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2022年11月娘は10歳になりました!娘の希望でサーティーワンのスプラトゥーンケーキ2023年2月大学病院受診日この日で整形外科は診療終了となりました!整形外科の担当医は「もう大丈夫だと思うので、あとは小児科の先生に診てもらってね」と言いました。え、経過5年みなくていいの?とも思いましたが、放射線科に続き、整形外科での経過観察も終了みたいです。小児科に行くと、「次は半年後の検診でいいよ!夏休みに会おうね!」と言ってもらえました検診も半年に一回になりまし
◎10月3日(火曜)(VAC113日目)再発してた。お腹のシコリは3週間前は変化なかったのに1cmくらいになってた。VACからたったの3ヶ月、113日で再発確定。早すぎる、いくら何でも早すぎだ。明後日PETで10日に入院して細胞診で、そのまま入院して上手くいけば13日頃から新しい抗がん剤を始める予定。喉は画像上何ともない。私もつかえ感は感じてない。「なら、今はお腹の所だけでしょ?そしたらお腹だけ切って下さい!」と先生に言ったが、「他の所にもまだ見えてないだけで癌が潜んでる可能性
耳鼻科で食道の腫瘍を指摘されてから数日後、消化器内科を受診した。「まずは生検してみないと何とも言えないから胃カメラで生検しましょう」「腫瘍がかなり大きいので、うちよりも大学病院の方が良いと思う。」「どちらにせよ、生検は必要だからすぐに胃カメラの予約入れます。大学病院にもなるべく早く行った方が良いから、こちらから最短でいつ診てもらえるか確認します。」と先生が言った。後日、胃カメラをした。腫瘍の場所が食道の入口だったらしく、胃カメラ中、ウェッウェッとなり生検がスムーズに出来ないため、途中
共同代表のららです。今回は会の自己紹介の1つとして、どのようにこの会が立ち上がったのかをテーマで書いていこうと思います会が立ち上がったのは、皆さんいつかご存知でしょうか?2018年3月に、当会は誕生しました。それまでにも横紋筋肉腫の家族会のようなものは存在していたようですが、2018年付近で公式に活動されている団体はありませんでした。私自身は愛知県在住で、2016年1月から息子が闘病を経験しました。その当時にこのアメブロを通じて、横紋筋肉腫で闘う全国にいる他の家族と
生検の結果がついに出た。型が分かった。先生が今後の治療も含め、詳しく説明したいとの事なので、旦那と妹に同席してもらった。久しぶりに2人の顔を見ると、これからの説明の不安と安心とで大泣きしてしまった。やはりコロナでカーテンを締め切り、看護師さんと先生だけしか話せない毎日はメンタル的に相当やられる。私以外の人はどうなんだろう?ここまで結果が全部悪かったから、最悪なケースしか考えられなくなってる。癌になった、普通の癌じゃなかった、手術できると思って望みかけて大学病院行ったら転移してて手
◎10月1日(日曜)(VAC111日目)午前中、次男の⚾練習試合だった。今日は、いつも練習している小学校のグランドでの試合だったので、長男の返事は想定内だが一応声かけてみた…『行くわけないじゃん。』と一喝💦あっ、そうですか😅相手はこの近辺では1番の強豪チームなので『大差で負けませんように💦』…だ😅次男はファーストを守り、エラーもあったが声は良く出ていた👏強豪なだけに、守備が上手い!打っても全てアウトになり、我がチームの攻撃はあっと言う間に終わり回転が早い早い💧いつも(愛のある)怒
2022年8月17日病院に入院した。4人部屋だっだ。コロナのため、カーテンでそれぞれ閉めきられており、どんな方が入院してるのかさえ分からない。トイレに行く時に運良くすれ違えれば軽く会釈する程度だった。入院したての私は不安と絶望しかなく、カーテンで仕切られたベッドにこもっていると、気が変になりそうで、このまま鬱になるんじゃないかと思った。看護師さんが話しかけたり、色々聞いてきたりしてくれたが、「うるさい!あなたは健康でいいじゃない!私の気持ちなんて誰にも分からない!」と心の中で思って
紹介状を持って、総合病院の耳鼻科へ行った。ファイバースコープで喉や声帯をみたが特に異常はないとのこと。(3月にも他のとこで見てもらったんだから、そりゃそうだろ‥と思ったがそれは黙っていた。)「特に異常はないけど、いちおうCT撮っておこうか」と言ってくれ、仕事の都合もあり2週間後に予約を入れた。きっとまた何でもないです‥って言われるでしょと気軽に考え日常生活を送っていた私。2週間後…CT撮り、すぐに先生がその画像を見て「食道に巨大な腫瘍があります。大きさは4cm〜6cmくらいかな。」
11月22日明日VAC療法5クール目突入のため前日入院。メンタル不安定。夕方主治医に聞いてみた。「今抗がん剤してる意味が分からなくなってきた。お盆の頃ここに来た時は治療方法あって嬉しい、頑張ろう!と思えたが、今はいつ抗がん剤が効かなくなるのか、不安で毎日仕方ない、寿命はどれくらいなのか?」横紋筋肉腫の寿命はやはり2年程度が一般的とのこと…やはりその程度なのかとショックを受けた。「凄く小さくなったら放射線はしないのか?」→粘膜や皮膚がただれたり副作用も大きく、1回しかできない(やれて
◎9月10日(日曜)(VAC90日目)毎日ストレッチポールに乗って、肩甲骨周りや骨盤調整のストレッチをしている。CT撮影日の金曜と昨日はポールに乗れなかった。今朝は乗ってストレッチした。乗って仰向けになると首も伸びる。喉に違和感を感じた。金曜、昨日は乗ってないから分からないけど、明らかに今日は何か感じる。去年の癌が発覚する前のヨガで首を伸ばすポーズの時にも喉に何がある感の違和感を感じてた。でもその時は「癌じゃない。」って医者に言われてたし、そうなのかなと思って過してたけど、結局大
1月10日VAC療法7回目のため前日入院。血液検査問題なく明日抗がん剤GO!夕方長男から珍しく電話かかってきたと思ったら「耳の中に膿溜まってて痛い!」と写メも添付され、膿が白く溢れ出ている写真が写っていた。普段から綿棒で耳の中いじってたのを注意してたのに…だから言わんこっちゃない😠なんでよりによって今日かなー💦私は入院中だから連れてけないし、旦那は帰りが遅いし、義理姉が手伝いに来てくれていたので、義理姉に事情を説明をし耳鼻科に連れて行ってもらった。耳の入口の毛穴の化膿で中の方は
娘が小学生の時、左側腕にプクッと虫刺されのようなものができました。色は肌の色と同じで赤みなどありません。本人は痛くも痒くもないというので様子を見ることにしました。忘れた頃、まだしこりがある!!しかも大きくなってる!!ような気がする心配になったのでいつも行っている皮膚科にいきました。ガングリオンかなぁ、脂肪の塊かなぁと言われ、しばらくすると治るでしょうとのことで診察は終了しました。ところが1ヶ月たっても小さくなることなく、まだしこりがあったので再度受診したところ、よくわから
帰省中。洗顔した後、坊主になりリビングの窓際で化粧水とかつけていたら、父が言った。「誰が来るか分からないから帽子かぶっておけ!」と。田舎だし、父や母の友達はピンポンなんか鳴らさずに「こんちわ〜」といきなり家の中に入ってくるし、子供の頃からそんな風景は慣れっこだった。だけど…私の坊主はそんなに他人に見られたくないもの??母も私の癌の事は、本当に親しい数人に話しただけで、近所の友達には言ってない。母が私の所に手伝いに来てくれ、不在続きだから、どうしたのか心配した近所の友達が母の携帯に
◎9月29日(金曜)(VAC109日目)朝シャワーをして、手でお腹を洗っていたらシコリに気付いた。すぐにシコリに気付けるように、癌になってから体は手で洗うようにしている。10日前位?にも、ん?と思ったが、左右触って比べたけどよく分からなくて、気のせいかな?なんて思っていたが、今日は明らかに自分でシコリを感じた。再発?まだ3カ月だよ。3週間前のCTは異常なかったよ。でも腫瘍が出来たら短期間でスゴいスピードで大きくなるのは、自分でも分かっている。焦る。心臓がドキドキして、息苦しい。すぐ
2022年8月10日旦那と子供達は朝イチでPCR検査に行き、検査3日目のため私は父と病院へ向かった。病院の診察が始まる前に、先生から私の携帯に電話がかかってきた。「今日は誰と病院に来られますか?」「もう着いてます。父と一緒です。」「ちょっと込み入った話しになるのですが‥」絶対転移の話しに違いない!「主人を呼びます。1時間くらいかかるので診察時間過ぎてしまうのですが、大丈夫ですか?」「時間は大丈夫です。ゆっくり来て下さい。着いたら受付に声かけて下さい。」私はまたもやパニクり旦那
おはようございますそして入院の日です。がんセンターは、小児科はありますが、小児病棟はなく、血液内科と同じ病棟で病棟全体が無菌病棟になっています。なので、病棟に入るときは必ず消毒をしマスクをしていなければなりません!先生も看護師さんも皆です。※コロナ流行する前の話です。入院患者は大人の方ばかりで子供は4.5人しかいないと言われましたが、恐らく1週間くらいの入院だし、あまり関係ないと思っていました。プレイルームで遊んでいる子供をみて、治療で髪の毛の無い子供を初めてみて、次女はびっくりし
8月4日。転院先の大学病院に到着。私の両親、弟、妹も心配して病院まで来てくれた。家族の顔を見たらホッとした。コロナ対応で付き添い人は2名までのため、旦那と妹が付き添い人となり、両親と弟は長〜い時間駐車場で待っていてくれた。名医との初対面。話し始めて数分で、いかにも仕事が出来そうな先生というのを感じとれた。私の知り合いの医者からある程度説明は聞いていた様だが、昨日肉腫という事が判明したと伝えたところ、とても驚いた様子でこう言った。「てっきり扁平上皮癌だと思って治療方針を考えていたが
同じ病室の空いたベッドに、とーっても明るい方が入院してきた。その方は私よりも先に入院していたが、ベッドの空きがなく、違う階に入院していたらしく、やっと本来の階に移れたとのこと。廊下でその方が、他の患者さんと話されているのを何度か見かけて、何でこんなカーテン仕切ってる様な状況で、元々知り合いでもないのに他の方と親しそうに話せるタイミングがあるんだろう?と不思議でもあり、その方と知り合いになりたいな‥と思っていたら、なんと同じ病室に引っ越してきてくれた!カーテンを閉めきっているので最初は気付か
大学病院で一通りの検査が終わった。胃カメラの生検は早くても10日くらいはかかるとのこと。ここに紹介状を書いてくれた病院でも生検はしたが、その結果はきていないそうだ。大学病院の先生が問い合わせをしない限り、先生同士で基本的にやり取りはしないようで、イラッとしてしまった。私は早く結果が知りたいのに。CTとPETでは、喉に6cmくらいの腫瘍があるが、他への転移はなかった。先生に、下の子がまだ小3であること、子供を残して私は簡単に死ぬわけにはいかないことを涙しながら伝えた。先生もお子さ
2022年8月15日ホテルを出る前に旦那に「きっと大丈夫だ、治療方法はあるから」と落ち着くようにハグしてもらった。こんなことは何年ぶりだろうか。初めて〇〇病院の腫瘍内科を受診した。妹も来てくれ3人で話しを聞いた。診察室には先生と看護師さん1人がいた。「横紋筋肉腫にも型がいくつあるので、どの型か調べるために胃カメラで生検します。」「治療方法はあるのですか?」「ありますよ。抗がん剤が何種類かあります。」この言葉を聞き、私はホッとした。「遠隔転移しているので、完治、根治はあ
◎9月28日(木曜)(VAC108日目)今朝、癌仲間のグループラインが鳴った。先日連絡をくれた息子さんからだ。嫌な予感しかしない。『今朝方、母が天に召されました。』と入っていた。『みなさまのメッセージは最期まで本人は見ておりました。』とも。〇〇〇〇に続いて□□ちゃんまで…。まだ8日しか経ってないのに…。悲しみと恐怖と不安で固まってしまい、ソファーから何時間も動けなくなった。『なんで?なんでよー!』と涙が止まらなかった。2人とも去年の今頃は、笑って食事しなから普通に生活してた
先日は交流会に関するアンケートにご協力頂き、本当にありがとうございました皆さんに頂いた貴重なアンケート結果ですが、一部共有し当会にどのような方々が興味を示して下さっているのか皆さんにも知って頂けたら、と思います以下のような結果が反映されてきました。・交流会に対して参加したい意見が回答者ほぼ全員・対面が4割、リモートが3割、どちらでもが3割・お住まいの地域はどこかに偏りがあることなく、全国均等でしたが、交流会開催場所としては東京を希望する声が半数を占めていた。・交流会開催希望日
整形外科に移動すると、すぐに緊急枠でCT検査をしてくれました。整形外科での診断はグレー骨肉腫などが代表される肉腫である可能性も視られるとのこと。「皮膚科では血管腫と言われましたが。。」そう伝えると、CT画像をみて、「それはないですね」このとき、一瞬で世界が真っ暗になりました。自分が乳がん告知された時の比ではないくらいにただ、やはり手術して病理検査をしないと診断ができないとのことでした。この病院でもできるが、希望があれば他の病院に紹介状書きますと言われ、悩みましたが高速使って4
抗がん剤後も体調の悪化はなく過ごせていたため、予定通り8月30日に退院が決定した!同室の仲良くなった方も退院していき、私とめちゃめちゃ明るい方が残っていた。隣のベットの空いてたところに、新しい方が入院してきた。私とめっちゃ明るい方が仲良くお喋りしているのを見て、新しく入院してきた方もすぐに打ち解け、自らの入院事情を話してくれた。もちろん打ち解けたくない方もいらっしゃって、食事中はもう少し静かにして欲しいと言われ、それからはカーテンを閉めて静かに食べていた。私の隣のベットの方は歳も近く、
2月3日(金曜)抗がん剤予定がなくなり、今日から3日間暇を持て余していた。こうゆう暇は私のメンタル良くない。妹に電話をかけた。マイナスなことばかり言ってたらマジで怒られた。「自分で悲劇のヒロインを作りあげている」と。母にも「脳は自分の思うように変化する。ダメだダメだと思ってれば脳はそう思い込む。良くなると思ってれば脳はそう思い込む。」と言われた。夕方、長男から熱っぽいと電話あり。37.3〜37.4℃とのこと。塾を休ませるか悩んだが、自転車で厚着して行けそうだから大丈夫との返事で良かっ
◎9月20日(水曜)(VAC100日目)朝、癌仲間のグループラインが鳴った。旦那さんからの訃報の連絡だった。今朝の4時頃息を引取った…と入ってた。その瞬間からもう涙が止まらなくなった。私が去年今の病院に転院し延命治療で抗がん剤開始のために入院し、絶望の日々から救い出してくれたのは、この人だった。癌なのに本当に羨ましくなるほど明るくて、看護師さんや他の患者さんや誰とでも仲良く話しが出来て、前向きな人だった。すごく美人で笑顔が素敵で太陽みたいな人だった。コロナだからカーテン閉めきりだ
入院してから数日間の私のメンタルはボロボロで、考えては泣いて過ごし、家族に電話やラインで色々言われても、自分でどう考えたらよいのか分からないままで、全く変わらなかった。なんで私なの、なんで希少ガンなの、なんでもう治らないの‥と状況を受け入れられず、死ねばもう考えなくてすむから死にたい‥と何回も思った。でも、その度に子供達の顔が浮かび、「ママがこんな病気になっちゃってごめんね。まだまだずっと君たちと一緒にいたいよ。」と子供達の笑顔を思い出し、自殺はダメだ!と何回も思い直した。臨床心理士さんと
他県の転院先の病院へ行く8月4日の朝。手術前の元気な私と子供達の写真を残しておきたいと思い、家を出る前に写真をたくさん撮った。思春期中2息子も、普段なら有り得ないが文句も言わず何枚も一緒に写真に写ってくれた。小3息子は、私にギューッと抱きついてきたり、お腹に顔をくっつけてきたり甘えてきた。本当にかわいい大切な息子達だ。数ヶ月の間、旦那には大変な思いをさせてしまうが、「こっちの生活は大丈夫だから、自分の体の心配だけしていればいい。」と言って、私を安心させようとしてくれた。本当に有り難い
おはようございますわたしは遺伝性乳がん卵巣がん症候群は陰性だったのですが、それより心配だったリ・フラウメニ症候群。検査をするか迷っていました。陽性だったところで治療法が無いからです。ただ、毎年全身検査をすることで早期発見はできるし、覚悟もできる、、私のかんがえです。娘たち二人に話してみました。次女は、自分が横紋筋肉腫だったことで、がんについては肝が座っています『どっちでも良いよーどちらにしても毎年検査はしてるし』確かに。退院して、5年経つのでがんセンターから地元の大学病院に転院
先日、私が今まであまりしなかったネット、ブログ検索をしてしまい(してもろくな事書かれてないし、しない方が良いと思ってしていなかった)、横紋筋肉腫の現実を知った。転移の速さ、腫瘍が大きくなるスピードの速さ、大人には治療効果が期待できないこと…人それぞれ個人差があることは百も承知している。10人癌患者がいれば10人の経過、予後も10人十色だということも分かっている。だが、その悪いこと全部が自分に当てはまると思ってしまう。最近は体調がよく、1時間くらい散歩できる日が多かった。ネット検索する