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奉天ヤマトホテル「彼も立派なリペンレン(=日本人)ですよ」というセリフとそれを言われた中国人留学生の顔が急に思い出された。なんの話かというと、初めて中国に行った帰りの船での出来事です。行きの船では不安から自然と集団になり、帰りの船では中国での苦労話で盛り上がるというのが中国船旅の醍醐味でした。その時も一月くらいの旅を終えて帰国する若者を多く乗せたフェリー「鑑真」号のレストランで酒を飲みながら失敗談などをネタに盛り上がってました。その中に小柄な老人がいて、管を巻いていました。途中から注
クックパッドブログに掲載していたものですが、サービス廃止に伴いこちらに転載します。2016/3/31私の作る料理の中でオットがとくに好きなのは餃子。手作りの薄い皮に、ニラや長ネギ、白菜の刻んだのをこれでもかと入れて、肉よりも香味が口いっぱいに広がる我が家の味。オット好みに羊の挽肉を使うけど、香味野菜を沢山入れるのは大叔母の餃子の影響なのだ。祖父母の家族は、どちらも台湾で生まれ育った日本人家庭。戦争中の日本の版図を象徴するように、台湾で育った大叔母(祖父の姉
思えばお父さんに褒められたのなんてこの一回だけじゃなかろうか。・・・数年前に父が腸閉塞で入院して退院後に医者によく噛んで食べるように言われ(父は消化に悪いものが好きで早食い)絶対忘れるやろうなぁと思って台所にこれを置いといた。バランスを考えずに「よ」をでかく書いてしまいこうなったこれを見た父は『ほぉなかなか面白い字をかくなぁうまいわ』『ほーか?笑適当やけど?笑』この時あれ?お父さんが褒めるなんて初めてじゃね?ってまぁ子供のころから特に褒められるよう
なんてない日帰り出張だったけど、ついでに実家に帰省してきました(^^♪私、今年会社に入社して25年が経過したのでリフレッシュ休暇が貰える年なのです。貰える権利は平日10日間の休暇と20万円のJTB旅行券クーポンです。『リフレッシュ休暇~目ん玉飛び出た休暇の日数~』私が勤めている会社は、一応大企業なので、福利厚生制度とか人事制度は結構しっかりしている。とは言え、その制度を利用できるのか、福利厚生施設を利用できるのかは全く…ameblo.jp平日10日間(土日をいれると16日間
今日は祝日、手術はお休み😣白内障オペ大好きだから、休みたくないのよねー😂だったら、山練習しかない‼️という事で奥武蔵ウルトラマラソン前半20kmスタート自宅から出発して帰宅したら26kmでした。二つの峠を越えるので高低差はこんな感じ登り坂は全力走で臀筋とハムストリングを使い心拍数も上げ上げで追い込みました👍下り坂は故障しない程度のスピードで走るけど結構、大腿四頭筋にはダメージあります。ラストは3kmは下り傾斜も緩やかになるのでペースアップしてMax3分30秒/kmでー
満州国、1932年~45年まで存在した日本の傀儡政権の領土。ロシアで迫害を受けていたユダヤ人が人口40万人のハルビンにはじつに5万人のユダヤ人が逃げて住んでいました。商売上手なユダヤ人は世界的な富裕層が多く居て、ここにユダヤ人に依るイスラエルのような国を作ろうと考えていました。そこで満州の利権を持っていた日産自動車の始祖の鮎川氏や元総理の岸信介はそのユダヤ資本を利用して経済の拡大を考えていた。ユダヤ資本は毒に例えられたが、美味しいのでフグ計画と言われました。しかし頻繁に起きる反共産党運
2013年6月29日記事英国名「エリザベス」様への鎮魂清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の皇后、婉容様。1906年11月13日~1946年6月20日、わすか40歳足らずのご生涯。1987年の、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品の映画「TheLastEmperor(ラスト・エンペラー)」では、才媛、陳冲才媛(ジョアン・チェン)様が演じられ、空虚で悲壮な皇后の姿をスクリーンに焼き付けておられました。ラスト・エンペラー、愛新覚羅溥儀様。300年近く続いた、清王朝最後の
失われた古代イスラエル民族が日本に渡って来たと言う話。宇宙中央会議のサアラさんは、確かにその通りの歴史はあるかも知れないが、狭い日本列島ですから既に血が混じり合っていて見分けが付かないとも。問題なのは明らかに戦争が嫌いな日本人なのに、政治家や経済人の中には戦争をしたがっている連中が多いと言う事実。さすがに良く見抜かれてます。幕末から日本は、伊藤博文などのテロリスト、在日朝鮮人を利用して支援したイギリスに乗っ取られており、第二次大戦後にはアメリカから日本人であるかのように、満州にいた麻薬
私が満州に興味を持ったのは、児童文学関係のネットで出会った、やぎおじさま、と呼ばれる高齢の男性との出会いがきっかけでした。今から18年くらい前のことですおじさまは、小学校低学年のとき満州から引き揚げてきた経験があり、それを題材にした童話を書かれ、ご自身のホームページには、満州関係の情報を集めて掲載されていました私は、話を聞くうちに、自分が満州について何も知らないことに気づき、取材させてくれるようにお願いしたのですおじさまの出身校、満州にあった新京桜木小学校の同窓会にも何度も
前回の続きになります。改めて満州とは、日本にとってどのような土地だったのでしょうか❓満州は日露戦争に勝利して獲得した日本の特殊権益地域であり、対ソ戦略の拠点(満州のすぐ北がソ連領)としても、重工業発展のための重要資源供給地としても、まさに日本の「生命線」とされた地域でした。ですから、中国側の国権回復の動きに強烈な危機意識を抱いた組織がありました😨それが、陸軍です。関東軍をはじめとする陸軍は、「満蒙(満州
学者もの知らずとは古来云われてきたこと、これが現代のように西洋思想にかぶれればなお更なのです。人が作る社会を共生などというのはおお間違い、日本では昔から”風が吹けば桶屋が儲かる”としてきました。西洋だって蝶の羽ばたきがなんとかと云うじゃないか。つまり社会は複雑な糸の絡み合いで成り立っているのです。コネを使うなどというのも細い細い糸を手繰ってのことです。今日は民間防衛の話の続きです。中共が仕掛ける超限戦、あるいは西洋の云う総力戦とは社会の全ての要素を使い戦争しようというもの
北朝鮮が日本に向けて度々ミサイルを打ち込んでいますが、実は北は親日国です北朝鮮の建国の父と言われている金日成は複数の対日独立運動の闘士、金成柱や金顕忠等を掛け合わせて創られた人物です中野学校の卒業生の「金策」(キム・チャク)こと畑中理は満州にソ連が侵攻した後も北朝鮮に留まり続け、その地で将来有望な北朝鮮の若者を見出し、その青年をソ連に留学させ「金日成」を名乗らせ、東アジアに西洋列強の影響力が及ばない理想国家を創らせようとしたのですそして金日成の正妻の金正淑と「金策」こと畑中理との間に生まれ