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私は刀が好きですが、さほどに勉強のような事をしているわけでもありません。ただ、成瀬関次の実戦刀譚はネットで読める事もあり読んでいます。ちょっと文章が古くて読みにくいのですが、刀好きには必読の書ではないかと思われます。↓↓『実戦刀譚』成瀬関次|FINLANDIA-楽天ブログFINLANDIAの『実戦刀譚』成瀬関次のページです。plaza.rakuten.co.jp軍刀修理職人として日中戦争に従軍した成瀬氏の貴重な実戦での日本刀の資料です。日中戦争では日本刀が大
片手で振り回せる60センチくらいの軽めの刀を探していたら面白い刀もみつけました。【真剣】価値あり時代刀/片手振り在銘/久国(...-ヤフオク!xvpbvx【種別】脇差【銘文】表:・・・裏:久国【刀身】59.4cm【反り】1.8cm【目釘穴】1個【元幅】29.0mm位【元重】7.0mm位【先幅】24.0mm位【先重】6.0mm位【拵えサイズ】約全長88.5cm:柄22cm:鞘65.5cm【裸身g】540g◆岡山県教育委員会【登録番号】(7
↑私の手持ちの鍔写真の右側が大刀用で左が脇差用。以前ヤフオクで購入しました。現代製です。写真だとすごく良く見えたのですが、実物を見るとちょっとイマイチな感じがして刀身に取り付ける気になれず放置していましたが、久しぶりに取り出しました。脇差用の鍔は幅約69mm、大刀用の方は78mmくらいです。脇差に取り付ける鍔と大刀のに取り付ける鍔のサイズに決まりはありませんが、脇差には大体7センチ以下の鍔を取り付けるのが普通のようです。ちなみに短刀用の鍔は5~6センチくらいで、
■写真は名刺?「写真を撮ると魂を抜かれる」そんな言葉を聞いた事は無いでしょうか?江戸時代の写真は、箱形のカメラの前に動かずじっと構えていなければフィルムに焼き付ける事が出来ず、しかもそれが長時間かかった事から写真を撮られた者はぐっと疲れが残り、まるで魂が箱形のカメラに吸い撮られた様に見えた事からこのような迷信が広まったと言われています。では、幕末の志士達はどうだったのでしょうか?坂本龍馬にまつわる話しでこんなものがあります。龍馬が近江屋で暗殺される半月前の慶応三年十一月初め、龍馬は松
面白いイラストをみつけたので載せてみます。刀の差し方のイラストなのですが、刀を差すための説明ではなくて刀を差している人のイラストを描くための説明画像。これがなかなかわかりやすい。↓↓↓↓なるほどなー、って感じで勉強になりました。帯を三重に巻いて服と帯の間に脇差、二層目と三層目の間に大刀を差すんですね。ベルトに刀を差してみたのですが自然と落とし差しになります。栗型がベルトに引っかかって落ちないしとても安定します。でも、
前にも少し書きましたが、短刀くらいの長さの刀に脇差サイズの鍔と鞘の外装を合わせた刀を何度か見た事があります。↑まさにこんな感じの刀です。刃長に対して鞘は長すぎて鍔は大きすぎる。納刀状態だと普通の脇差にしか見えないのですが、抜くと短刀。脇差を買えない貧乏な武士の工夫かと思っていたのですが、違うようです。以下、助光刀匠から頂いたコメント↓「脇差サイズの鞘に短刀が入ってるのは、抜こうとする手を抑えられた時に、腰を引いて抜く為です。そんな技が古流には残ってるの
前の記事で榎本武揚の記事を書いたので、彼が作らせた流星刀の事も書いておきたいと思います。榎本武揚が明治時代に鉄隕石(隕鉄)で作らせた刀が「流星刀」です。もちろん現存します。めちゃくちゃ肌目がわかりやすいですね。古代から隕鉄で刀剣が作られる事は稀にあったのですが、日本刀様式の折り返し鍛錬で作られたのはこれが史上初です。ロシアで隕鉄刀を見た榎本が自分も欲しくなって作らせたそうです。ニッケルの含有量が多いため、折り返しても鉄の層がくっつかず刀匠を悩ませた
切れない日本刀があります。単に切れ味が悪いものと、意図的に刃引きされて切れなくなった刀が存在するようです。日本刀の現在の立ち位置は「美術品」です。美術品としての日本刀の価値は磨き上げられた刀身の美しさにあります。刀を研磨するのが研師です。この研師も、美しく刀身を磨くのは得意でも切れ味を良くするのは下手という人もいるようです。この様な研師の刀だと、綺麗だから買ってみたけ切れないとか、研ぎに出したのに切れ味が良くなっていない、なんて事もあるようです。恐ろしい
悩んでいた次の極は骨喰藤四郎!これで脇差は青江ちゃんに続いて2人目!脇差も可愛いくて好きなですよね(*^_^*)骨喰✨可愛い♥
刀の鍔を買おうかなと鍔を見ていて「アレ?」と思いました。小柄を通す穴(小柄櫃)がすべて左側にあります。小柄だけを取り付ける事はあっても笄だけを取り付けるという事はないはずなので、穴が一つの鍔はすべて小柄の櫃穴のはずですが、すべて穴が左側にあります。「これ、鍔の裏側なのでは?」と思っていたのですが全ての写真がこの向き、つまり小柄の櫃穴が左側なのでどうもこれが表側のようです。どうも私は勘違いをしていたようです。つまり、鍔の表というのは柄側の方で、裏側が
経験するとすぐ解るが、本身の場合、落とし指しにすると、非常に腰のおさまりが悪い。反対に竹光は柄頭が軽くなり、どうしても柄が上に浮き気味となり、落とし指しふうとなる。食うに困って中味を売り払うと、必然的に落とし指しになるのである。袴下の角帯は三重に巻きます。外側から数えて二重と三重の間に脇差しを指し、一重と二重の間に大刀を指す。脇差しは柄頭を立てるようにして前半にたばさみ、大刀は脇差の鍔より低い位置に閂状に指す。明治維新後、山田朝右衛門𠮷亮の出仕姿の写真を参考のため転載します。よ
アメリカ人同僚と空港で搭乗を待ってた時、近くのアメリカ人同士が些細な事から殴り合いの喧嘩を始めたので同僚に「何であんな些細な事で喧嘩すんだろね?」と聞いたら「簡単さ。今、彼らはお互い銃を持ってないと分かってるからだよhaha」と言われ、笑えないし銃社会怖過ぎだし核抑止力論だ…と思った—山口慶明🇺🇸で何とか生きてる(@girlmeetsNG)October14,2021↑この投稿を見て思い出した事があります。幕府が町人の帯刀を規制しようとするのに対して、「皆が脇差を