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今年(2025年)は、「昭和」に換算すると、「昭和100年」にあたる年だという。そこで、当ブログでも、「昭和100年」を勝手に記念(?)して、桑田佳祐の、「ひとり紅白歌合戦」のシリーズを特集している。という事で、桑田佳祐による、「ひとり紅白歌合戦」のシリーズは、下記の通りである。①「昭和八十三年度ひとり紅白歌合戦」(2008)②「昭和八十八年度第2回ひとり紅白歌合戦」(2013)③「平成三十年度第3回ひとり紅白歌合戦」(2018)前回と前々回の記
謹賀新年今年は『優しさ』地球にも友達にも家族にも子供にも周りにも自分にも動物にも植物にも自然にも全てのものに優しさを持って包まれてありがたいなってほっこり笑顔になって生きていこうゆっくり味わいながら
明けましておめでとうございます㊗️私の住む町は、雪のない穏やかな元旦になりました🌿お仕事の方はお疲れ様です🙏紅白を観ながら、何気なくYouTubeを開いてみたら、私の『流れ星』を宮崎の方が歌っておられるのを見つけて嬉しくなりました私のチャンネルにもコンサート映像からの切り抜きでcover曲など、どんどんアップしていますので、ご覧いただけたら嬉しいです本年も、どうぞよろしくお願いいたしますランランランYouTube『なおみあき公式チャンネル』NEW!⭐️中央フリーウエイcove
高校生の頃、オーディオにかなり凝っていました。ほんとに半世紀前になってしまいました。バイトしてアンプ買ったり、スピーカー買ったり、1つづつ。少しづつ、高価な憧れた機器に移行していくのが楽しみでした。けれど、最終的に、たどり着くのは自分の好みの音である事。特にスピーカーは好みの別れるところです。私は歯切れの良い堅めで透明感のある音が好き。その影響は、ずっと、今でも続き・・・パソコン用のモニタースピーカーも自分好みの「良い音」じゃないと。今の人達はコンポなんて興味もないし知らな
本日は荒井由実「ルージュの伝言」(1975年リリース)です。※以下、荒井由実(松任谷由実)さんは「由実さん」、夫でアレンジャー・音楽プロデューサーの松任谷正隆さんは「正隆さん」と表記します。前年の1974年に発売された2枚目のアルバム『MISSLIM』で、現在まで続く由実さんが作詞・作曲、正隆さんが編曲を担当するスタイルが出来、このスタイルのまま3枚目のアルバム『COBALTHOUR』が制作されることになりました。その前哨戦としてシングルで制作されたのがこの「ルージュの伝言」となります。
今回の個人的アルバム・レビューは、「island」のファーストアルバムにして、日本音楽作品史上稀に見る名盤。大ヒットシングル「staywithme」収録アルバム。この曲に、心魅了された音楽ファンは、真の音楽ファンでしょう。「island」の作品の中でも、圧倒的人気と支持と賞賛を得た、伝説的アルバムにして、すでに芸術の至高の極みに達した最高傑作。沖縄を代表するハードロックバンド「紫」を、皆さんはご存知でしょうか?ジョージ紫さんを中心に、1968年から活動をしていた、日本のハードロッ
1992(平成4)~1996(平成8)年にかけて、サザンオールスターズと松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとのタイアップで、大ヒット曲を連発していた頃、私は10代の中高生の時期であり、私はその頃に青春時代を過ごしたが、その時代のサザンとユーミンの活躍を描く、「1992~1996年のサザンとユーミン」というシリーズを、このブログで断続的に書かせて頂いている。そして、私が10代だった頃の事を、色々と思い出しながら(?)、私自身、楽しんで書いている。というわけで、これまで書いて来
昨日の秋田市はほぼ1日中ブリザード、前が見えず道路はガリガリ、そして直線で1KMもない自動車倉庫に熊が居座ったりと、松任谷由実さんの曲「ブリザード」を楽しく歌っている余裕はなかったものです。夜、高校ラグビーの秋田工業の試合をニュースで観ていると京都は青空、同じ日本とは思えないものです。12月8日は蒸気機関車の故障でDE10の1700号機が牽いた磐越西線、前日7日の夜に撮ったC57の写真を載せさせていただければと思います。この日は13時頃に秋田の自宅を出発、新津駅到着を撮影できれ
羽生結弦「GIFT」×松任谷由実×武部聡志✩.*˚集英社の武部聡志さんとユーミンの対談に、羽生選手「GIFT」の話題が出てきました!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ユーミン「武部さんが音楽監督を務めた羽生結弦さんのアイスショー「YuzuruHanyuICESTORY2023“GIFT”atTokyoDome」を観にいって、すごく誇らしかったのと同時に……」・羽生結弦「EchoesofLife」インスタ更新してあって偉い(^-^)!・全日本選手権男子シングル織田信成37歳
前記事からの続きマーキングする女について。松任谷由実氏の楽曲に「真珠のピアス」と言う歌がある。男と別れる最後の朝、彼の部屋のベッドの下に真珠のピアスを片方わざと捨てていくと言った内容のこの歌。Resource:Pinterest“もうすぐかわいいあの女と引っ越しする時気づくでしょう”なんてフレーズもありこれってまさにマーキング女の歌よね。昔この歌の意味を知った時は“怖っ!”と思ったけど…後に聞いたもっと怖いマドモアゼルの知人女性の話し。
「箱」芸能界用語で会場を示すことを現代では、言わずもがなかも知れない。城ホールとは、大阪城ホール(1983年完成)正式名称大阪城国際文化スポーツホールおおよそのキャパは、16000人だ。松任谷由実が、コンサートツアーとして初めて大阪城ホールを使用したのは、1989年1月28日から4日連続公演のDelightSlightLightKISSツアーだった。筆者は、1982年からユーミンファンになり1983年からステージ撮影の仕事を頂けて1985年には、逗子公演で光栄にも
松任谷由実前史荒井由実ヒストリー拡大版(1/5)誕生から立教女学院早熟な天才不良少女から続くシングル・デビュー荒井由実の歌手としてのデビューは、多摩美術大学に入学した、72年の夏と決まった。そのシングル盤は、村井の旧知のかまやつひろし(当時33歳)のプロデュースで制作されることになった。由実はかまやつのいたスパイダースの追っかけをしていて、すでに顔見知りだった。当然、かまやつはロックにくわしく新しいことに敏感である一方、経験豊かで懐も深い。音
年明けのあいさつを見ていると相変わらず「新年明けましておめでとうございます」とやっている人が多いですね。年はすでに明けているわけですから冒頭に「新年」をつける必要はないのです。同じことを二度やっているわけですから表現がくどくなります。これ、ラジオでずいぶん前からタモリが言っていたことなのです。私は年賀状なんかでも「新年明けまして」などとやったことはなかったのですが、「確かにそうだな」と思ったものです。年賀状といえば最近「AHappyNewYear」は見かけなくなりました。
前回の記事が、8月30日、、、今日は、、、11月13日!!えーーーーー!ほぼ2ヶ月半、季節は夏から秋をこえ、冬になりかけてますね。すっかりご無沙汰しておりました。おかげさまで元気にしています。皆様のブログへは毎日のようにお邪魔しておりましたが自分のブログはなかなか更新出来ず、下書きばかりがたまってました。がしかし、今日こそは、更新します!!しますとも!たぶん、いえきっとするはず、できるはず。。。ということで、ちょっと長くなりますがご報告などつらつらとお付き合
以前、「荒井由実ヒストリー」なる、荒井由実が生まれてからファーストアルバム制作までの話をアップしました。今回はその続きということになります。前回は、ユーミンのデビュー直前までの話だったのですが、書くための資料には、デビュー以降の情報も自然と多くあつまりました。舞台裏の興味深いエピソードばかりです。これらの貴重な材料を捨て去るのは惜しい。正直、大変とも思ったのですが、暇にまかせて続きを書くことにしました。アルバム『ひこうき雲』をつくり終えた荒井由実が、デビューからブレイクに至り、結婚するまで
昨年の第71回紅白歌合戦でも歌われた40年前の名曲!【1981年リリース】前回紹介した映画『さよならジュピター』の主題歌より3年ほど前、薬師丸ひろ子さん主演映画『ねらわれた学園』の主題歌として作られた歌です。その頃の松任谷由実さんはヒット曲に恵まれておらず、この曲が後の快進撃のきっかけになったようです。昨年の紅白歌合戦では、タキシード姿のユーミンと、「ナインティナイン」岡村隆史さん、「爆笑問題」田中裕二さん、出川哲朗さんとのダンスが強烈すぎて、この曲が歌われてい
ユーミンさんはご自身のアルバム「Surf&Snow」にちなんで、夏は逗子マリーナ冬は苗場プリンスホテルリゾート感あふれるコンサートを長年継続していらっしゃいます逗子マリーナの方は残念ながら、施設の設備替えがありそれに伴い2004年の公演を最後に終了、苗場プリンスの方は今も継続されてますよね私が参加できたのは最後の方の逗子マリーナLIVEでした。東京からスタッフが車4,5台に別れて便乗し、逗子に向かいました。なんかみんなで社員旅行に行くみたいで楽しかっ
1992(平成4)~1996(平成8)年、私が10代で中高生だった頃、サザンオールスターズと松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとタイアップして、大ヒット曲を連発していた。その頃のサザンとユーミンの黄金時代にスポットを当て、「1992~1996年のサザンとユーミン」というシリーズ記事を書かせて頂いている。そして、私がこれまで書いて来た、「1992~1996年のサザンとユーミン」のシリーズは、下記の6本である。①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』
感動!『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のクライマックスに挿入された37年前の歌!【1984年リリース】小松左京さん原作・総監督・脚本のSF映画『さよならジュピター』の主題歌として書き下ろされた松任谷由実さん20枚目のシングルです。今年上映された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で綾波レイ(ゆい)役の林原めぐみさんが歌うこの曲が流れた時、驚きや感動とともに、何故だか一瞬で、この場面にこれ以上合う曲はないだろうなと感じた自分がいました。歌詞の内容が、ともすれば当時の
今日のBGMは、毎年この時期の恒例です。AHappyNewYear松任谷由実昨日の仕事は名古屋積みだったけど、一発仕事で割合早く帰ることが出来ました。高速道の渋滞も無かったし。でも、家に帰ってからは洗濯を2回やらなきゃいけなかったし、シャワーも浴びなきゃだったし、洗濯物を干している時に紅白が始まってしまいました。前半は、知らないアーティストが多かったな。星野源の弾き語りが良かった。ただ、ディズニーファンタジーメドレーとか、歌って踊ろうキッズシ
「VOYAGR〜日付のない墓標」松任谷由実遅ればせながらアマゾンプライムで「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見ていたら、ラストシーンに思いがけず松任谷由実の曲「VOYAGER〜日付のない墓標」が流れて鳥肌が立った。カバーしたのは綾波レイを演じる声優の林原めぐみらしい。「VOYAGER〜日付のない墓標」は、小松左京原作の東宝映画「さよならジュピター」のために書き下ろされた曲だ。1970〜80年代の日本映画のSF超大作には“失敗作”や“トンデモ映画”、“残念な作品”と呼ばれるものが少
昨日、51年のキャリアで、初めての園遊会参加そして着物姿での初めての囲み取材を受けられた松任谷由実さん(以下ユーミン)筆者は、1981年からユーミンファンであり1983年から写真家として撮影もさせて頂けた自分史上、光栄で有り難いキャリアを持つ人間なので、ユーミンの昨日の緊張感がひしひしと伝わってきた。しかし期待を裏切らない気品ある着こなしを昨日もしてらしたユーミンに脱帽だ。昨年、筆者のブログにてユーミンの着物について寄稿したものを添付(リブログ)させて頂いたのでアーカ
こんばんは。今年の4月末にここのブログでも取り上げた、邦画「波の数だけ抱きしめて」僕が中学1年生の頃に、劇場に見に行った思い出の映画ですが、先月、こんな物を発見しました。映画「波の数だけ抱きしめて」なんと公開30周年記念イベントwそれもイベント会場は逗子。一瞬、行こうかマジで悩んだw結局イベントには仕事の都合で行きませんでしたが、ちょっと行きたかったわーwこの映画、過去にここのブログでも何度か取り上げましたが...多分、今の若い人が今のこの時代にこの映画を初め
こんにちは😃気ままな数秘術家のKANAKOですKANAKOの気ままに数秘術鑑定今日は松任谷由実さんユーミン、絶対に大きなマスターナンバー持ってるって思ってたのに意外にもシンプルな数秘彼女の成功の秘訣は「自分のやりたいことをやってきた!」これだけだと思う自分のやりたいこをやっている人って後は流されるままにお膳立てされていくんだよなぁ〜ハート数5のユーミンは好奇心旺盛でその時その時の人生を最大限に生きたいと望む人とってもエネルギッシュなのは確かなんだよねその日その時の感じ
唇の左側の痺れから、髄膜腫が見つかり、2022年4月26日に開頭手術。腫瘍は小さかったけれど、半分は神経に絡んでいたため摘出できず。その後、3ヶ月に1度脳MRIで経過観察。去年の秋くらいから顔の痺れが強くなり、2024年2月2日にガンマナイフ治療をしました。心配してくださったみなさん、ありがとうございました🙏まず、ガンマナイフをやっても腫瘍は小さくもならないし、もちろん消えることもありません。ならなぜやるかと言えば、現状維持をするため。私は顔の左側の痺れは広がって
80年代の逗子マリーナのユーミン撮影で良くして頂き…90年代の苗場では、🎿スキーを教えて頂いた中川雅也さん(以下中川さん)ギタリストでスキーが、プロ級だった中川さん。酔うと手厳しく世情を語るかっこ良き兄貴的な人でした(筆者より三歳上)ユーミンの帝劇公演の演奏メンバーだった時に何度も楽屋エレベーターで降りる楽屋階を間違われて「あれっ間違えたっ」と照れてるところも人間的で素敵でした。7年前の7月25日、58歳の若さで旅立たれてしまわれた中川さん…病の残酷さを痛感した201
リフレインが叫んでる《どうしてどうして僕たちは出逢ってしまったのだろうこわれるほど抱きしめたどうしてどうして私達離れてしまったのだろうあんなに愛してたのにどうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう二度と会えなくなるなら》松任谷由実リフレインが叫んでる、よりレモンのブログにお越し下さりありがとうございますもうすぐ60歳になる何のスキルもないただの主婦がひとりで暮らして行く決意をしましたそのブログはこちらからどうぞ『別れる決意』レモンのブログに
ユーミンこと、松任谷由実さんのご実家は八王子の荒井呉服店これはもう有名な話ですよね一度行ってみたいと思っているのですが、八王子までなかなか機会がなく…あ、私なんぞ着物着る機会はまーったくないので、目の保養にですけど!荒井呉服店にて、お見立てしました。お買い上げありがとうございます!pic.twitter.com/pEIO4iQ6C0—松任谷由実Official(@yuming_official)2021年7月14日ユーミンさんの着こなし、粋でカッコよくて、大好
1月1日(水)次の仕事まで時間があったので、ひまつぶしでハードオフへ。ジャンクLPは何もなし。ジャンクシングルも期待してなかったが、予想に反してなんとコレが出てきた。荒井由実:なぜコレがここにあるの?きっと荒井由実=松任谷由実というのに気付かずジャンク箱に投入されたものと推測します。今年は元旦から大きい当たりが出ましたな。
<2023.12.27>公式音源・ライブ映像追加<2023.03.01>公式音源挿入<2019.03.18>(沈丁花)昨晩(2019年3月17日)放送の「松山千春ONTHERADIO」、番組の最後に松山千春自身の「春は来る」をかけた。先日、「春は来る」について思うところを書いていたので嬉しかった。松山千春「春は来る」―”冬は必ず春となる”原理を分かり易い言葉で伝えた名曲春にちなむ歌でいつ聴いても、聴くたびに深まりを増して心に染みるのが松任谷由実さんの「春よ