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水頭症に似た症状で激しい頭痛をうったえている当直の医師が待っててくれるというので直ぐに次女を抱きかかえて大学病院に向かった。向かっている途中も頭痛に嘔吐。どんどん頭痛が酷くなっている。この8時間位で急激な悪化だった。高速を使っても2時間近くの道のりが余計に長く感じた。隣で頭をかかえてもがきながら辛そうにしている次女を支えながら早く着いて!早く着いて!!気ばかりが焦る。やっと大学病院に着くと当直の医師が待っていてくれた。ありがとうございます直ぐに点滴を開始し
水頭症になっていた事から緊急手術をすることが決まり直ぐに手術を行うのかと思っていたが手術は15時~とのこと。それまでこの痛みは??我慢することになるの??手術が決まったことで小児科病棟の個室に入った。直ぐに脳圧を下げる点滴を開始。すると少しずつ頭痛も和らいできた。勿論完全にではないが意識が遠のくほどの頭痛ではなくなっていた。良かった‥‥手術の時間まであの痛みがずっと続いたいたらどうしようかと思っていたよ直ぐに手術開始とはいかずその前にレントゲン心電図
前回の続きです。嫌な予感しかなくとりあえず必要なものの入院準備をして寝室に戻った。入院準備をしている間、長女と実母が次女をみてくれていた。そして、夜中。長女は寝ていて寝ていたはずの次女は起きていた。そして、頭が痛いとうったえる母には、もう寝てもらい私が隣でお腹をトントンしていると次女はまた寝ることができた。しかし、朝の4時頃に次女は起き上がり座った。そして、吐きそうにしている。直ぐに対処できてちゃんと袋に吐くことができた。頭痛に嘔吐。市民病院の時の水頭
同じような治療をし晩期障害など不安に思っておられる方などの参考になればと思い書きます。勿論同じような治療でも放射線量が違ったり化学療法の内容が違ったり元々の免疫力体質などの差もあり個人差はあることが前提としてお読みください。2021年4月。この時次女は生きてました。高校3年間は本当に元気に生活していました。3回目腫瘍ができてしまいましたがその頃についてです。【2021年4月】時点のことです前回の記事でJ医師に言われた副作用や今後についての話。13年経ちその
4月25日術後8日が経過した。今日は長女の中学校に入って初めての参観日の日だった。しかし、次女のCTの検査の予定もあるしまだ術後の痛み発熱嘔吐がある次女を残して行くこともできない。長女には昨夜電話で謝った。長女は気にしなくていいよ!と言ってくれた。本当は来てほしいよなぁ…ごめんね長女心で何度も謝った。参観日は母にお願いした。そんな中、10時位に夫が突然来た「今日は有給をとって早退してきた。次女には俺が付き添うから長女の参観日に行ってあげて」
入院当日のこと脳外科の医師からの話を聞き頭の中が整理できないまま診察室を出ました。泣いてるつもりはなかったのに私は知らない間に涙が出ていたようです。次女はそんな私を見てこう言いました。「必ず治るから!頭の中に何かあるのは忘れて仲良くしようね次女は元気だから泣かないで」7歳の子に反対に励まされて申し訳ない。母としてしっかりしないと。この時に次女は絶対に治るから!!次女の前ではもう泣かない。そう心に決めたのでした。次女は自分のことよりも周りを気遣うそん
【5月29日】病理標本のことが分からぬままだったし付き添えない次女の入院。初めて次女と離れて朝を迎えることで心も身体も落ち着かぬまま朝を迎えた。〇病院に行こうと思っていたバスの便よりも1便早く行くことにした。次女と会い「会いたかったよ~」のバグ午前中はIMRT治療のためクリニックへ。調子が良かったので病院からクリニックまで手を繋いで歩いて行った。クリニックに向かう中手を繋いで歩けることや景色を見ながらお話しながら歩く時間に凄く幸せを感じていた。あぁとてつも
次女の頑張ってくれた記録を残したいという想いとその事を書くことで少しでも誰かの参考になったりお役に立てたらいいなという想いで記しています過去の話となります。そしていつも読んでくださったりいいねくださってる皆様ありがとうございます♡いいねは『頑張ったね!』のいいねと励みになっております。___________________________________________大学病院の2回目の受診からずっと元気に過ごせていた。もうすぐ次女の誕生日で次女の好きなケー
病理診断が出る少し前のこと。夫と私はセカンドオピニオンを考えていた。知人のYさんの10人医師が居れば10人の考え方がある。良いことを言われないならセカンドオピニオンで少しでも可能性を示す医師を探した方が良いの言葉。本当にその通りだと思った。だけれどもセカンドオピニオンと言ってもどこの病院が良いのか分からない。自分達でも調べた。脳腫瘍の治療をしている実績のある病院。しかも小児となるとまた変わってもくる。自分たちでどう探して良いのか最初はよく分からなかった。素人なり
入院3日目やはりほとんど寝られず朝を迎えました。天井を見るたびに「現実なんだ」と思い知らされ打ちのめされる気がする。次女はなかなか起きなくて心配になり何度も何度も呼吸を確認しました。午前中はお風呂の許可がでて入ることに。泡で遊んでいる次女の姿を見ていると愛しくてたまらない。午後からは私の両親が来てくれました。両親は朝長女を中学校に送ってくれた後に自分の家に帰り(実家)家の仕事をし夕方長女が帰る時間になったらまた長女を中学校に迎えに行ってくれて
【4月27日】夜中の2時から点滴のエラーアラームが20分おきに鳴り完全な睡眠不足なんなんだ~~前日は夫の上のお姉さん夫婦そして今日は夫の二番のお姉さんと私の姉がお見舞いに来てくれた。みんなありがとう!の気持ちでいっぱい。次女は比較的元気に過ごした。食欲もありちょこちょこと小分けではあるがしっかりと食べれるようになったしかし頭を手術したことから突然吐くことはまだありお昼にも吐いた。主治医からの話19時過ぎに主治医からの話。結果は夫だけが聞きに
病名が再病理検査によって退形成上衣腫から髄芽腫に変わった次女。そしてそれに伴い治療方法も変更。次女に病名が変わったこと治療方法と治療期間が変わったことを伝えました。その続きとなりますクリニックでの話【6月6日】前日夫が来て一緒に今後の話を聞きそして借りているウィークリーマンションに泊まった。15回目のIMRT治療。クリニックの院長先生との話。上衣腫から髄芽腫に変わったことで脊髄のMRIも撮った方が良いだろうと言われた。髄芽腫なら脊髄への転移もありえるからと
【6月3日】次女の体調も落ち着きつつあるということで退院することに午前中、いつもの通りクリニックにて12回目の治療。前日1/3の治療が終わりまだ折り返し地点までにも行かないけど順調に治療が進み根治できるよう祈るような気持ちで毎回受けている。そして〇病院に戻り退院手続きをしウィークリーマンションに次女と戻った。今日から次女を抱っこして寝られるそれだけで嬉しくてたまらなかった。早めにお風呂にも入り次女との時間を楽しんでいると携帯電話がなった。見ると〇病院のJ医
今日のブログは愚痴も入っております。苦手な方はここまででお願い致します。【6月25日】今日は次女のことが心配でいつもよりもっと早い時間に病院へ行った。脱毛が凄いほとんど抜けてしまった。少し残っているだけ…同室のある子がそんな次女を見て他の子にこう言った。小声で言っているけど丸聞こえ「ねぇねぇ見てあの子!髪の毛なくなってるヤバくない?はげてるんだけど」こっちを見てニヤニヤしながらそう言った。その子はトイレに行く時や次女のベット近くを
耳鼻科受診ほぼ1日中、耳鳴りがしていることが分かったからにはやはり次女も長女と一緒に診てもらおうと予約を取り直しました。しかし、評判が良く人気の耳鼻科という事もありやはり二人の予約となると夕方しか予約がとれませんでした。夕方になり長女と次女の二人を連れて耳鼻科を受診。長女は副鼻腔炎になりかけていて薬が処方され次女は耳鳴りと言うことで聴力検査をする事に。結果低音性難聴と言う診断でした。環境の変化だとか疲れだとかストレスでなることが多いそうです。特に
IMRT治療を受けると決断したのだけれど〇病院とは連絡がとれず心が焦りまくっていたゴールデンウィークの間の平日のこと。夫は休みだったので昼間に次女を見てもらい私は帰宅することに。家のことやお風呂に入るために帰った。家に着く前に次女の同級生たちが学校から帰宅しているのが見えた。まだ同級生達のランドセル姿を見るのは辛いものがあり車を家の駐車場に停めて急いで家に入ろうとしたら次女の同級生たちが私の車を発見してダッシュで追いかけてきた「次女ちゃんのお母さ~ん」「
〇病院のJ医師から次女の病理標本を再病理検査したところ病名が変わった。退形成上衣腫(悪性)→髄芽腫そして治療方法が全く異なるとの電話が入った事で心が全く落ち着かない。病理標本の件(違う名前と病名が貼ってあった)や病名が違うと言われたことで不安と衝撃でほとんど寝られなかった。次女の正しい病名が知りたい。そして正しい治療法にて治療したい。命がかかっているのだから。午前中、いつものようにクリニックへ。そこで副院長先生の診察。次女が診察を受けた後に副院長先生と私で話をし
〇病院にて再病理検査をしたところ病名が上衣腫から髄芽腫に変わりました。病名が変わったことで治療方法も全く変わります。最初予定していた治療よりも化学療法が加わる事になりあと1年以上の治療期間が必要だと言うことになりました。その事についての続きです。次女には病名が変わったことは簡単に伝えていたけれど治療方法についてはまだ伝えておらず〇病院から帰ってから次女に伝えました。本来はIMRT治療全33回が終わると治療も終了し帰れることになっていたのです。次女は、33回治療を受
術後9日【4月26日術後9日】次女はやはり術後の頭痛が酷く座薬の鎮痛剤を入れていた。少しずつ座薬を入れる間隔も延びてきたとは思う。主治医のT先生から病理診断結果はあと2日程度で出ることを伝えられた。結果を聞かないことには何もスタート出来ないのだけれど結果を知るのは怖かった。手術の日に聞いたのは、おそらく悪性の退形性上衣腫であろうと。受け止めて進んでいかないといけないのは分かっているのだけれど怖くてたまらなかった。この日、注射も検査も手術でさえ泣かなかった
脳外科での話病院に到着し重い足取りで脳外科に着きました。名前を言い待合室で待つことに。この時、ずっと名前を呼ばれなければいいなと思いました。このままずっとずっと名前を呼ばれなかったらなって。話を聞くのが怖くて怖くて堪らなかったから。だけど、暫く待つと呼ばれてしまいました。当たり前のことなのだけれど…。心臓の音が聞こえそうなほどにバクバクしていました。緊張しながらドアをノックし診察室に入りました。脳外科のT先生。今までの経緯を改めて聞かれて耳鳴りから始まったこ
入院病棟へそして報告長い間脳外科の待合い椅子で待っていました。どれくらい待っていたでしょう1時間くらい?実際は1時間もかかっていなかったかも知れませんが体感としては長く長く待ち続けた気がします。次女は待っている間に待ち疲れて次女は涙を流しながら寝ました。暫らく待ちやっと病棟の看護師さんが迎えにきてくれ病室に案内され脳外科の入院病棟に行きました。次女は泣きつかれてまだ寝ていたので私は次女を抱っこして移動しました。大切な愛おしい次女を絶対に失うもんか!
1回目の大学病院受診から吐き気は落ち着いて食欲もでてきたしかし、発熱はあった。もらっていた抗生剤や解熱剤を飲み何とか落ち着いた。2回目の大学病院の受診2回目の大学病院受診は1週間後の7月16日だった。採血尿検査採血結果は白血球血小板共に通常よりは少ないが順調に回復してきている。尿検査も問題なし今後の予定は、1週間後に受診。そして8月4日の週に入院しCVカテーテルを入れる手術。8月11日から化学療法開始となった。全身化学療法と言うそうだ。全身化学療法…
【7月5日~7月7日】〇病院のある県から(高速道路を使って4時間)退院し自宅に帰って来た。次の化学療法はお隣の県にある大学病院で3週間後に入院することになった。それまでは自宅で過ごせるそして、今度の化学療法は1年予定なのでそれなりの準備も気合いも必要。だけど3週間自宅に居られることは私も次女も嬉しかった。この間は、私の両親は実家に戻った。両親は次女の入院中は、私の自宅に泊まり込み家事や長女の塾の送迎など全てやってくれていた。本当に感謝しかない。この後、大学病院に
入院9日目手術の前日いよいよ手術の前日が来てしまいました腫瘍が小脳を圧迫している。髄液も上手く流れていない。早く圧迫をとって欲しい気持ちと手術への恐怖で手術日が早く来てほしいのかそれとも来てほしくないのか自分でも分からず複雑な心境でした。この日も、相変わらず耳鳴りの症状はあるまま。主治医のT先生が来て頭の毛を剃る事を言われました。感染したらいけないので全部…と。次女はショックな顔で「ぼうず?」と聞いてきました。なので「直ぐにまた髪の毛は伸びるしウ
おはようございます。本日より一生懸命自分と向き合い頑張って生きて生き抜いてくれた次女のことを書いていきたいと思います。患者側からの立場や病気と必死に向き合おうとあがいていた事からもしかしたら違う立場の方々を傷付けたり医療従事者の方からそれは違うでは?と思われたり不快な表現もあるかも知れませんがその当時感じていた事などを当時のメモや日記を元にありのままの気持ちを書いていきます。宜しくお願い致します。今日は最初に次女が産まれてからのことを書きたいと思います
手術の翌日手術の翌日ほとんど寝られず朝を迎えた。ICUの面会時間は12時。午前中はこれでもかって位に夫と私は泣いた。(長女ごめんね)昨日の医師からの話がショックすぎてなかなか受け入れられない。受け入れないといけないのは分かっていても心がどうしてもついていけないのだ。あんなに頑張ったのにこれで終わりじゃないのか…この先が怖くて堪らなかった。悪性の上衣腫また再発する可能性が高いその言葉がぐるぐるする。泣くつもりはないのにずっとずっと涙が勝手に出てくる。ず