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さてさて………………この日の計画では、距離があるかなと諦めていたのだが、【円融天皇陵】から、割と徒歩近くにその目的地への参道があったもちろんそうとなれば、頑張って歩きますこの日は、【円融天皇陵】にてすでに6つの『天皇陵』に参拝して通算109陵目(124陵分の)となっていたが……………次の目的地が110陵目となる『天皇陵』への参道をてくてく歩く……………割と長い石段をてくてく昇りようやく目的地が見えてきたぞーーーっ到着したのは………………【村上天皇村上陵】京都府京都市右京区鳴
さてさて………………この日は、すでに【龍安寺】にて5つの『天皇陵』に参拝して108陵目(124陵分の)となっていたが……………109陵目の『天皇陵』が見えてきたぞーーーっ到着したのは…………………【円融天皇後村上陵】京都府京都市右京区宇多野福王子町【円融天皇(えんゆうてんのう)】959年ー991年日本の第64代天皇。村上天皇の第5皇子で、母は右大臣藤原師輔の娘皇后(中宮)安子。冷泉天皇の同母弟。守平親王(円融天皇)の兄である冷泉天皇が即位すると、立太子をめぐり藤原氏と左大
amebaブログの更新。廣田佳子のプロフィールを更新しました!廣田家が宮崎家との血脈があり、私の実の親戚であることを記載しています。そして、元夫達親戚一同とは一切血脈はありません。等との事実の一文を付け加えました。廣田佳子配信2024年5月3日朝6時25分同日)41分
amebaブログの皆様こんにちは。廣田佳子です。先ほどの動画で、私の住所地が「行政」から全く私の番地でないものを数十年にわたり、使用するように渡されてきたことをお伝えしています。最初と最後にご注目の数字が現在と昔と変化しています。私が来ている制服にもご着目ください。地元の制服と、同じ建物ですが、隣の市の高校にいっていたので、特徴があり、当時の時期もわかるはずです。((笑))うちの父は農林水産省の佐賀食糧事務所に長年勤務してきた国家公務員であり、決して犯罪人ではありません。しかし、こ
今は昔、西暦950年ごろのこと村上天皇にはあまたの后妃がいらっしゃいました。中でも飛び抜けてご寵愛を受けていたのは藤原芳子ちゃんというお方。この方は祖父(藤原忠平)が太政大臣、父親(藤原師尹)も後に左大臣になるという名門のお生まれです。村上天皇には既に藤原安子様という中宮がいらっしゃいましたが天皇のご寵愛はもっぱら女御の芳子ちゃんに注がれておりました。中宮安子様としては、自分よりも身分の低い女御が夫の愛情を独り占めするなんて当然面白くないです
「大鏡」は作者不詳です。藤原道長の栄華を中心にして文徳天皇即位の嘉祥3年(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)までの14代176年間の宮廷の歴史を記述した歴史物語です。大宅世継(190歳)と夏山茂樹(180歳)、二人の長命な老人が雲林院の菩提講で語り合い、若侍が批評するという対話形式で書かれています。後一条天皇は紫式部が出仕した中宮彰子が産んだ皇子です。清少納言が出仕した中宮定子所生の敦康親王を皇太子とするよう父道長に中宮彰子が強く主張しましたがかないませんでした。彰子にとって定子