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日本を蝕む”朱子学”の闇その4朝鮮半島への仏教の伝来は、4世紀後半に魏晋南北朝時代の中国から、様々な経路を経て高句麗・百済・新羅の三国に伝搬した。『三国遺事』『三国史記』によれば、仏教は胡人の僧「阿道」(あどう)の手によって高句麗と新羅にもたらされたことになっている。前秦の順道が高句麗に初めて仏教を伝えた2年後の374年(高句麗小獣林王4年)、東晋の僧である阿道も高句麗にわたり、仏教の布教を行ったという。375年(高句麗小獣林王5年)、小獣林王は「肖門寺(省文寺)」を創建してそこに順道
【再掲】ソソノさん好きです♥️歴史書に残る、鉄の女ソソノ。ソソノは卒本扶余(チョルボンプヨ)で最も強力な土着勢力、桂婁(ケロ)部の部族長で、大富豪のヨンタバル(延陀勃)の娘として生まれた。成長したソソノは、卒本地域の有力な土着勢力である北扶余のヘブル(解夫婁)王の側室の孫、ウテ(優台)と結婚し、ピリュ(沸流)とオンジョ(温祚)の二人の息子をもうけた。ところが、夫ウテが死亡し、未亡人となる。(歴史書な中の
令和8年(2026)となりました。今年もよろしくお願い申し上げます。毎年天候も自然災害も国際情勢も激しくなるばかりで、今年もその傾向は続くと思われます。私の場合は、このような時代、常に最悪のケースを考えながら生きていくという生き方を気に入っています。さてどうなりますか。スリル満点の、ヒリヒリするような1年でしょうか?それとも大したことは起きないですむのでしょうか?さて今回久しぶりの投稿は倭の五王についての話題です。そもそも倭の五王の国はどこにあったのか?についてまとめてみま
ご訪問ありがとうございます。今回は東アジアを揺るがした大事件です。「倭の五王」の興王の時の出来事ですが、やはり20年ほどずれて雄略20年(実際は興王の晩年、倭王武の即位以前の475年)に記載されています。20年冬、高麗コマ王=高句麗王(長寿王)が大軍を発して、百済クダラを滅ぼした。そこで逃げ延びた少数の人々が、倉下ヘスオトに集っていたが、食糧も尽き、深く憂い泣いていた。その時高麗の諸将は王に「百済の考え方は我々と違うので、相対するたびに私は不覚を取って失敗いたします。恐らくまた、蔓草
古代日本と百済との交流は6-7世紀の外交・文化的なつながりを示す重要な歴史的出来事です。しかし、『日本書紀』や地方伝承『大内多々良氏譜牒』などの史料には百済の王子である阿佐太子と琳聖太子に関する記述に混乱や矛盾が見られこれらが混同された可能性が考えられます。また、「多々良」姓を賜ったのが推古時代の琳聖太子ではなく欽明天皇の御世に渡来した阿佐太子だった可能性、そして大内氏の主張が虚言であり記録が意図的に改ざんされた可能性についても歴史的文脈から考察することがで
癖になる辛さで知られる「辛ラーメン」、私も時々無性に食べたくなります。そんな「新羅麺」こと辛ラーメンに挑戦状を叩きつけたのが、話題の新商品「百済麺」こと「白製麺」。この白製麺を発売したのは、鶏肉で有名な「夏林(ハリム)」で、イーマートと協業し、あえて「辛ラーメン」を意識した攻撃的なネーミングで勝負に出たということ。新羅と百済、時空を超えた味の対決韓国の歴史に詳しい方ならピンとくるかもしれませんが、実はこの二つの商品名、歴史的な国名に由来しています。日本では新羅(シンラ)
ご訪問ありがとうございます。今回も外交関係のようで、あまりそうではない(^^;)たぶん、いずれかの氏族の「家記」のようなものかと💦「日本書紀」の編纂時には、いろんな記録や言い伝えが残っていたのでしょう。3月、天皇は新羅を親征なさろうと思われたが、神が天皇を戒めて「行かれてはなりません。」とおっしゃった。天皇は是によって、行くことを果たせず、紀小弓キノオユミ宿禰スクネ・蘇我韓子ソガノカラコ宿禰・大伴談オオトモノカタリ連ムラジ・小鹿火オカヒ宿禰(紀氏)らに命じ「新羅は、もともと西
2025年1月2日に、帰省した次女を連れて、福岡市の病院に入院してる母の面会に行きました。行く途中のランチ福岡県宮若市のミヤワカキッチンKOHAKUで食べました次女のパスタお肉ゴロゴロ入ってるミートソースパスタの上に、ホイップチーズクリーム乗せ(無糖)私のパスタローストビーフたっぷりのパスタ2025年1月5日のこと