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『藤原北家の本流は長男でないことが多かった』の深掘り企画。今回は藤原北家の祖・房前から数えて6代目(来孫)にあたる基経(もとつね)について、やっていきます。日本史上初の皇族以外での摂政となり、人臣のトップリーダーとなった平安時代前期の巨人・藤原良房。最強最大にも見える彼の最大の弱点は「跡を継ぐ子に恵まれなかった」こと。そこで、兄・長良の息子を養子に迎え入れて嫡男としました。その養子に迎え入れられたのが、今回の主役…のはずの、藤原基経。基経は長良の三男で、承和3
貞観8年(866)閏3月10日、大納言の伴善男が御所の応天門へ放火、炎上させたとして逮捕されました。事件は、犯人である善男が左大臣源信(みなもとのまこと)の仕業だと清和天皇に訴え出たことにはじまります。それが讒言だとわかり、事件はいったん振り出しにもどりましたが、『三代実録』によりますと、8月になって大宅鷹取(おおやかのたかとり)という下級官人が応天門を焼いた犯人として善男らの名をあげ、事態は急展開します。ここに、大臣の座を狙う善男が源信の失脚を図り、罪をなすりつける
城里町の石船神社たまに来たくなりますともかく不思議な場所です毎回ドキドキしちゃうのよ矢の根石どうじゃ圧すごいでしょいろいろ写りこむ森の神秘創建清和天皇の御代貞観元年(859年)森との一体感龍がうねるがごとき前に来たときは大きなオーブが飛んできました目の前に
突然ですが今上天皇の諱(いみな=お名前)をご存知でしょうか?そう、「徳仁」(なるひと)様とおっしゃいます。<以下敬称略>今上天皇は第126代天皇。その前の上皇様は「明仁」(あきひと)。昭和天皇は「裕仁」(ひろひと)。大正天皇は「嘉仁」(よしひと)。明治天皇は「睦仁」(むつひと)・・・あ~もうええわ!とにかく皇室男子の諱(いみな)にはやたらと「仁」の字がつく。今上天皇の弟・秋篠宮皇嗣殿下だって「文仁」(ふみひと)だしね。
今回は藤原高子についてまったくの私見で書かせていただくわね。それ誰?と思ってらっしゃる?彼女は9世紀半ばから10世紀初めにかけて実在した女性なんです。その生涯を簡単に紹介するとね↓842年に誕生。25歳の時に清和天皇の元へ入内。その後、2男1女に恵まれ、長男は陽成天皇として即位する。高子は「皇太后」の称号を得て皇族の身分となり、母后としての権力を得た。自ら東光寺の建立に携わり、深く仏道にいそしみ910年に崩御した。かな〜り端
京都迎賓館ガイドツアー①からの続きです『京都迎賓館ガイドツアー①』♫さざんかさざんか咲いた道~お花の奥に見える築地塀に囲まれた場所は、京都御苑にある京都迎賓館です。昨年12月、京都迎賓館のガイドツアーに参加し…ameblo.jp和舟を見た後、一旦正面玄関から外へ出ました。賓客を迎える際はこの門から車列が入り、正面玄関でお迎えするそうです。建礼門と築地塀御所の塀には最も格式が高い五本の定規筋↑がありますが、↓迎賓館の築地塀に、筋はあり