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長篠合戦を映画などで見ると、サラブレッドに乗って馬上槍を持った武者が集団で突撃してきて、柵の陰から一斉に鉄砲が放たれて、武者が次々と馬から落ちるといった景色になります、多くの人は実際の長篠合戦もこんな感じだったと思っています。武田騎馬隊という言葉も流布しています。戦国時代の軍勢で騎馬隊という編成は存在せず、騎馬による集団突撃もありません。武田のような兵農分離に至らない軍勢は、小領主が木曽馬サイズの小さな馬に乗り、自作農からなる徒武者と小前百姓からなる雑兵が従うという編成であり、この集団
元亀四年四月。三方ヶ原で徳川家康を破り織田信長との決戦も視野に入った作戦の途上。病に倒れた信玄は勝頼と幕僚達を集め遺言を託した。我が死を三年の間秘匿し孫の信勝元服までは勝頼を陣代とする-。今回取り上げるのは信玄亡き後の最後の当主となった武田勝頼の軍装です。-強過ぎる大将。甲陽軍鑑にそう記された武田勝頼。信玄亡き後の武田家を率いた勝頼は父、信玄より家督では無く陣代とされました。陣代とは家督継承する次期当主が自ら統治するまでの代行、繋ぎの役とされます。しかしその陣代勝頼は父の版図を大きく塗り替え
歌川国芳(一勇斎国芳)の武者絵「甲越勇将伝武田家廿四将三討死之内諸角豊後守昌清」。1847年頃の作とか。敵を討つ瞬間が、現代の漫画やアニメにも通じる表現と構図で描かれている。光のような血飛沫の表現が何とも凄いね。