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【問題】武田信玄の子・信清は、武田家滅亡後、次のうちどの家を頼ったか?【選択肢】織田家毛利家上杉家南部家【正解】上杉家【解説】武田信清は信玄の六男(または七男)で、武田家滅亡時は僧姿に変装し高野山に逃れた。後に、姉の嫁ぎ先である上杉家を頼り、家臣として厚遇された。
•••さて!今回のお買い物記事は初ですかね?『デカール』のみという…あっ、デカールというのはプラモなどに使うシールなのよ(@ ̄ρ ̄@)←それでは!\(〃゜Д゜)ノ{…物欲バンザイ!あっ、ところで…この季節といえばパンのシールが有名ですよね?ということで?タイトルの元ネタもここに書いておきますわ(@ ̄ρ ̄@)←香澄ちゃん「赤チェック袋きたーーw」蘭ちゃん「ここでは定番の袋だからねw」有咲ちゃん「ということは、鉄道模型のお店ってことだが…この袋の薄さは……」香澄ちゃん「タッキーで
元亀四年四月。三方ヶ原で徳川家康を破り織田信長との決戦も視野に入った作戦の途上。病に倒れた信玄は勝頼と幕僚達を集め遺言を託した。我が死を三年の間秘匿し孫の信勝元服までは勝頼を陣代とする-。今回取り上げるのは信玄亡き後の最後の当主となった武田勝頼の軍装です。-強過ぎる大将。甲陽軍鑑にそう記された武田勝頼。信玄亡き後の武田家を率いた勝頼は父、信玄より家督では無く陣代とされました。陣代とは家督継承する次期当主が自ら統治するまでの代行、繋ぎの役とされます。しかしその陣代勝頼は父の版図を大きく塗り替え