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【古文】絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。・・・・・・・・・・・・・・・今日は「楊貴妃の絵」のお話です☆【これまでのあらすじ】いつの時代であったか、帝のご寵愛を一身に受け、玉のような御子を生んだ一人の女官(桐壺更衣)がおりました。周囲の反感の中、彼女は亡くなってしまいます。帝は、桐壺への思慕が募り続けます。桐壺更衣への追慕を詠んだ和歌☆そして帝は、さきほど見ていた長恨歌の絵に目を向けます。絵に描ける楊貴妃の容貌
〇昨日、ブログ『西安鐘楼』では、安定門から兴庆宫公园へ行くのに、公交バス45路を利用したと書いた。しかし、本当は公交バス43路であることが判った。それはバスを降りたところが兴庆公园北门だったからである。公交バス45路はここを通らない。〇兴庆公园北门のバス停で下車したまでは良かったが、此処がどこか、位置関係がよく判らない。バスを降りた人が皆東へ向かっているので、たぶん、その方向だろうと後を付いて行った。〇ここの町の雰囲気は、どうも門前町のようだった。皆が東へ行き、その後、道を横切って南へと進ん
〇2024年8月24日、午後、華清池を訪問した。華清池は、また、歌枕でもある。しかし、スペースが十分で無いから、多くを案内できない。これまで、ブログ『白居易:長恨歌』、『杜牧:過華清宮絕句三首』、『崔魯:華清宮』、『杜甫:驪山』、『呉融:華清宮四首・其二』、『張祜:華清宮四首』、『張祜:集霊台二首』、『王建:楊柳宮前』、『王建:秋夜對雨寄石瓮寺二秀才』、『盧綸:華清宮』、『楊玉環:贈張雲容舞』、『林寛:華清宮』、『李賀:過華清宮廟』、『杜牧:華清宮』と案内して来た。〇まだまだ華清宮の作品は存在
今日は5月5日ーー端午の節句ですね。そして、立夏ということで、季節も夏への一歩を踏み出しました。さて、先月の漢詩講座で取り上げた漢詩をもう一首ご紹介します。こちらも杜牧の詩ですが、1月の共通テストに出題されました。「華清宮」というのは、都長安の東に位置する驪山(りざん)にあった温泉地。玄宗皇帝と楊貴妃がたびたび行幸した場所として有名です。*****『華清宮』『HuáQīnggōng』杜牧Dùmù長安回望繍成堆Chá
今回は後宮で皇帝がどのようにして、一夜のお相手を選んだかについて記載していきます。昔から後宮3千人と言われるように、各皇帝たちの後宮には多くの美女がいました。(三千人は恐らく宮女たちすべてを含んでかな)特にお気に入りの人がいなければ、選ぶのが段々めんどくさくなってくるのか・・・皇帝たちは様々なものを使って一夜の相手を選んでいました。運を天に任せるというか・・・「よきに計らえ」みたいな感じなのでしょうか。また、女性たちも星の数ほどいる中からたった一人ですから、そりゃあ必死にな
★世界のニュース速報!★8世紀の中国・唐代に絶世の美女として名を残す「楊貴妃」が、実は道教(タオ)の道士、つまり修行を積んだ聖職者だったことを示す文献が新たに発見されたという。もしこれが本当なら、楊貴妃と、彼女を誰より寵愛した玄宗皇帝との特別な絆の意味が、いっそうハッキリと伝わってくる気がした。何しろ玄宗皇帝は、元は自分の息子の妃だった彼女を、取り上げて自分の妃にしてしまうほどのご執心ぶりだった。ただ、皇帝の妃として迎える前に、世間体を考えて、いったん