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一昨日新たな本部御殿手の道場がうるま市にあるというのでネットで見たけど詳細は分からず誰が主催者なのかも書いていないので怪しいまがいものなのだろうと思った私です。だいたい自分の名前を名のらず誰に指示したのかも出さないのはアヤシイと思って良い。なぜなら沖縄では本部御殿手の道場は上原先生の道場しかなかったのでその門弟なら、どういう人(職業・家族構成・住まい等)なのか分かるからだ。狭い島での長い付き合いなので現在に至っては子供の職業まで判る。笑新たな擬い物(まがいも
昨日の日曜日も晴れ渡って気持ちの良い日でした。こういう日が続くとルンルン気分になりますねしか~し、家に帰ると即クーラーのスイッチを入れました。この時期の沖縄はお墓で清明祭を行うので参加者も少なくなります。浜辺に散歩者が多かったので武具は使わずに突きを取って投げたりするようにと指示しましたこちらは3本突きを取って前や後ろに投げている稽古です。後ろに投げるのは高い位置から後方に落とすことになり危険を伴
昨日、フェイスブックに日曜日のサイ対ヌーチクの動画を掲載しましたが実はその掲載の時に(むぅ・・どうしようかな・・・)と、ちょっと迷いました。ハッキリ書きますと稽古風景を掲載するということは流派の技術や考えなどの流出になります。それがどうした?という方もいらっしゃるでしょうが本部御殿手の場合は上原先生が直接指導していた聖道館以外の支部道場などでは行われていないことや沢山あるからです。世の中には「秘伝は無い」と仰る人も有りますが秘伝と云うのは言葉をかえて表現すると「人
昨日(4月13日)も曇っていて蒸し暑い日でしたが清明祭の頃はこのような天気なので、しかたませんね。ストレッチの後は2刀を持っての浜走りから開始して受け身の稽古をします。受け身はとても重要なので必ず身体をはぐしたり筋肉の鍛練の為に行います。芝生へあがって方は型の稽古をして居合の練習を行いました。居合の練習の前には必ずヌーチクの練習を行います。
昨日(4月20日)はまるで初夏のような天気で風も有って涼しく浜辺での稽古に最適な日でした。爽やかに広がる青空。2刀を持っての走りから受け身の稽古をしてもらった。受け身は怪我を防ぐことや様々ンことにとても重要だからだ。受け身でも手に何かを持っての受け身は難しく2刀を持っての受け身はだから重要になる。芝生へあがってからは素手の型や武器の型を色々と行って中盤は剣の蹴りの基本稽古を行った。そして後半は取手
本部御殿手を”もとぶうどんて”と呼ぶ元門弟の流派もいますが昨日メンバーが「こういう動画を見つけまして・・・」と連絡してきた動画は”ゴテンシュ”と書かれていましたまったく、もぅ・・・アホらしくて「うどんて」の次は「ゴテンシュ」かよ~と思いました。ゴテンシュの人は弟子らしき人に本部御殿手の歩きなどを教えているようですが人の流派を知ったかぶりする前にきちんとした名称を知るべきではないか、と思いますねぇ。そんなんで、いったい何をシッタカブッタかして教えているのでしょう?
最近離島へ転勤したメンバーから「名護で本部御殿手のサークルのようなものが有りますが?」という問い合わせを頂いた。それは1年前から知っていたことなので、その旨メールしました。本部御殿手は稽古をしたくても、なかなかまともな道場が無いのが大きな難点です。それは上原先生が直接指導していた御自身の聖道館しか本部御殿手を名乗らせなかったのに先生がお亡くなりになった時にどさくさに紛れて支部道場やその門弟が本部御殿手を名乗りはじめたことに大きな原因があります。本来支部道場は「本部流
空手の形は動物をイメージしているものも多くあります。千唐流空手の壮鎮(ソウチン)は牛をイメージしたものであり、ドッシリした重みのある重厚な形でなくてはなりません。千唐流は那覇手系と首里手系どちらの流れも汲んでおり(那覇手系は接近戦で重厚性があるのが特徴で首里手系は俊敏性と遠間での戦いを得意とします)千唐流初代宗家の千歳剛直先生は首里手と那覇手の大家(新垣世璋師範、東恩納寛量師範、喜屋武朝徳師範、本部朝勇師範、知念三良師範)からの教えを受けており、どちらにも一長一短があることを見
本部御殿手の分裂した原因の一つに「二世問題」があると私は思っています。つまり、上原清吉先生の息子のTさん夫婦が最晩年に稽古に出てきた、ということや上原先生が亡くなられた後に本部朝正先生に宗家が移譲され本部先生の息子が宗家のサポートとして出てきたことに加えて埼玉の弟子のI・M氏の二人の息子の存在などがあげられます。実は、これらはいずれも次世代の”宗家争い”もしくは実力者争いが内在していることなのです。これらは、いずこでも起こりうることです。上原先生の息子さんは長く武