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中国から流れて来る黄砂に逆らうように、北京へと向かう。都内を抜けて、早春の羽田空港へ向かうのは清々しい。国際線ターミナルに到着すれば、手続きを行い待機、搭乗を待つだけである。長い闘病生活で患者さんは、お疲れのせいか、席に座り落ち着けば、ぐっすり休んでおられた。飛行機はスポットから離れ、滑走路先端から離陸を始める。空に上がれば晴天。およそ4時間で故郷、中国の大地に到着する。北京首都国際空港には、PBLと救急車が既に待機し
隣国を巡り、中国との外交関係が芳しくないが、私達行う海外医療搬送は日々粛々と実施される。ひとりの患者さんに「無事帰国して頂く」この考えには国境も言語もイデオロギーも影響される事ない。とは言え、中国支店の力は大きく、患者さんの移動が決定する前から、中国側では入念な根回しが行われている。快晴の東京。「東京医療搬送サービス」さんのアテンドで、都内の病院を出発、成田空港へと向かった。滑走路から進入し、PBLで機内に入れば、ほどなくして、機体は天高く上が
仙台空港に降り立った台湾の医療チームと共に、宮城から山形へと向かう、山形市内の病院から台北までの医療用ジェットでの重症患者さんのフライト。私達もそうであるが、通常はAirAmbulanceに乗って目的地へ向かい、空港で、そのまま、患者さんをピックアップして、直ちに帰国するhitandawayが通常の流れであるが、今回は重篤な患者さんであるため、患者さんの帰国前日、コマーシャルフライトで医療チームは山形に入った。搬送前日の夜、私達も含めてカンファレ
太平洋に面している宮城県は太平洋から、日本海に面している山形県庄内地方への帰郷搬送。受け入れ先は、日本海側でも鳥海山の麓、ほぼ秋田県の遊佐町。普段なら山形道を利用して庄内に向かうのであるが、今回は太平洋でも三陸側。早朝の出発、宮城を横断して47号線で、鳴子、新庄、最上地方へと走る。移動時間も3時間を越える、鉛色の日本海を眺めつつ、一般道での移動となった。遊佐病院は初めてお伺いする地域病院、東北の郡部には、このような病院が点