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(永井荷風著『濹東綺譚』木村荘八挿絵8https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/25187)中西アルノがさかんに毒舌ツイートをしたとされるアカウントを中心に、高校2年生後期以降の多感な年頃の彼女の内面の変化を探ってゆこうと思う。私も、偏差値的には共立女子とさして変わらない首都圏の私立中高一貫校(ただし、東京神奈川千葉埼玉の外側にあるため、合格者の学力の分散が大きく、偏差値輪切りにはならない)に通った2児(中西と同じく姉と4歳下の弟)の父であ
『あめりか物語』(1908年)や『ふらんす物語』(1909年)、『腕くらべ』(1918年)といった作品が代表作として知られる小説家の永井荷風は、69歳の頃(1948年)に先ず現在の東菅野2丁目に家を買い、初めて千葉県市川市に住み始めます。その後、78歳の時(1957年)に現在の八幡3丁目へ転居し、その僅か2年後に自宅で亡くなりますが、この八幡3丁目(当時は八幡町四丁目)の家が彼の終の棲家となり(本記事内後述)、そのような縁で2004年には、市川市の市制70周年式典で名誉市民の称号を贈ら
幸田文https://ja.wikipedia.org/wiki/幸田文*写真をいつもお借りしていますm(__)m国府台という地名が出てきました。私にも懐かしい土地です。真間川の桜が美しい。まだ土肌の見える土手のある時代にタイムトリップしてみたいです。そして市川というと、東京のいちぶ、なんとなくわかる気がします。<すがの>幸田さんの章を読みはじめて「濹東綺譚」を思い出しました。もしかして…いや、きっと含んであろう、この文章のなかに「濹東綺
千代田線の根津駅から5分程東へ歩くと根津神社へ。初めて訪れたので、境内をゆっくり散策。根津神社では茅の輪くぐり行事の準備がされていた。6月30日に行われる古い行事だ。茅でできた輪をくぐることで心身を祓(はら)い清める信仰。手順は、本殿に向かって一礼。輪をくぐって左周り、もう一度くぐって右周り、さらにくぐってお参り。塞大神碑…本郷追分(中山道と日光街道の分岐路)の祀られていた道祖神重要文化財の透塀乙女稲荷神社の鳥居。鳥居をくぐることで邪気が払われるといわれ
皆さんが好きなグルメ編これは講座にはなかった話永井荷風が好きだったもの浅草尾張屋での永井荷風好きなものは鰻牛肉牛鍋=すき焼き鮪のぬた烏賊と独活(うど)の甘煮胡瓜もみ牛肉の佃煮(お歌さん作)アイナメの照焼鰻、牛鍋、鮪のぬた、烏賊と独活の甘煮、胡瓜もみと東京人が普通に食べる食べ物永井荷風が好きなお店(浅草)今半(すき焼き)フジキッチン(洋食)浅草ロック座の踊り子達と頻繁に訪れた平成25年(2013)6月30日閉店千束町洋食屋大阪屋(洋食)浅草の老
永井荷風「あめりか物語」殆ど読んだことのない永井荷風。彼を有名にした作品がこの「あめりか物語」です。僕はてっきり紀行文だと思ってたのですが、解説に小説とありました。永井荷風がアメリカ、フランスと渡った経験をもとにして書かれた小説なのですね。現地で見たこと聞いたことが元になっているのでしょうが、小説ということで荷風の思ったことがストレートに出てるのではないでしょうか。あめりか物語と言っても、その多くは日本人のアメリカ移住者の生活とか、紐育(ニュウーヨーク)などの都会の下町の苦しい生活などが描
以前に浅草の吉原を訪ね、投げ込み寺「浄閑寺」を訪ねる・・・もう六年前ごろでしょうか?遊女たちと一緒のお寺に荷風の文学碑と筆塚があり(墓は雑司ヶ谷霊園にあります)興味を覚えていました。今回は荷風の小説や映画の人気作品舞台「墨東綺譚」旧玉の井や鳩の街を訪ね歩きました映画「墨東綺譚」、お雪さんと俄雨で最初に出会う路地一尺四方の小窓で顔を覗かせる1960年・1992年・2010年に映画化され上記は1992年版で出演者:大江「永井荷風」(津川雅彦)・お雪(墨田ユキ)・お久(宮崎美子)
シネマヴェーラ渋谷追悼特集成澤昌茂映画渡世より製作:にんじんくらぶ監督・脚本:成澤昌茂原作:永井荷風撮影:川又昴美術:宇野耕司音楽:武満徹岩佐譲治出演:嵯峨三智子川津祐介進藤英太郎山田五十鈴千秋実杉浦直樹長門裕之菅井一郎浦辺粂子飯田蝶子坊屋三郎菅井きん1962年11月8日公開岡村左喜子(嵯峨三智子)は家業の銭湯を嫌って、船橋から銀座にある税理事務所に勤めていました。ある日、左喜子は所長の佐々木(千秋実)に金が紛失したと疑いを