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【再掲】ソソノさん好きです♥️歴史書に残る、鉄の女ソソノ。ソソノは卒本扶余(チョルボンプヨ)で最も強力な土着勢力、桂婁(ケロ)部の部族長で、大富豪のヨンタバル(延陀勃)の娘として生まれた。成長したソソノは、卒本地域の有力な土着勢力である北扶余のヘブル(解夫婁)王の側室の孫、ウテ(優台)と結婚し、ピリュ(沸流)とオンジョ(温祚)の二人の息子をもうけた。ところが、夫ウテが死亡し、未亡人となる。(歴史書な中の
※この「サイズ」で書かれている文章はこれまでのまとめです。下にスクロール頂くと文字サイズ変わります。■歴史の闇に封印された「エジプト王統」の血脈かつて、私たち日本、そして朝鮮半島の三国(高句麗・百済・新羅)は、海を越えたひとつの「同じ血統」によって統治されていました。彼らの真のルーツを、遥かなる時空の彼方へと遡ったとき、行き着く先は「古代エジプト」です。数千キロという途方もない地理的距離があるにもかかわらず、東アジアの王族たちの名や、今に遺される神話の中には、まるで隠し絵のピースを一枚ずつ嵌
ご訪問ありがとうございます今回ぐらいからいわゆる「崇仏・廃仏戦争」の「丁未テイビの乱」に向けて、いろんなエピソードが語られるようになってきます。つまり倭国でもようやく「記録」というものが生まれたのではないかと思われます。…ということは「記録」を始めたのは蘇我氏が「丁未の乱」の正当性を主張するために書き始めたのでは?と思われます。蘇我氏の傘下には渡来系氏族がいたので、他の国のことも耳にし、また渡来系氏族を史フヒトとして抱えるのも容易であったからです。それでは敏達朝の動きを順次見ていきま
九州と朝鮮半島については、縄文時代よりつながりがあったことが分かっている。当時は我々が考える以上に、たくさんの人が自由に行き来していた。弥生時代になると、朝鮮半島南部から九州への移住(戦火を逃れたり稲作の適地を探すため)が継続的に行われており、こういった人達は稲作や鉄器・青銅器の技術を九州へ持ち込んだ。実際北部九州、中部九州には鉄の遺構が数多くあり、遺跡からの鉄器類の出土数は、日本国内で群を抜いている(鉄器は何を教えてくれる)。鉄器イコール国力と考えれば、北部九州と中部九州に強大な国家があった