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益山(イクサン)って、どんなところ?どこにあるの?多分、ご存知ない方の方が多いのではないかと・・・TTまずは、益山の紹介からスタートしたいと思います!益山市は韓国西南部にある全北特別自治道(全羅北道)の北部に位置しています。韓国全体の地図だとソウルから遠く見えますが、ソウル駅からKTX(韓国高速鉄道)でひとっ飛び!平均1時間20分で行けちゃいます。益山駅には湖南線や全羅線などが乗り入れていて、KTXを含むすべての列車が停車する交通の要所でもあるのです。少し歴史にも触れてみます
上の画像は10年程前に奈良県の談山神社を参拝した時のものです。この日はかなり寒い日で、人影は疎らでした。今でこそ「神社」ですが江戸期までは歴史的人物を祭る寺院でした。その人物とは・・・・・・・645年の乙巳の変で蘇我入鹿の暗殺を成し遂げた中臣(藤原)鎌足です。上の画像は暗殺の状況を描いた有名な絵。装束が平安時代を連想させるもので年代的にとても違和感があります。更に赤く囲んだ鎌足はただ見てるだけで入鹿の首を打ち取ったのは後に天智天皇として即位する中大
「古代出雲歴史博物館」に触発されて、思い出した古代の「七支刀」。歴史の教科書等で目にしたことのある「七支刀」ですが、韓国の歴史ドラマを見ていた時に、それが使われる場面が出てきました。百済の何代目かの王が次に王位を渡す時に、立っている現王が、跪いている次王の(両方の?)肩にこの「七支刀」のようなものの先の十数センチ位の部分を当てる儀式をしていました。どのように使われるのか分からなかったけど、ふーん、そんな風に使うんだと思ったのですが、実際の場面は誰も見ていないので、想像で演出
ご訪問ありがとうございます。今回は東アジアを揺るがした大事件です。「倭の五王」の興王の時の出来事ですが、やはり20年ほどずれて雄略20年(実際は興王の晩年、倭王武の即位以前の475年)に記載されています。20年冬、高麗コマ王=高句麗王(長寿王)が大軍を発して、百済クダラを滅ぼした。そこで逃げ延びた少数の人々が、倉下ヘスオトに集っていたが、食糧も尽き、深く憂い泣いていた。その時高麗の諸将は王に「百済の考え方は我々と違うので、相対するたびに私は不覚を取って失敗いたします。恐らくまた、蔓草