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国が異なっても御家族の心情は同じ、飛行機が安定飛行に入れば、御家族はストレッチャーに横たわる、機内カーテンの向こうの患者さんにかけ寄り、手を握り締め「家に帰るよ」と繰り返される。成田空港からのフライトは4時間、福州到着は日没を迎え、上空も漆黒となった。福州長楽国際空港には、いつものように中国空港救急車が待機している。一般のお客様が降機すれば、関係者がなだれ込んで来る。様々なチェックが終われば、今度は患者さんが飛行機から降機、中国独特
隣国を巡り、中国との外交関係が芳しくないが、私達行う海外医療搬送は日々粛々と実施される。ひとりの患者さんに「無事帰国して頂く」この考えには国境も言語もイデオロギーも影響される事ない。とは言え、中国支店の力は大きく、患者さんの移動が決定する前から、中国側では入念な根回しが行われている。快晴の東京。「東京医療搬送サービス」さんのアテンドで、都内の病院を出発、成田空港へと向かった。滑走路から進入し、PBLで機内に入れば、ほどなくして、機体は天高く上が
太平洋に面している宮城県は太平洋から、日本海に面している山形県庄内地方への帰郷搬送。受け入れ先は、日本海側でも鳥海山の麓、ほぼ秋田県の遊佐町。普段なら山形道を利用して庄内に向かうのであるが、今回は太平洋でも三陸側。早朝の出発、宮城を横断して47号線で、鳴子、新庄、最上地方へと走る。移動時間も3時間を越える、鉛色の日本海を眺めつつ、一般道での移動となった。遊佐病院は初めてお伺いする地域病院、東北の郡部には、このような病院が点
23時15分、「緊急地震速報」と共に目が覚めた、何度聞いても嫌な音である。それから間もなく、ゆっくりと揺れが続く、この瞬間、これ以上の揺れが来るのか?と、じっとしてる間は言い表せない恐怖の時間である。揺れが収まり、青森・岩手の支店に連絡、人、物、そして心、全てが大丈夫であった。早朝、参拝した「熊野那智神社」から眺める太平洋は、何事もなかったように穏やかであり、朝陽が輝いていた。「地震怖かったね」と会話を交わしながら、今日も太平洋沿岸の病院へ、患者さん
寒さが身にしみる季節、みちのくの私達にとって、少しでも気温の高い、南へ御移動される患者さん搬送は、少しばかり気が楽である。「寒晴」の東北道を南下、神奈川県・川崎市へと向かう。神奈川の病院に無事転院は完了、直ぐ近くの「らーめん熊大路」さんへお伺い、大休憩を取る事に。店構えから、町中華を彷彿させる、味のある風情。らーめん熊・・と付けば味噌ラーメン一択、チャーシュー味噌を戴いた。白味噌ベース、ボリューム満点、以外にあっさり。し
師走に入り、岩手県から青森・黒石市への搬送。寒波が来る前に、雪に降られる事もなく患者さんは無事帰郷を終えた。青森県と言えば「リンゴ」帰路に立ち寄った道の駅では、所狭しとリンゴが積まれていたが、その値段を見てびっくり。かつてリンゴは庶民の食べ物、今の時期、こたつに入りながら、リンゴやミカンを頬張っていたが、今や、なかなか手の出せない価格、気候変動はここにも影響していた。岩手への戻り道は、あちらこちらに大きくかかっていた冬の虹橋に見送ら
東京駅から早朝の新幹線に乗車するべく、深夜の東北道を南下する。最終到着地点は四国・高知市。陸路、新幹線、陸路と長い移動の一日となる。長距離の御移動でも、様々な事情で飛行機に搭乗が出来ない、患者さんも少なくはなく、ましてや病院の受け入れ時刻がタイトに決まっていれば、移動の手段は限られてくる。東海道新幹線に乗車すれば、3時間半で岡山へ。岡山の介護タクシーさんの協力を得て、ここからは陸路移動、瀬戸大橋を渡り、2時間程で無事に高知市内の病院に
福島県にはいわきの浜通り地方の北側に、相双という地方がある。この付近は医療圏では宮城県に含まれる。この日、宮城県境、相双エリアに、複数の搬送車輌が集まり、宮城県内へと患者さんの搬送。その後は、宮城県から福島県浜通り、いわき市までの搬送となった。標榜課目外の専科搬送もあれば、故郷への帰郷搬送も、患者さんが御移動される理由は様々。年末年始にかけて、このような移動はピークを迎える。入院中に限らず、誰であってもジングルベルや除夜の鐘
平年並みと言えば聞こえは良いが、11月であるのに青森の山間部はしっかり雪が降っている。こんな日に限って、青森県までの搬送が重なる、いつもお世話になっている、青森駅に降り立った「民間救急北海道」さんもビックリの積雪道中の高速道路はご覧のとおり、雪、雪、そして雪。青森市内も、沿岸に行けば鉛色の空と海。確実に冬将軍は近づいてきている、この雪で世間に脅威をもたらしている、「熊騒動」も鎮静化してくれれば良いのであるが。http://lieben-ems
深夜、ヘッドライトに浮かび上がる青森県・八戸市の大病院。救命センター入口、に静かに滑り込み、東京までの搬送が開始される。相変わらず、気温は低いが風もなく、穏やかな初冬の朝。東北道を南下すれば、東の空が茜色に染まって来る。時間にして8時間半、道中、栃木県・佐野サービスエリアは、紅葉の真っ只中であった。穏やかな冬空は都内に入っても変わらず、晴天のまま、東京墨田区の病院に到着した。師走にかけて、海を越え、県を跨ぎ帰郷する患者さん。
青森、岩手の部隊は当然だが、南東北も所によっては雪模様。この日は宮城から月山道を通り、山形県鶴岡市までの患者さん搬送。東北道から山形道に入り、笹谷トンネルを越えるまでは良かったが、月山パーキングではご覧の積雪。標高も高く、これからの時期は何時通行止めになっても、おかしくない道路である。庄内側に下って行けば、再び冬の氷雨。片道2時間半ほどの搬送は無事に終わったが、本格的な冬が来れば、雪との戦いが始まる。http://lieben-em
北海道・釧路を出発して、羽田経由、中国大連へ向かう患者さん。御家族様と共にようやく帰国出来る喜びは、ひとしおであろう。北海道を出てから、全区間青空の海外患者搬送は珍しい。日本海から、韓国上空を通過して、黄海へ抜ける、右側には遠く平壌も見える。高度が下がれば、黄海から遼東半島に入り、やがて中国東北の大都市、大連市上空。私達の中国での本拠地がある街でもある。軍事共用空港であるため、かつては写真御法度のアナウンスが流れていたが、今は
北海道、釧路到着から一夜明けて、国際患者搬送の準備のため病院へと向かう。患者さんの容態は安定、ここから長い帰郷の旅が始まる、転院の引き継ぎも入念に行われた。病院から釧路空港までは陸路で1時間程、羽田までの機内ではストレッチャーを使用する。釧路空港を上がれば、眼下には列島がしっかり見える。2時間程の国内フライトで羽田空港に到着。羽田国際空港では、ターミナル移動のため、患者さんはリクライニングの車いすへと移乗、ターミナル3に到着すれば、次
旅行・仕事で赴いている方等多くの邦人が国外で、多くの外国人が日本で暮らしてらっしゃる。出来れば私達のようなサーヒスを利用せず、全ての行程を無事に過ごされ帰郷される事が、望ましていことであるが、長い人生、思うようにいかない事もある。今回の出発点は北の大地、北海道・釧路市、行き先は中国、東北部大連。国内で乗り継いでの国際患者搬送となった。海外患者搬送チームは札幌千歳空港に集結、メンバー集結と乗り継ぎまでの時間がたっぷりあったため、本場、札幌ラーメンでお腹を満
深夜、県北の病院を出発し、静岡県東部、沼津市までの搬送。この日は大気が不安定、雨も降ったりやんだり、とにかく深夜の高速を安全に南へと向かう。数時間後、陽が昇り始め、前方には富士山が見えて来るはずだが、あいにくの天候で拝顔出来ず。サービスエリアで何度か休憩を取りながら、静岡県、三島市の病院に無事到着。あいにくの雨で時間は随分とかかったが、長距離の搬送は完遂した。帰路は、病院から10分ほどのめんたいパーク伊豆で大休憩。明
初冬に入り、関東方面への搬送が続く、今回は神奈川県海老名市までの搬送。心変わりする秋空の中、晴天に恵まれたのは幸いであった。順調に東北道から、東名道へと流入、天候が良いため、富士山がお出迎え。6時間程の搬送は無事に完了。出発時刻が遅かったため、帰路は、きれいな夕焼けに見送られた。渋滞を回避して、佐野サービスエリアまで戻り休憩。佐野ラーメンで暖を取り、冷え込んできた東北道を北へと向かった。http://lieben-ems.co.jp
霜月に入り今年も残すところ2ヶ月、師走に向けて患者さんの帰郷移動が始まった。宮城から愛知県豊橋市、渥美半島付近、三河地域への患者さん搬送である。早朝の仙台駅、長きにわたりお世話になった、多くの関係者のお見送りを受け、「はやぶさ」で移動開始。東京駅で東海道新幹線に乗り換えれば、90分で豊橋に到着、総行程は5時間、車で東京に向かうよりも早い。愛知では「フィルタス」さんのお世話になり、豊橋市内の病院へ移動し帰郷旅は無事に完了。トンボ返りで仙
東北はここしばらくの間に、いっきに冷え込んで来た。朝夕の冷え込みは厳しく、気温は5度前後、5時半になっても外は真っ暗、確実に冬が近づいている。この日は太平洋沿岸250キロをいっきに南下する、患者さんの移動。風は強いが、その分、雲が流され、青空が覗く、冬晴れの良いお天気である。福島県いわき市まで3時間半、車窓から外を眺めてだけいれば、気持ちの良い搬送であった。無事に患者さんの移動が終われば、いつもの四倉パーキングへ立ち寄り、ビッグ天丼と、
24時間に及んだ幼い命の海外搬送が無事に終わり、ホテルにチェックインしたのは午前0時、部屋に入れば深い眠りにつく。翌朝、ホテルの外に出るとパースの街を、オーストラリアクロトキが闊歩している。自然で自由な場所である。帰国便まで時間があったので電車に乗って近くの海へ、今回の移動は全て電車である。美しい砂浜の向こうにはインド洋が広がり、ここから飛行機で数時間も飛べば南極大陸、ある意味、地の果てを感じる。陽が落ちる頃、前日到着したパース国際空港
世界一美しい街と言われるオーストラリア西部の都市パース、ここが今回の海外患者搬送の目的地である。パースから南極大陸までは僅かに2000キロ、空・海・緑の調和がとれた街である。オーストラリアまでの国際患者搬送は2度目、出発地点は関西の病院、患者さんはICUに御入院中、人工呼吸器装着の幼い子供であり、病歴と脳圧の関係から渡航自体が難しい状態であった。日本での入院中、幼い命は一進一退の病状を繰り返し、日・豪、双方の病院医療チームはもちろん、多くの関係者
ほぼ毎週お伺いしている、青森県・八戸市、つい先日までは、深い緑であった山々は、錦に色付いている。岩手山・八幡平も雪が降り、ところどころ白くなって来た。八戸道も平場まで、パッチワークのように色とりどり。大事なくいつも通りの搬送を終えれば、トンボ返りで盛岡リターン、再び午後の搬送へと向かう。http://lieben-ems.co.jp
秋の晴天が続く中、東北道を上り埼玉県との境、東京村山市までの搬送。気温は低いが、澄みわたる空気は心地よい。長い道中、秋の通り雨が過ぎれば、直ぐに虹がかかる。道中、福島で休憩を取りながら、6時間程の搬送。無事に長距離搬送が終われば、関東でチェーン店を展開している、ラーメン「はやし田」さんで大休憩。ラーメン一杯が1000円を超える時代、お客さんの期待を超える一品を提供したい、と言うコンセプト通り、シンプルではあるが、奥の深い味わいのラ
あっという間に初冬の様相を呈している列島、北海道・北東北では雪の便りも聞こえている。今回もみちのくを縦断する形での移動、福島県相馬の病院を後にして、常磐道から東北道へ向かう。目的地である、岩手県宮古市に近い岩泉町は、日本三大鍾乳洞の「龍泉洞」で有名であり、海にも面しているが、ほぼ岩手内陸の町である。東北道から、455号線に入れば、見渡す限り紅葉で色付き、さしずめ「紅葉街道」。紅葉に迎えられ、故郷の病院に到着、5時間の御移動はあっという間
夜間飛行を経てハワイ到着時刻が午前11時、お昼時である、日本時間では早朝。ホテルのチェックインには少しばかり早い、小腹も空いたので以前、キャスターをしていた、故小倉さんが開店したラーメン屋さん「なかむら」に足を向ける。時間帯もあるのだろうが、多くのお客さんで賑わっている注文は評判のオックステールラーメン、味はそこそこであるが、一杯26ドルには眼が飛び出た。国際患者搬送ではいつもの事、ホテルにチェックインすれば、泥のように眠りこけ、覚醒した時
仙台空港から神戸経由で沖縄入り、緊急の国際患者搬送では、患者さんのいらっしゃる現場に向かう航路も、直行便とはいかない。今回は沖縄から関西経由、ハワイまでの海外患者搬送。患者さん帰国移動の前日に那覇に入り、病院とのカンファレンス行政的な手続きを終え、翌日のロングフライトに備える。今回の国際搬送チームは、前回のロンドンからの海外搬送と同じチームだが、この部隊はどうも雨にたたられるようで、沖縄は大雨。帰国日には少しでも天候が回復するよう、
すっかり冷え込んできた日本列島、予想通り今年の秋は短く、いっきに冬が来そうな気配。秋晴れではあったが、気温が中々上昇しない天候の中、東北道から磐越道を通り新潟県・村上市までの搬送。会津若松付近は標高があるせいか、磐梯山周辺の山は、紅に色付いていた。これからの季節、東北一円は、紅葉が下りて来て、晩秋の風景を眺めながらの患者さん搬送となる。http://lieben-ems.co.jp
晩秋の東北道を南下して栃木県へ、最近は、関東までの移動に常磐道利用が続いていたため、景色が新鮮である。5時間程の栃木県、宇都宮までの搬送が無事に終わり、市内を走れば、かつて日本中を走っていた、市電と呼ばれる「宇都宮ライトレール」に遭遇。大井川以北の東日本では、今や5都市しか運行していない、珍しいと言っても過言ではない「市電」である。恐らく最新型の電車なのだろうが、かつての「仙台市電」を思い浮かべながら大休憩に。今回は北関東道を抜けて茨城県
海外患者搬送のお迎えで、成田空港チャーター機エリアへ。おりしもこの日は成田空港で、大規模航空機事故訓練が行われていた。車両が救急車であるため、訓練会場に誘導されそうになる。事情を話してようやく、チャーター機エリアへ進入。今回は中国支店がハンドリングの、重症患者さんをみちのくまでの搬送。医療用チャータージェットの機体は、中国医療救援のDassaultFalcon2000、テールナンバーはB-1999、北京を中心に世界中に国際医療搬送を行って
出来る事なら、民間と言えども、私達の様な救急サービスは生涯利用せず、誰しもが健康で過ごされる事が一番良い。しかし人生は中々その通りとは行かず、不慮の事故や病気に臥し、緊急に故郷を目指すケースも多い。台風の接近で芳しくない天候の中、岩手県から福島県までの緊急搬送。東北道を南下するにつれて、雨は上がり時折、青空が。目的地、郡山は晴天、同じ東北でも随分と違うものである。4時間程の長旅となったが、患者さんは無事に福島県・郡山市の病院に
朝方、マニラ市内のホテルにチェックイン、いつもと同じくパタンキュー、泥のように深い眠りに入る。目を醒ましたのは、かろうじて午前、朝食を食べれば、昨晩到着したアキノ空港へ再び向かう。この時期のフィリピンはどんより曇り空、梅雨の日本に近い気候かも知れない。晴れたり曇ったり、滑走路から上空へと帰国便は舞い上がる。往路に夜光虫のように煌いていた、マニラの街がはっきりと見えて来る。フライトは終始曇の上、時折、巨大な積乱雲が目に入るって来る。