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20年以上前に営業部局からの研修生として1年間預かったウエノ君が、基調講演の講師として登壇するセミナーを視聴した。随分前に会社を退職していて、カリスマ経営者たちのもと、めきめきと頭角を現した。今では知る人ぞ知る有名人になった。*****そのころ私は年子の幼稚園生を絶賛育児中で、家庭でも育児、会社でも育児をしているような気持ちだった。ウエノ君を叱りながら、ゆうべ娘にも同じようなことを言って怒ったな、なんてことも、ままあった。ウエノ君を研修生として受け入れた部署は
切支丹屋敷跡、徳川慶喜公屋敷跡がある文京区・小石川近辺。こんなものもありました。石川啄木終焉の地、および啄木の懸賞室。啄木終焉の地に、高齢者施設が建設されることになり、了解を得て、その1F、および空いたスペースに石川啄木をしのぶよすがが設けられました。右の記念碑はなかなかの大きさでー碑の中をくりぬいて、原稿用紙をかたどったものが埋め込まれています。そこに書かれているのは、啄木が病に冒されながら最後の創作意欲に駆られて詠んだ歌2首。しゃれた趣向です。
少し前のお話しです「お母さん!里中満智子先生が、日経新聞の私の履歴書に載ってるよ〜!読まない?」と、うちのお父さんに言われて、すかさず「読む読む!」と答えましたそれから、毎朝楽しみにして里中満智子先生の、「私の履歴書」のコーナーを読んでいました里中満智子先生と言えば、私が子供の頃から大活躍されておられた漫画家の先生です当時、漫画家の先生のお顔は、あまり世の中には知られていませんでしたが…里中満智子先生と、池田理代子先生は、当時から美人漫画家の先生✨として、よく知られていました私
(ビストロ「ほわいえ」(仏語で楽屋、控室の意)「虫コナーズ」か「虫コナーズ的なもの」がドアにぶら下がっていたりしてなんともショボい雰囲気)八ヶ岳南麓で唯一味わえないものといえばフランス料理だろう。もちろん「フランス料理的なもの」はそこそこあるが、お世辞にも美味いとはいえない店ばかり。唯一「TERRIOR愛と胃袋」が気を吐いていたが、フレンチ割烹とでもいうような特異なスタイルだし、だいいち昼メシでも1万いくらとバカ高くなってもはや行ける店ではなくなってしまった。そんなわけで
こんにちは^^奈緒子です。改めて自己紹介しま〜す思いついたまま自由に出来るだけ包み隠さずに(隠したいとこ多すぎるから💦)書いてみますね💖☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【愛媛県双海移住から現在まで】横浜生まれの横浜育ち52歳のアラフフィフです✨6年前の2014年6月23日にほぼ思いつきで愛媛県伊予市双海町に単身移住子供の頃からの夢だったオーシャンヴューの家をGET💕(借家です^^)(双海移住の経緯は、長くなるので
ちょっとした短い記事をここでひとつばかり。日経新聞朝刊の名物コラム「私の履歴書」。様々な著名人の生涯を解き明かしていくこのシリーズはすでに60年以上続いているそうで、古くは江戸川乱歩や武者小路実篤といった大御所まで登場しています。もっとも当初は1か月の連載ものではなく、もっと短期の読み物だったようですが。今月の連載は、魅惑のバイオリニスト前橋汀子さん。スターリン体制が崩壊して、ロシアへの渡航が許可されるやかの地で本格的なバイオリンレッスンを受けたとい
先週末、野暮用で市ヶ谷へ。用事はあっけなく済み、JRで帰ろうとして、ふと思い立ちました。そういえば、NHK朝の連ドラ「あぐり」のモデルになった吉行和子さんの母あぐりさんの美容室が市ヶ谷だったっけ、ちょっと見てみようかな、と。所在地が市ヶ谷だったと知ったきっかけは、今年5月に日経新聞に連載された「私の履歴書」でした。先日のブログですでに触れた通り、「私の履歴書」に1カ月間吉行和子さんの半生が綴られていたのです。(「MITSUKO―ミツコ世紀末の伯爵夫人―」を和子さんが独り芝居