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1986年10月9日、前田VSニールセンの熱闘に酔ったファンは、感動と興奮が冷めないまま、ついにメインを迎えた。アントニオ猪木VSレオン・スピンクスの異種格闘技戦である。「モハメド・アリを破った男」として、スピンクスは紹介されていた。レフェリーはガッツ石松。ガッツ石松は、新日本プロレスとは馴染みがある。1984年の猪木VSアノアロ・アティサノエの異種格闘技戦の時、アティサノエのコーチを務め、ボクシングを教えた。結果は、猪木が延髄斬り連発からのバックドロップでアティサ
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1990年6月12日、福岡国際センターのリング上は、いつもと違う緊張感が漂っていた。誠心会館の館長・青柳政司が新日本プロレスに殴り込み。プロレス対空手の異種格闘技戦だ。迎え撃つのはIWGPジュニアヘビー級チャンピオンの獣神サンダーライガー。空手着の青柳は素手で素足だから拳や蹴りが顔面に当たると危険だ。1R3分で無制限ラウンド。引き分けなしの完全決着戦。関節技も投げ技もOKの何でもありルールだ。ただ、青柳は少年時代からプロレスの大ファンでレスラーになる夢を抱いていた男
1979年4月3日、福岡スポーツセンターで格闘技世界ヘビー級選手権試合が行われた。王者はアントニオ猪木。挑戦者はレフトフック・デイトン。デイトンは来日すると、首吊りパフォーマンスを見せた。普通なら死んでいるが、デイトンは首が強くて首吊りが平気。そして、猪木のバックドロップも通用しないと豪語する。ルールは1R=3分の10R制。寝技は10秒までで、何とチョークスリーパーあり。デイトンはオープンフィンガーグロープをはめるが、たったの2オンス。これは当たれば危険だ。レ
悪夢の4.24東京ドーム。ショータ・チョチョシビリの裏投げ3連発で猪木が完全KO負け。あれから約1ヵ月。1989年5月25日、大阪城ホールで両雄が再戦した。異種格闘技戦、3分10R。アントニオ猪木VSショータ・チョチョシビリ。前回の敗因ははっきりしている。2Rで左腕を負傷して全く使えなくなり、猪木は右腕だけで闘った。普通ならレフェリーストップだが、猪木は絶対にギブアップしないことを知っているレフェリーやセコンドは、止めることができなかった。いよいよ2度目の対決。握手