ブログ記事425件
人気ブログランキング私と蘭丸から読者の皆様へ今日はちゃんの71回目の月命日ちゃんが天の国へ逝って6回目のちゃんのいない9月避妊手術を終えて2週間が経ったちゃんと母この写真を撮った数日後ちゃんは抜糸をしてその数日後母は入院しました母はこの年の6月初めに結腸癌と告知されちゃんの赤ちゃんが見たいと避妊手術を反対していた私でしたが母に説得され母が「私が元気なうちに...」とちゃんはこの年の6月終わりに避妊手術を受けま
検査入院をした大学病院で脳腫瘍が発覚した母。疑わしい箇所だけではなく、全身検査をしてくれたようで、その結果乳がんと歯の欠けも見つかった。乳がんは細胞診をして詳しく検査。かなり小さいことと、年齢的に進行はとても遅いだろうということで様子見、無治療になった。歯の欠けに関しては大学病院内で3回ほど治療をして、ブリッジを作ってくれた。結果的に、母は脳腫瘍の術後、普通の生活に戻ることはできなかったので、あまり装着することはなかったけど、少しでもQOLを上げるために入院中にベストを尽くしてくれ
愛していると言ってくれリアルタイムでも観ていました再放送も観たことがあり…数年ぶりにレンタルして今日7話めをみたのですが2人の恋愛とは別の話で泣けてしまいました↑スタイルの素晴らしさ✨大志くんもきっとシルエット素晴らしいよね😃ではお話に移ります付き合い始めた2人は初めての動物園初めての映画そして初めての雨そんなことも嬉しい喧嘩もしたが乗り越えて順調に付き合い始めた頃1人の女性がひろこの前に現れるそれは10才のコウジを残し家を出た実の母だった母は週刊誌
私達が別れる時間と覚悟する時間をくれた母はついに旅立ちました。『延命措置の事実母の場合①』実母は45歳で脳出血で倒れ、右半身不随になりました。右半身不随になると言語障害を合併する事が多いのですが、幸運な事に母に言語障害は出ませんでした。母が倒れたの…ameblo.jp『延命措置の事実母の場合②』前回の続き『延命措置の事実母の場合①』実母は45歳で脳出血で倒れ、右半身不随になりました。右半身不随になると言語障害を合併する事が多いのですが、幸運な事に母…ameblo.jpもし、3月に危篤
うなぎの皆様、あんにょん!ワァ~~~~~~イ!11月2日(木)21時から、親分コメント出演だって。もう、忘れてたわ。ハハハでも、よかったね。コメントでも出演できるってことは嬉しいよね。親分・・・さっそく見なくちゃ。と思ったら、飲み会だった。ゲロゲロでも、スマホから見れるか。挑戦だな。さて、今日は動画がアップされてましたね。追悼の行列弔問に訪れた芸能人や関係者多数この動画を見るとどれだけ愛され、慕われていた俳優さんだったかがわかります。
Aloha🌺日本に着いた翌日にお通夜その次の日がお葬式でした。滞在ホテルから歩いて2分くらいでした。母に会うまで何も信じられない。朝早ったので誰もいなく母に対面。まるで今にも口もとが動きそうで喋りかけてきそう。嘘でしょう!!!ママ起きてよーとしか声がかけられない。何も信じることができない本当に。お葬式の日になり、棺の上に一枚の布をかけることになっていてその裏にみなさんメッセージを書いてくださいました。わたしが知らない母との交流をもった方、わたしたちの家族、親戚一
膠芽腫の説明の時、手術後はサポートを受けながら自宅で生活する人も多いと聞いて、介護の相談のため地域包括支援センターへ。幸いなことに、実家から歩いて3分ほどのところにあったので、気軽に尋ねることが出来た。相談員さんも穏やかでとっても話しやすかった。事情を話し、その後は訪問員さんからの連絡を待つことに。同時に病院で主治医の意見書を依頼。電話はすぐに来て次の週に大学病院へ来てくれることになった。当日は「介護度重い方がお金でるからね今日は何日?って聞かれたら、適当な日にち言ってよ。」って私
兄と兄嫁は毎週必ずホームに来る。洗濯物の回収にね。兄は遺産相続の時に『俺が母親の面倒を見る』とそう断言したからだから必ず毎週来る。母の顔を見るわけではなく声をかけるわけでもなく一緒に散歩なんてとんでもない母の洗濯物を回収し、補充していくたった5分ねそれでも兄は『俺たちはよくやっている』そう言いたいんだろう兄の家からホームまではわずか5分で行けちゃうからね私たちは電車に揺られ1時間。そして駅からバスやタクシーで20分混んでいる時は2時間もかかってしまう。それでも母の
Aloha🌴お葬式が終わりわたしは母の写真を胸に抱き火葬場へ。最期のお別れは…とてつもなく辛いものでした。それまで涙が出なかった。旦那さんをガンで亡くした時もなぜか涙がでなかった。けれど最期の最期のお別れは思い切り泣きました。それまでは突然だったのでなんで!ウソでしょう!ママ起きてよ!だったけれど火葬の直前はママありがとう!!ありがとう!ありがとう。パパが待ってるね。と。言葉が変わりました。感謝しかありません。火葬が終わり肩を落としながら葬儀場へ戻
2021年の私の脳内?脳内メーカーまったく信じてなかったけど驚いた昨年母が亡くなって凄く寂しかった母との別れで寂しいそう思って当たってるねって夫と話した夫の脳内メーカーは食いしん坊の夫が好きなものも食べれなくなってて当たってるねって夫と目を見合わせた昨日の事のように思い出します2021年私の脳内恐いくらいに当たってしまった寂しい寂しい寂しい寂しいで毎日何とか生きてる悲しい大当たり【寂】だけの私の結果を見て夫は何を思っ
先日、母が亡くなりました。遺言通り、私の家族4人のみで見送りました。そしてこれも遺言通りに、葬儀告別式というほどのことはせず。葬儀屋さんの提案で「納棺式」を行ないました。納棺師さんの湯灌や着付けを見守りお手伝い。お顔剃り、爪切り、シャンプー、トリートメント、頭皮マッサージ、お顔にパックまであんなにお肌ツヤツヤ、ハリのある母の顔は見たことがありません。次にメイクは指導を受けながら娘たちがベースからファンデ、眉、アイメイク、チーク。最後の口紅だけは私がやりました。ヘアセットもして、
手術前は体調の悪さや身体の異変はあったものの、母はいつもの母だった。ところが、術後はたまに違う世界にいるようになった。実家にアシナガバチが住みついた話をすると、数日後には病室にも蜂が現れ怖がるようになった。来ていないはずの親戚がお見舞いに来たことになっていたり、若い男性の看護師さんが子供をたくさん育てるシングルファザーになっていたり普段全く電話しない人に電話をかけて、通じてるのか通じてないのかよくわからない会話をしたり。中でも1番多く登場したのは父。一時期、病室では父がいるのが当
さらばじげ風呂リブログ版2013年8月1日**************************さびしい部屋テーマ:ブログ2013年08月01日復刻版ばあやの部屋が急に寂しくなりました。たった一ヶ月の終末自宅介護でしたが、みんなのお見舞いもいっぱい受けてうれしそうでした。もう少し時間があるとだれもが思った時、誰かがやって来て、母のわずかな命のともし火を吹き消したようです。40年前に死別した親父なのか、母が介護にあけくれた父母なのか、それとも同
脳腫瘍はできるのが脳なだけに、できた場所によって様々な変化が考えられる。あくまでうちの母の場合にはなるけど、兆候だったかなと思われるものを残しておこうと思う。検査をし発覚したのは5月。私が見ていて気になることが出てきたり、母が後から「そういえばあの頃から・・・」という兆候が出てきたのはその年の2月頃。・とにかく疲れやすくすぐに座る・顔色が時々悪い・指がうまく動かない時がある・靴が片方だけ脱げる・マレットゴルフが得意だったが、ボールを思うところに打てなくなる・連絡が頻繁になる(こ