が出撃。作戦は最初から沖縄特攻でしたから、生きて帰ることのない片道切符でした。一番砲塔横の黒板には、こう書かれていたそうです。「総員死ニ方用意」これを見た乗組員の心中を察すると、なんとも心が痛みます。午前11時頃には戦闘配置となり、昼までに戦闘配食が配られたそうです。
今回は飛行兵が使用したと言われている「天測時計」をご紹介します。日本海軍航空隊で使用されていた天測時計は、航法計算に利用できる優れモノです。この時計は、コックピットの計器類や帰投装置がすべて使用できなくなった状況でも、風速や太陽の位置といった情報をもとに航法計算をし、空母や基地に帰り着くようにと支給されたと聞きます。計算方法は・・・ご自身で調べて頂くとして。搭乗員は頭脳明晰でないと務まりませんね。では、どんな時計か画像を見て頂きましょう。一度は本物を見てみたい幻の時計で
こんにちは。本日は、兵庫県加西市鶉野飛行場跡に建つミュージアム『soraかさい』で先任搭乗員をされている坂本氏の装着写真と、操縦席内の雰囲気をご紹介したいと思います。Hello.Today,IwouldliketoshowyouaphotoofMr.Sakamoto,whoisaseniorcrewmemberatMuseumsoraKasai,builtonthesiteofUzuranoAirfieldinKasaiC
今回は日本海軍航空隊の防暑衣を引っ張り出して撮影してみました。ラバウルなど南方戦線で着用された防暑衣(上着)と飛行服(ズボン)の組み合わせにしてみます。1枚目はこちら▲第二種略帽を被せてみる出撃のない日の基地内では略帽で過ごすことも多々あったのではないでしょうか。防暑衣と第二種略帽は爽やかですね。2枚目はこちら▲飛行帽と飛行眼鏡を被せてみるこの雰囲気だと今にも警報が鳴り、出撃命令が出そうなピリッとした雰囲気です。飛行帽は初期冬型で兎毛を纏っています。南方
人吉海軍航空基地(高原飛行場)発電機壕熊本県球磨郡錦町木上北223-1(人吉農芸学院)隊門人吉農芸学院の敷地の南側、人吉海軍航空隊の隊門の門柱飛行場用水路隊門に向かって左の坂(土手)を降りると、飛行場の周囲を流れていた用水路に着く。幅と深さはかなりあり、これを渡るのはムズカシイ。旧軍の何かがあるようだが不明降りる土手の位置を変えてみた右手にコンクリート製の水槽らしきものがある(・∀・)うん、方形水槽だ!方形水槽
こんにちは。本日は航空レシーバーが飛行帽に内蔵された頃の飛行帽をご紹介いたします。従来の官給品飛行帽の伝声管用の耳穴をレシーバー用にくり抜いて装着している物もありましたが、あえてレシーバーが収納できるようにポケットタイプの飛行帽も開発されました。このタイプは2種類あり、①内ポケット②外ポケットです。①内ポケットタイプ②外ポケットタイプ今回は①内ポケットの仕組みをご紹介したいと思います。ちなみに真ん中は実物の飛行帽です。
こんばんは。本日は、日本陸軍最初の特別攻撃隊である万朶隊の岩本益臣大尉の飛行帽を紹介したいと思います。万朶隊は、1944年(昭和19年)10月21日、鉾田教導飛行師団で編成された。装備機種は九九式双発軽爆撃機、隊長は陸軍航空士官学校第53期岩本益臣大尉(1917〜1944)。出撃は4機の「九九式双発軽爆撃機」に5名の万朶隊隊員が搭乗して行われた。本来、「九九式双発軽爆撃機」は4名で運用するが、機銃等は特攻機改造で撤去しており、通信士の搭乗する1番機を除いては、全機
こんにちは。本日は、米国ニュージャージー州D.B様からご注文いただきました、日本海軍伝声管(受話口と送話口)をご紹介したいと思います。海軍伝声管(受話口と送話口)実物の伝声管(受話口)兎毛が付いています。こちらも実物の伝声管(受話口)です。このように筒状を円にしたクッションがあり、周りは兎毛で覆われていました。上画像にあるような兎毛がほとんど無くなっている状態です。再現送話口は首に掛ける紐に革あてがあり、そこで長さが調節ができるようになっています。
こんにちは。今年最後の投稿になります。本日は、兵庫県K.T様よりご注文をいただきました、日本海軍昭和15年5月制定飛行帽をご紹介いたします。こちらです。●表・・・焦げ茶色の山羊革●裏・・・焦げ茶色のヌートリア毛(沼狸)●サイズ・・・57cm航空帽(飛行帽)、航空眼鏡、航空被服(飛行服)、航空手袋、航空靴、救命胴衣などにもそれぞれ仕様書がありました。軍の衣料廠だけではなく多くのメーカーにその生産が委託されていました。【飛行帽(航空帽冬用)の仕様
前回に続き「日本海軍航空隊防暑衣(南方戦線)」です。今回は上下揃いで防暑衣を撮影してみました。南方で撮影された写真の中には、防暑衣にカポック姿の搭乗員を見かけます。なんとなく不安感いっぱいの軽装ですが、実際にあの姿で飛んだのでしょう。最初はこちら▲上下とも防暑衣の組み合わせ▲熱い地域では最高非番の日はこの組み合わせでウロウロしていた?戦場に非番はないかな。(笑)実際に真夏に着てみたところ、着心地が良く部屋着としても最適です。次はこちら▲飛行帽と
こんばんは。本日は、裏毛に特徴のある、ちょっと珍しい新作の日本海軍後期型飛行帽をご紹介したいと思います。第1飛行隊分隊士佐藤則安中尉と雷電21型佐藤中尉は11期予学卒業、201空付きとしてフィリピン決戦に参加、302空では雷電による空戦で負傷。佐藤中尉がこの写真で被られている後期型冬飛行帽は、カールした膨らみのある毛並みをしています。~再現~千家竜彦少尉(予学14・偵)昭和20年百里原航空隊ふっくら巻いた白色のマフラーは、御父様が着用していた白衣を解いて送
こんにちは。本日は、東京都D.H様よりご注文いただいた、記録盤をご紹介したいと思います。着装写真も送ってくださいましたので、ぜひご覧ください。記録盤とは当時の個人装備品で、廃棄された戦闘機の外板等を上手く利用して器用な整備兵が作ったそうです。そのため様々なタイプがあったようです。大腿部へのバンドの取り付け方や、鉛筆の取り付け方なども個性的でアイデアいっぱいです。~完成品~オーダーでも人気のタイプです。紙を挟めてみましょう。このタイ
こんにちは。本日は埼玉県S.A様が装着写真を送ってくださいましたのでご紹介したいと思います。以前、防毒マスクやヘッドホーンレシーバーなどを製作いたました。艦内作業服装海兵団での陸戦教練艦上戦闘服装(通信兵)表情もいいですね。左が再現したヘッドホーンレシーバー。~海軍陸戦隊~艦上戦闘服装(機銃員1)~艦上戦闘訓練~襲い来る敵艦載機を迎え撃つ代表がこの高角機銃。単装、二連装、三連装と多彩
こんにちは。本日は、新作の記録盤をご紹介いたします。全てアルミ金属で製作いたしました。今回まとめて製作のご依頼をいただきました。本当にありがとうございました。それでは見ていきましょう。今回はこの4タイプの記録盤を製作いたしました。まずは①と②をご紹介いたします。長野県のH.M様の依頼品①東京都のY.K様の依頼品①埼玉県のS.I様の依頼品①このタイプの記録盤が人気のようです。細部も見ていきましょう。①バンド
こんにちは。本日は、兵庫県K.T様より装着写真をいただきましたのでご紹介したいと思います。今回はオーダーいただいた海軍防暑服です。白色の士官防暑服少尉の襟章。バンドの材質は特別な指定はありません。今回はこのバックルにしました。実物このタイプは士官、下士官も使用しています。従来の貸与品の淡茶色防暑作業服とは別に、昭和17年(1942)10月改正「海軍服装令施工細則」により、准士官以上の防暑服は白色を正規に定め、但し書きには「淡茶色トスルコトヲ得
外板の塗装が一区切りついたので、保留しておいた「作りモノ」を進めていきます。今回は空中線(通信アンテナ)の仕上げです。空中線については、「【第九十三話】空中線を造る①」でアンテナ支柱の改造と金具の製作を済ませています。今回はアンテナ線と付属小物の製作になります。参考【第九十三話】空中線を造る①へはこちら無線電話機と空中線の再現第九十三話で触れたように、アシェット零戦五二型には1/18スケールでありながら、空中線が用意されていませんでした。これは見過ごせ
今回は「日本海軍航空隊飛行服(搭乗員)」です。撮影にはカポック[救命胴衣]と縛帯[パラシュート用ベルト]も装備してみました。一応フル装備の装いです。縛帯をトルソー(マネキン)相手に着せるのは意外と手間でした。使い込んでないのでベルトが硬い・・・。慣れが必要であります。(笑)自分で着る方が楽です。では順番に見ていきましょう。▲三種略帽と飛行服の組み合わせ防暑衣とは打って変わって緊迫した感じが漂います。なんだか鳥肌。(笑)この組み合わせ、かなり気に入ってます!
前回の続き、大刀洗平和記念館に訪れた話です。前回は、映画「ゴジラ-1.0」からのつながりで、局地戦闘機「震電」を取り上げました。帝国海軍・一八試局地戦闘機「震電」のレプリカ大正8年、南方および大陸への中継地点として、九州・太刀洗の42万坪の土地に延長500m、幅200mの2本の滑走路と付帯する施設が建設され、帝国陸軍・航空第四中隊(後に大隊に昇格)が設置され、大刀洗飛行場が整備されます。大正時代の大刀洗飛行場(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館常設展示案内」筑前町、20
浦戸海軍航空隊空撮:1945.3.28(米軍撮影)先日、戦時中の浦戸海軍航空隊基地写真を、ついに入手することが出来ました。これまでは、終戦数年後の、同じく米軍が撮影した写真は確認していましたが…。今回は戦中で、しかも航空隊の最盛時期の物となり大変貴重なものです。浦戸海軍航空隊とは…1944(昭和19年)11月1日に、航空機搭乗員を養成するため、日本海軍予科練習生の教育機関として開隊。場所は高知県高知市の南側、現在の高知市池地区、高知医療センター南側の城山を取り巻くように完成しました。