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海軍弁当箱について海軍めし番外編です。航空隊で使われていた弁当箱について、質問を頂きましたのでネタにしてみました。ブログ記事の「海軍めし其の2食」で使っていた弁当箱は、当時に実際使われていた実物です。今回はこの弁当箱について少しだけ掘り下げてみようと思います。小生は専門家でも軍備通でもありません。物好きで収集している素人なので弁当箱に関する詳しい知識を持ち合わせていません。あしからず(^^;)あちこちで集めた情報と手持ちのモノを見ながらの遣やっ付け記事になりますが、興味
今回は搭乗員軍装コレクションの中から「飛行眼鏡」をご紹介します。飛行眼鏡と言えば航空隊搭乗員の三種の神器の一つですね。上の画像は山本製の飛行眼鏡です。山本製の山本とは、現在の「山本光学株式会社」さんのことです。現在ではSWANSというブランドを展開され、様々なジャンルで愛用されているサングラス&ゴーグルのメーカーです。皆さんの中でも愛用されている方が沢山おられると思います。山本製作所について航空隊搭乗員、三種の神器のひとつとも言える飛行眼鏡。通な呼び名として
こんにちは。本日は、岡山県H.O様よりオーダーいただきました、日本海軍初期冬用飛行帽をご紹介いたします。~完成品~●表・・・山羊革(焦げ茶色)●裏・・・兎毛(赤茶色)●サイズ・・・60cmこのタイプは初期の前期型冬用飛行帽でベテランパイロットなどが被っておられ、終戦まで使用されていたものです。特徴は、鼻口あてとそれを付けるための頬部のホック(冬用は縦付け)、顎バンドの顎部に毛付き、周囲のパイピングなどがあります。ちなみに今回はパイピングを施しているタイプで
こんにちは。本日は、東京都T.Y様よりオーダーいただきました日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。完成品●表山羊革・・・焦げ茶色●裏兎毛・・・薄茶色(ベージュ)●サイズ・・・60cm後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。太平洋戦争の真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、終戦までこの3タイプは使用されました。この後期型飛行帽の装備品をご紹介したいと思
こんにちは。本日は鷲の目型航空眼鏡を開発した日満工業株式会社の歴史についてご紹介したいと思います。日本陸軍の大佐であった後藤元治は、退役後の生涯を実業家として産業報国に生きるという信念を持ち、日満工業合質会社は、資本金20万円をもって、1933年(昭和8年)2月11日に創業した。主に自動車用電装品を製造していた。初代代表取締役社長後藤元治大型航空眼鏡の試作品昭和10年、陸軍の赤羽被服廠から航空防塵眼鏡の製作をしてみないか、という話があり、
こんにちは。本日は、福岡県T.W様より日本海軍後期型夏用飛行帽のご注文をいただきました。航空眼鏡等を組み合わせてご紹介したいと思います。こちらです。●表山羊革・・・焦げ茶色●裏ビロード布・・・カーキ色●サイズ・・・60cm名前が書けるように、後ろには記名布があります。裏側は布張り(別珍)です。実物にもメーカータグが縫い付けられていました。末期頃には、このタイプの飛行帽は簡略化を図り、革質もかなり落ちて、鮫や八目うなぎの革まで使用されました。
こんにちは。本日は、当時の写真で見かけた、裏毛を整えている飛行帽を再現してみましたのでご紹介したいと思います。当時の写真です。搭乗員の後ろ姿をよく見ますと毛付きの飛行帽を被られていますが、飛行帽から毛が見えていません。ですが、右下の御方が跳ね上げておられる為、毛が覗いてみえます。初期型の飛行帽はただでさえ丁寧な凝った作りだと感じていましたが、このように毛まで綺麗に整えられていることに感心いたしました。そこで今回は写真の初期の前期型冬用飛行帽を再現いたしました。
こんにちは。本日は、日本軍の航空眼鏡(鷲の目型航空眼鏡)をメーカー別に紹介していきたいと思います。鷲の目眼鏡にはメーカ―名の刻印が無いものもありますが、今回は特に知名度があるメーカーを選別いたしました。高島屋飯田株式会社金具に高島屋の高のマークが刻印されています。高級品として定評があった。高島屋飯田貿易店は、1916年12月に高島屋飯田株式会社として独立、現在の大阪にある高島屋が本店。画像は曇り止め用調整機構を設けた航空眼鏡。日満
こんにちは。本日は、東京都Y.K様よりオーダーいただきました、日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。完成品●表・・・・・山羊革(茶色)●裏・・・・・兎毛(生成り色)●サイズ・・・60.5cm後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。太平洋戦争・真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、この3タイプは終戦まで使用されました。現在、後期型飛行帽は当時の
突然ですが、新しいカテゴリーを作ってみようと思います。名付けて「海軍めし」です。海軍での食事について、文献を参考に作って食べてみようというもの。継続して記事にできるかは分かりませんが、興味のある方は見て下さい。(笑)世間がコロナ禍に陥ってから、仕事には弁当持ちで行っています。昼食でうろうろしなくて済むし、やはり感染予防としての意味合いが大きいです。弁当箱も新調しました。(^^;)そんな弁当生活の中で、ふと思うのは軍隊糧食のこと。とくに海軍さんはどんな食事をしていた
こんにちは。兵庫県加西市にあるsoraかさい(鶉野ミュージアム)に行ってきました。私の友人でもある坂本氏(坂本大尉)とのご縁もありこの度、訪問することができました。スタッフ方との交流や写真撮影をしてきました。装備類についても見ていきたいと思います。soraかさい館内には戦闘機「紫電改(しでんかい)」や、「九七式艦上攻撃機」の大型模型、当時の様子を写す貴重な資料が展示されています。戦闘機「紫電改」坂本氏日本海軍後期型冬用飛行帽(ビンテ
海軍めし第1回目は「戦艦大和最後の昼食」です。今から76年前の昭和20年4月7日、日本屈指の超弩級戦艦「大和」が米軍艦載機の攻撃によって沈みました。大和の最後4月6日戦艦大和が出撃。作戦は最初から沖縄特攻でしたから、生きて帰ることのない片道切符でした。一番砲塔横の黒板には、こう書かれていたそうです。「総員死ニ方用意」これを見た乗組員の心中を察すると、なんとも心が痛みます。午前11時頃には戦闘配置となり、昼までに戦闘配食が配られたそうです。
こんにちは。本日は、イギリスケント州Z.W様から日本海軍後期型冬飛行帽のオーダーをいただきましたのでご紹介したいと思います。Hello.IreceivedanordertodayfromZ.W.ofKent,UK.IhavereceivedanorderforanIJNLateTypeWinterFlightHelmetandwouldliketointroduceittoyou.日本海軍後期型冬飛行帽
今回は「日本海軍航空隊飛行服(搭乗員)」です。撮影にはカポック[救命胴衣]と縛帯[パラシュート用ベルト]も装備してみました。一応フル装備の装いです。縛帯をトルソー(マネキン)相手に着せるのは意外と手間でした。使い込んでないのでベルトが硬い・・・。慣れが必要であります。(笑)自分で着る方が楽です。では順番に見ていきましょう。▲三種略帽と飛行服の組み合わせ防暑衣とは打って変わって緊迫した感じが漂います。なんだか鳥肌。(笑)この組み合わせ、かなり気に入ってます!
原作:西﨑義展、監督:羽原信義、制作:XEBEC。第五話激突!ヤマト対アンドロメダ地球を飛び立ったヤマトに月面から山本らの航空隊が合流。一方、ヤマト発進を阻止出来なかった芹沢はアンドロメダに追撃を命じる。ヤマトは避けられぬ戦闘の中、ある奇策を用いる。<雑感>ヤベェ、クッソおもしろい。ヤマトってなんでこんなに燃えるんだろ。ロボットアニメはクソばっかりだけど、まだヤマトがあるじゃないかという。昔のままの構成で、変に時代に媚びていないところが良いよな。逆に色褪せない。
空中線がない?水転写デカールの密着作業を行いながら、またまた新たなディテールアップ作業を追加していきます。今回は空中線です。空中戦?いえいえ、空での戦いではありませんよ。「戦」ではなくて「線」です。空中線とは航空無線アンテナのことです。画像で見ていただきましょう。コックピット後部にあるアンテナ支柱から、垂直尾翼の間に張られています。アシェット零戦のキットにはその部品が用意されていませんでした・・・ということで、自作していきます。※1/18ビッ
こんにちは。本日は埼玉県S.A様が装着写真を送ってくださいましたのでご紹介したいと思います。以前、防毒マスクやヘッドホーンレシーバーなどを製作いたました。艦内作業服装海兵団での陸戦教練艦上戦闘服装(通信兵)表情もいいですね。左が再現したヘッドホーンレシーバー。~海軍陸戦隊~艦上戦闘服装(機銃員1)~艦上戦闘訓練~襲い来る敵艦載機を迎え撃つ代表がこの高角機銃。単装、二連装、三連装と多彩
今回は飛行兵が使用したと言われている「天測時計」をご紹介します。日本海軍航空隊で使用されていた天測時計は、航法計算に利用できる優れモノです。この時計は、コックピットの計器類や帰投装置がすべて使用できなくなった状況でも、風速や太陽の位置といった情報をもとに航法計算をし、空母や基地に帰り着くようにと支給されたと聞きます。計算方法は・・・ご自身で調べて頂くとして。搭乗員は頭脳明晰でないと務まりませんね。では、どんな時計か画像を見て頂きましょう。一度は本物を見てみたい幻の時計で
海軍めし第3回目は「ほうれん草めし弁当」を作ります。海軍で食されたメニューのひとつです。簡素なレシピですが、そのお味は・・・。さっそく作ってみましょう!弁当箱は航空隊のものを使ってみました。海軍めし割烹では、さっそくほうれん草めし弁当を作っていきます。今回の食材はこちらです。戦闘食一人分ごはん・・・・2合卵・・・・・・1個ほうれん草・・1把奈良漬・・・・適宜かつおぶし・・適宜砂糖、醤油ほうれん草ほうれん草をたっぷりのお湯で茹でます。根の部分は
気が付けば、この製作記事も「百話」となってしまいました。製作開始から既に2年以上・・・。少し感慨深いものがありますね。今後も宜しくお願い致します!m(__)m外板の装着も終わり、いよいよ機体の塗装に手を入れ始めました。このアシェット零戦五二型は、最初から着色済みモデルなので塗装は必要ありません。しかし、当工廠では「鹵獲前の機体」というコンセプトの下、激しい戦闘地域での勇姿を表現する計画で製作を進めている為にすべての部品を塗り直しています。そして、いよいよ外板塗装の汚し作業
今回は私が潜水艦を育成するときに利用する、7-4レベリングと攻略方法を紹介していきます。とりあえずはレベリングからです。今回はレベリングのみを考えての編成のため一隻のみですが、Oマスの燃料ボーキ収集の際は複数編成で33式分岐点係数4で47以上にしてください。でないとNマスに逸れます。このレベリングではCDJKMNマスと進んでいきます。では出撃していきます。CマスDマスJマスこのマスでは基本は重巡1潜水艦3の編成ですが、時々駆逐艦の編成
「海軍省刻印箱」についての続編をお伝えします。海軍省刻印箱については、前回の記事で一件落着と考えていました。しかし、ここにきて新たな証拠が見つかるという思いがけない展開が起きました。今までのような憶測とは違い、箱の使い道についての明確な証拠が出たことにより、「弁当箱vs遺品箱」論争に決着をつけることができそうです。▲この箱の使用目的とは?これまでの経緯あれこれと懸命に調べてみたが、これといった確証を見つけることができなかった「海軍省刻印箱」。知り得る範囲内での情報