ブログ記事6,945件
『『鯰の歌碑』出張の合間神社巡り阿波徳島編~ナマズが守護するもの~』『『杵築神社』出張の合間神社巡り阿波徳島編~須佐之男命と大日孁貴の足取り~』『『天村雲神社』出張の合間神社巡り阿波徳島編~叢雲の向こう側~』『『山崎忌部…ameblo.jp↑のつづき。さて、文化圏の境目である岩津にて『鯰の歌碑』に驚愕した後、折り返して東へと向かう。車を30分ほど走らせ、やってきたのは阿波市土成町。徳島県が生んだ唯一の首相第66代内閣総理大臣三木武夫を生んだ土地であり、土御門上皇(第8
【奈良】【橿原神宮限定御朱印】11月3日より開催されている宝物館特別展「橿原神宮の奉納刀」に合わせ御祭神神武天皇に縁の深い頭椎大刀がデザインされた期間限定御朱印「頭椎大刀」がいただけます。【期間】令和5年11月3日~令和6年5月12日【場所】授与所にて【橿原神宮御朱印】【橿原神宮御朱印】橿原神宮末社【長山稲荷社御朱印】平成30年8月末頃より橿原神宮末社長山稲荷社の御朱
『『高忍日賣神社』出張の合間の神社巡り愛媛編~ウガヤフキアエズ誕生日秘話~』『『惠依彌二名神社』出張の合間の神社巡り愛媛編~常世の国とスクナビコナ~』『『二つの伊豫神社②』出張の合間の神社巡り愛媛編~ホツマツタヱのイヨツ姫~』『…ameblo.jp↑のつづき。さて、愛媛県の次は高知県でのお仕事。土佐高知の神社を記事にする前に、とってもとぉーっても重要な話を先に記事にしておきたいと思います。仕事で様々な土地に行く道中、電車やバスの中で必ず読むのは各地の風土記。釈日本紀には
あらゆる分離を愛・調和・喜びの世界へ転換させていく祈りの活動をしている虹の世界アルケミスト🌈早紀です✨福岡の旅から帰ってきましたが福岡アジア美術館での展覧会は9/5まで開催中です!+++さてさて搬入前に太宰府天満宮へご挨拶へ行き、搬入後行った場所は志賀海神社ホテルから美術館までの道のりにあった住吉神社展覧会見に行った後はダッシュで大分へ。宇佐神宮の元宮である薦神社へ↓↓↓\旅できていた重要なキ
りまりまさんのブログ。貝輪が繋ぐ琉球と阿波のこと。スイジガイが沖縄の方言で「ユーナチモーモー」と言うことから、考察は「牛」へとワープして、渡嘉敷島の阿波連のことや牛氏阿波連家のこと、スイジガイを魔除けとして玄関に吊るすことから蘇民将来を連想したりまりまさん。さらにみんつちさんのコメントが「蘇民将来と牛頭天王」を連結させる!阿波と琉球・貝と牛。阿波忌部も浮上してカオスなんだけど面白い!ではでは、わたしなりの「阿波〜琉球」考察をしてみよう。まず糸口は阿波忌部。古来よ
江戸時代に、聖徳太子が書き残したとされる、「先代旧事本紀大成経」という書物が広まりブームとなったことがあったようです書の中で特に話題となったのが以下の主張です・志摩国(三重県)の「伊雑宮(いざわのみや)」こそが伊勢神宮を上まわる神社・聖徳太子の予言をまとめた「未然本紀」が収録・神武天皇ら歴代の天皇の姿が「龍型人間・爬虫類人(レプティリアン)」だったこの書自体は、一般に偽書とされ、江戸時代に作られたものだとされています偽書を作ったとされる人物は江戸幕府により流罪にされ、
大神(おおみわ)神社より500メートルほど南に、志貴御縣坐(しきのみあがたにます)神社があります。古代の朝廷ととりわけ関係の深かった6つの『県(あがた)』のうち、ここには、「志貴(しき)」の県があったようです。首長は磯城県主(しきのあがたぬし)といい、東征のさいに、初代・神武(じんむ)天皇に立ちふさがったシキ兄弟のうち、皇軍にくだった弟磯城(おとしき)の末裔がこの地で繁栄したといいます。第2代・綏靖(すぜい)天皇から第7代・孝霊(こうれい)天
(丹後国籠神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~2~1の記事の続きです。『◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1』(大和国山邊郡大和神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1この記事はこれまで当ブログ内で行ってきた一般的な神名紹介記事とは異なり、個人的思量を綴る記事とします…ameblo.jp当初は1記事で済まそうかと思っていたのですが、予想より長くなり文字数オーバーの心配が出てきました。あまりに記事作成に時間がかかるため、間に合わない心配もあったりと。ま…ブレイクを挟むべきでしょうね。
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。古事記には、様々な神が登場しますが、神と人は、どこで区別されるのかは神の時代が終わり人の時代が始まったのは、神武天皇からとされています。それは、古事記の神々は、「死ぬ」ことがないですし、たとえ、「死ぬ」ことがあっても、オオクニヌシのように再
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
井光神社里宮(いかりじんじゃさとみや)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光34(駐車は下部写真参照)■旧社格県社■祭神井氷鹿神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。いわゆる「深吉野(みよしの)」と呼ばれる山間部、その小さな集落内に鎮座する社。標高は650mほど。◎井光神社は「御船山」全体を神域とし、1544坪もあるとのこと。当社は里宮として創建されています。御神体は奥の院王塔宮にそそり立つ巨大磐座。磐前に小祠が据えられています。こ
こんばんは、mmm(まーママ)です。4月27日(土)まー家のGW。3泊3日の1日め。西郷隆盛とニニギノミコト(神様)が肩を組んでる???不思議な顔出しパネルがあったのは・・・西郷隆盛宿陣跡資料館宮崎県延岡市北川町長井6737明治10年、薩摩士族を中心とする国内最大で、最後の内乱「西南戦争」が起こります。薩軍の総大将は、西郷隆盛でした。8月15日の和田越決戦に破れた薩軍は、児玉熊四郎宅(現在の西郷隆盛宿陣跡資料館)に本陣を置きました。そ
聖徳太子ゲマトリア②「隠された神の子」【序】前回の記事で聖徳太子の為政の背後には"1117"と言う数字があり、"1117"は「西暦⇒皇紀」を使うと"1777"に変換できることを見ました(西暦1117年=皇紀1777年)。以下これをもう少し詳しく見てみたいと思います。なお皇紀は神武天皇即位紀元のことで、初代神武天皇の即位年(西暦前660年)を皇紀元年とする紀年法です。撮影阪急苦楽園口駅近くの夙川沿い画像と記事は関係ありません【1777の意味】"1777"
こんばんは!@Ricoです。いよいよ、今回が丹生川上神社中社さんのラスト😎(丹生巡礼シリーズは続くけどねw)前回のシリーズ⑦の神武天皇聖蹟から、さらに奥へ向かいます👣あのグリーンの川が見えてきたよ‼️して。さらに、近づいていくと。。。見よ❗️この透明感✨これぞ、清らかなる流れ✨✨✨さらに、さらに。テクテクと進んでいくと東ひむかしの瀧✨とありますね‼️→東(ひむかし)の瀧、という名称は吉野離宮の「東」にあることからきています。※吉野離宮は、天皇の別荘的な機能が
パワスポの349回熊野速玉大社の元宮神倉神社さんで不思議写真①神倉神社(かみくらじんじゃ)さんは、和歌山県新宮市の聖地神倉山にある神社さんで、熊野三山の一山である熊野速玉大社さんの摂社です。中央の岩は、ゴトビキ岩と言って、ご神体となっています。神倉神社さんは、熊野大神様が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。神武天皇様が登られたと言われる天ノ磐盾(あめのいわたて)という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれ、源頼朝が寄進したと伝え
こんにちは!龍神画家の弥生ですドラゴンクリスタルチャネリングカードの44枚の龍画の画家てす***初めまして!龍神画家弥生はこちらから⇒こんにちは!!私最近、歴史にハマってまして、世界の龍マップを作ってます。そんな中、びっくりした事が起こったのでシェア💕皆様、古事記、日本書紀は、名前は知ってるよね。でも実は、もう1冊日本の歴史書として、書かれていた本は知ってるかな?それは、『先代旧事本紀大成経』(せんだいくじほんぎたいせいきょう)ある時まで
今夜‼️夜8時〜メンバー内ディスコードラジオ「土佐邪馬壹国勉強会ラジオ」始まります。45回目のテーマは神武天皇長兄の五瀬命の家系図を検証していきます。陽国王家の系図陰国王家の系図そして名前の秘密㊙️🤫氏名姓名諡号諡(おくりな)とは興味深い日本の建国からの系譜を旅しましょうお楽しみに😄😄😄
鳥見神社(鳥見山中霊畤跡)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原萩原(「鳥見山公園」として整備されており、目前に駐車可、通行困難な道は無いが対向が困難)■祭神[右殿]大山祇御祖命[中殿]皇祖天神[左殿]神倭磐余彦尊伝説の「鳥見山」とされる候補地の一つの山頂に鎮座する社。◎「鳥見山」の有力な候補地が比較的近い位置に二山あります。「鳥見山」は神武東征が完了し天神地祗を祀り「大孝」を述べたとするもの(元祖「大嘗祭」)という側面と、饒速日神の神霊が鎮められたという側面と二つの側面があると
【ナガスネヒコ/神武天皇を襲撃した大和の長】@art.mochida.daisuke神武天皇の宿敵ナガスネヒコ(那賀須泥毘古/トミビコ)を描いてみました。『古事記』でナガスネヒコは、「神武東征」の場面で、神武一行に抵抗した大和地方を拠点とする豪族の長として描かれている人物です。『曽我物語』等ではアビヒコ(安日彦)という兄弟がいるとされています。トミヤヒメ(ミカシキヤヒメ)という妹がいて、ニギハヤヒの妻に嫁がせ、このトミヤヒメとニギハヤヒの子供がウマシマジで古代
「お供えってどこに置くの?」よく聞かれる質問です。段があるタイプの拝殿ならば、そこに置きます。私はこんな感じです。土足であがる場所でもあるので、敷物をしいています。(気持ちの問題です🌸)段に置けない。賽銭箱しかない。そういう場合は、賽銭箱の端っこに置くこともありますが...。お供えの置き方で、神様に大爆笑されたことがありました。奈良県の橿原神宮でのことです。橿原神宮の境内は非常にひろく、社務所と拝殿の間は離れています。大きな鳥居です⛩ちらっと見た時の拝殿です。供物台は..
第517話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(金峯山寺参拝編2)の続きです。旅行の2日前のこと。金峯山寺へ行く方向で決まり、意気込んでいたら、俺の部屋に崇徳天皇さまがいらっしゃいました。(崇徳天皇さまは、京都の白峯(しらみね)神宮にいらっしゃいます)崇徳天皇さま【今回は奈良ということであるようだな奥の方まで参るがいい山を登るとその先にみえてくるのは異界の山峰であるぞ昔は小さな祠があった程度であったが次第に山伏の修練の場となっていったのよあれこれどのくらいの年月
☆神武桜(東吉野村萩原)大和国吉野郡奈良県吉野郡東吉野村大字萩原(アクセスは八王子神社の記事参照)神武天皇が即位四年に天神地祇を祀ったという、「鳥見山霊畤」の「上小野榛原(かみつおのはりはら)」の候補地の一に聳える巨樹。東吉野村の深い山中にあり、根元には祭壇らしき跡。30~40mほど杣道を登ると八王子神社が鎮座しています。見事な樹勢は周囲の木々を圧倒しています。樹齢は不明ながら、神武天皇の時代までは遡られなさそうですが…。「鳥見山霊畤」の真偽云々…樹齢云々…はさておき、この素晴ら
丹生川上神社中社:奈良県吉野郡東吉野村小968八年振りの奈良だ。インバウンド観光客でごった返す京都駅で近鉄特急に乗り換え、橿原神宮前駅へ。レンタカーを借りて明日香村から吉野川沿いを行く。途中、対岸の「平宗」という柿の葉寿司の店に寄る。江戸時代末期、文久元年(1861年)に創業。昭和天皇に献上された鮎の寿司が看板商品のようだが、ここは迷わず好物の焼鯖寿司を頼む。金峯山寺参道の柿の葉寿司はかなりしょっぱいが、この酢飯の味付けはほどほどで、甘味もあってたいへん美味である。丹生川上神社下社には天川村
明日4月25日夜8時〜土佐邪馬壹国勉強会ラジオ始まります。46回目のテーマは神武天皇長兄の五瀬命の家系図を検証していきます。古代日本には一人で数々の名前がありました幼名本名字名(あざな)氏名姓名諡号(しごう)諡(おくりな)とは興味深い日本の建国からの系譜を旅しましょうお楽しみに!
おはようございます!@Ricoです。丹生三社巡礼の続きです。→丹生川上神社下社から中社へ👣(シリーズはこちらから⬇️)吉野|Rのブログ・あなたの世界をいきることRicoさんのブログテーマ、「吉野」の記事一覧ページです。ameblo.jpおさらいを含めて、丹生川上神社中社の全体図↓境内のご案内|丹生川上神社公式サイト1.本殿本殿は文政11年(1828)から約12年に亘って造替したもので、流れ造りの桧皮葺です。建築構造は方四間。柱、桁、梁、斗拱、蟇股等すべて永き年月・風雨によ
奈良でのお目覚めグッスリ眠れたので目覚めスッキリ~さて、待望の朝食ですホテル日航奈良さんの朝食は奈良の名物料理、伝統食がずらりと並ぶバイキング形式柿の葉ずし、三輪素麺、奈良漬けはもちろん茶粥、茶飯、豆乳鍋等々勿論洋食もその場でシェフが仕上げる卵料理や様々な美味しそうモノが並んでおりましたどれもこれも美味しくて、朝食が楽しみなほど!!大満足タカラは迷いなく絶対食べようと思っていた茶粥をチョイスそして興福寺の粕汁も!!茶粥は、お茶でお米を炊いたお
ご自宅で、玄関マットを使用しているという方、そうでない方、ポチッと、応援お願いいたします。スピリチュアルブログランキングへにほんブログ村有難うございます。玄関マットは、外から持ち帰った不要なエネルギーを吸収してくれています。気がついたときにでも、お手入れなさった方が良いと思います。ささっ、本文を読んでくださいませ。先日、橿原神宮に伺ってきました。二度目です。一度目は、大殿様(=徳川家康公さま)より、「暫くの間、江戸を離れなさい」と、大阪に住まいを移し暫くしてからのことです。
人気ブログランキング今日は橿原神宮で起こった不思議な出来事についてです。昨日まですでに橿原神宮について書いてきましたが、今日は、時計の針を戻し、私が橿原神宮に到着したところからです。私は、一の鳥居をくぐり二の鳥居をくぐり、門をくぐって、外拝殿のある広い場所にたどり着きました。今くぐって来た門の向かい側の門が目の前にあります。↓↓上空の雲が、気になるんです。見ていると、
登彌神社(とみじんじゃ)大和国添下郡奈良市石木町648-1(P有、一の鳥居から北西20~30mほどのところに入口があり坂を上る)■延喜式神名帳登彌神社の比定社■旧社格村社■祭神[東本殿]高皇産霊神誉田別命[西本殿]神皇産霊神登美饒速日命(トミノニギハヤヒノミコト)天児屋根命神武天皇が皇紀4年に皇祖天神を祀ったのを創祀とする神社。饒速日神が降臨したとされる「トミ」の地にあり、もう一つの有力な降臨地候補である桜井市のほぼ同じ社名の、等彌神社ともほぼ同じ由緒。◎創建
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その915代応神天皇の母「神功皇后」という女性の神話には聖母マリアが投影されたが、それは応神天皇こそが初代神武天皇であり、「八幡神」だからである。八幡神の「ヤハタノカミ」の「ヤハタ」という名前の発音が、秦氏の「ハタ・ハダ」と同様に、「八幡」は元来、「矢羽田」と書き、それを「ヤハダ」「ヤーダ」と発音したことから、八幡はヤハダ・ヤーダ・イエフダーで、ユダヤである。だからといってそのまま「ユダヤ神社」とすると広範すぎて込められた意味が分からなくなる。