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今は昔、西暦950年ごろのこと村上天皇にはあまたの后妃がいらっしゃいました。中でも飛び抜けてご寵愛を受けていたのは藤原芳子ちゃんというお方。この方は祖父(藤原忠平)が太政大臣、父親(藤原師尹)も後に左大臣になるという名門のお生まれです。村上天皇には既に藤原安子様という中宮がいらっしゃいましたが天皇のご寵愛はもっぱら女御の芳子ちゃんに注がれておりました。中宮安子様としては、自分よりも身分の低い女御が夫の愛情を独り占めするなんて当然面白くないです
さてさて…………………【大豊神社御旅所】【大豊神社】を出発した我々は、次なる目的地へと向かう………………昨年春は、【大豊神社】から再び『哲学の道』を歩いて引き返したので、ここからはココロ初めての場所が続く。この日の目的地のひとつも案内にあるここからは初めて歩く『哲学の道』桜が咲いた時の美しい風景を思い出すしかし、静寂な雰囲気もまた良いおっ次の目的地が見えてきたぞーーーーっ到着したのは………………【冷泉天皇櫻本陵】京都府京都市左京区鹿ヶ谷法然院町宮内庁上の形式は円丘。
「大鏡」は作者不詳です。藤原道長の栄華を中心にして文徳天皇即位の嘉祥3年(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)までの14代176年間の宮廷の歴史を記述した歴史物語です。大宅世継(190歳)と夏山茂樹(180歳)、二人の長命な老人が雲林院の菩提講で語り合い、若侍が批評するという対話形式で書かれています。後一条天皇は紫式部が出仕した中宮彰子が産んだ皇子です。清少納言が出仕した中宮定子所生の敦康親王を皇太子とするよう父道長に中宮彰子が強く主張しましたがかないませんでした。彰子にとって定子
アメバblog読者の皆様こんにちは。廣田佳子です。昨日、一度ブログアップしてから、数点記載を加えましたので、ご興味のある方は、改訂版の、「改)天皇につながる宮崎家は廣田徳子(とくこ)の実の従兄(いとこ)です!」をお読みください。昨日記載した、私の母方の血脈等ですが、また、廣田家とも同様ですが、注意事項があります。注意深く書かないといけない記載事項でしたので、事実をありのまま真実を記載しておきたく、念のため記載しておきます。※私の元夫の方の全てのご親族達等とは全く血筋では一切ありませんし、