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あるてみすてんぷるの沙羅です。ここ最近、エドガー・ケイシーのリーディングをあることから調べまくっています。ブログに書いたことに対し質問してくださる方がいらっしゃる。それはとてもありがたいことです。そして説明したことにより深めてくださる。また、〇〇を現代レイキの練習会でお話しようと思いましてね、とお伝えすると、すごく楽しみです!とおっしゃってくださる。こちらのモチベーションにも繋がり、これまたありがたいことです。さて、リーディングを読む中で、おお~!となった
あるてみすてんぷるの沙羅です。気持ちのよい青空ですね♪この心地よい青空を見ていると心がスッとするような洗われる感覚を受けます。「ダンマパダ」の1番と2番。似ているのですよ。でも違う。どうして違いを出したのか?1番をご紹介しましょう。「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。--車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。」2番をご紹介しましょう。「ものごとは心に
御教歌人だます工夫はたれもしりにけりさればかしこき人はすくなし人を騙してでも自分が得をする工夫はしても、人を助けていくことに喜びを求める人は実に少ない今日この頃であることをお示しの御教歌です。仏さまはお経文に「衆生(しゅじょう)、垢(く)重く、慳貪(けんどん)、嫉妬(しっと)して諸の不善根(ふぜんこん)を成就(じょうじゅ)する」(法華経方便品)このようにお示しです。私たちのの心は、「垢重く」
愚者は遠くに幸せを求め、賢者は足元で幸せを育んでいる。まさしくこの言葉の通りです。賢者は身の回りに起きていることを全て肯定的に捉え、そのこと自体に感謝されています。そして、足元で幸せを感じ取り、育んでいます。一方、私のような愚者は、身の程を通り越し無いものを追いかけているように思います。まるで自分に諭してくれているように思います。身の回りのありきたりのことに感謝する清らかな心を持ちたいものです。
職場やプライベートで色々あり、平常心を保てないから煩悩を断ち切ってもらうために、高幡不動に行ってきました。少しでもお不動さんの力をいただきたくて本堂に上がらせてもらい観音経と般若心経を聞いたら鳥肌が立った(((;゚Д゚)))更に一心不乱にお不動さんの真言を唱えたらなんだかスッキリ←変なもん憑いてたのかな境内には、甕に入った蓮の花。花言葉は、清らかな心。私も、何事にも動じない清らかで強い心になりたいな
こんばんは、ИAME23です。(^^)GW期間、天気の良い日に海を眺めてきました。この日、風も心地良くて尚且つ綺麗でね。癒やされました。(*^^*)正直、良いことがあんまりない2024年上半期だなぁなんて思いつつ、海を眺めてると感慨深いモノがあります。海のように清らかな心でいたいですね。せめて。以上。
このブログは11月末から下書きしていた文面になります。下書きしては保存を繰り返し、そうしている間に自分の好きなことに没頭していました(^^)※随所に追記文を入れます。私が難病と診断されたのは2014年1月です。その前年…つまり2012年〜2013年の寒い時期に外出すれば手のひらの色が変わることに気づいていました。「急に寒い外気に触れたからだ」と気にもとめていなかったのです。でも、そうじゃない時でも手のひらの色が変わることに気づき始めていました。「なぜ、こんな色になるんかな」と思い
あの世に持っていけるものは心だけしかありません。この肉体もお金も地位も名誉も家も何もかも持って帰れません。この単純な真理を知らないために、どれだけたくさんの人が迷った間違った人生を送っていることでしょうか。欲望とこの世的しがらみに苦しんでいることでしょうか。その心を愛に満ちた清らかな心にすることです。そのためには、仏の心に照らして良心に照らして日々反省し、努力することが大切です。