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元亀四年四月。三方ヶ原で徳川家康を破り織田信長との決戦も視野に入った作戦の途上。病に倒れた信玄は勝頼と幕僚達を集め遺言を託した。我が死を三年の間秘匿し孫の信勝元服までは勝頼を陣代とする-。今回取り上げるのは信玄亡き後の最後の当主となった武田勝頼の軍装です。-強過ぎる大将。甲陽軍鑑にそう記された武田勝頼。信玄亡き後の武田家を率いた勝頼は父、信玄より家督では無く陣代とされました。陣代とは家督継承する次期当主が自ら統治するまでの代行、繋ぎの役とされます。しかしその陣代勝頼は父の版図を大きく塗り替え
歌川国芳(一勇斎国芳)の武者絵「甲越勇将伝武田家廿四将三討死之内諸角豊後守昌清」。1847年頃の作とか。敵を討つ瞬間が、現代の漫画やアニメにも通じる表現と構図で描かれている。光のような血飛沫の表現が何とも凄いね。
皆様、今晩わです(^-^)/寝る前に甲州金の事を少々お話しします。戦国時代は各地で金山開発が進められました。武田氏の場合は(甲州金)と呼ばれる金貨でした。甲斐の金山と言えば代表的なもので黒川金山・湯之奥金山の二つです。最も採取量が多かったのが山梨県塩山市上萩原にある黒川金山でした。金山を開発していたのは金山衆ですが、彼らは武田家家臣ではなかったそうです。金山衆は金山開発だけではなく、土木技術を生かし(信玄堤)等の事業にも積極的に取り組みました。甲州金は、軍資金や恩賞に利用されま
※長篠・設楽原合戦屏風絵図と案内板…原本は、公財)犬山白帝文庫所蔵です設楽原古戦場に行きました!パート3️⃣①設楽原の戦い〜はじめに僕は、故新田次郎さんの小説「武田信玄」「武田勝頼」を、中学生の頃図書館で読んで、戦国大名武田家が大好きになりました⚔️今、思い返してみると、よくあんな分厚い小説読んでたなと思います。歴史漫画も今はたくさんありますが、当時は「信長」(池上遼一さん)「花の慶次」(原哲夫さん)なども出ておらず、その