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家康行列は4/7でした。その翌日の8日~9日の午前中まで、けっこうな大雨でした。まるで、7日のにぎわいを洗い流すような大雨が降ったあと、9日午後は急に晴れてきました。河川敷から見た乙川。増水しています。でも、雨上がりで、気分はいいね!桜の花は多くが散ってしまいました。ヒッラヒラ!桜吹雪を写したつもりだったんですが、写っていないですね。この9日までは、キッチンカーが出ている、ということだったので、見て周りました。家康行列の日はどのキッチンカ
名古屋城で、なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)が、見ごろを迎えています。西之丸梅林の中に1本だけある「なんじゃもんじゃ」の木、花が満開となり初夏の陽気というのに雪が降り積もったような光景が楽しめます。また、名古屋城では城内各所のツツジも見ごろで、心地よく散策ができます。(2024年4月22日)▼4月22日(月)、名古屋城の「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」が、見ごろ▼4月22日(月)、名古屋城の「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」が、見ごろ▼4月22日(月)、名古屋城の「
『CultoftheLamb』の実況プレイレポその13です。※良いことは赤字、悪いことは青字で表記。<本丸教団その37のハイライト>●離反者のやまんばぎりちょうぎを告解室へ呼び、告解を聞くが信仰が上がっただけで離反ゲージは下がらず●さんちょうもうに宣教の旅へ行ってもらい、無事帰還する●お墓を墓石にアップグレードする●なんせんいちもんじとなんかいたろうちょうそんとひぜんただひろとレーシィとなまずおとうしろう(重い病気)とほねばみとうしろうが入団する●おいしい盛り合わせ料
加賀百万石の城下町・金沢。この金沢の市街地にある金沢城は、加賀藩を治めた前田家の居城として知られ、兼六園と並んで主要な観光地となっている。この金沢城にはかつて「薪の丸」と呼ばれる場所があった。現在その跡地は森のようになっていてその面影を見ることはできないが、石垣を見ながら散策できるスポットとなっている。金沢城いもり坂から薪の丸に続く道薪の丸に行くルートは三つある。一つめは玉泉院丸庭園の横にあるいもり坂から緑豊かな細道を通って行くルートだ。金沢城本丸付段から薪の丸に続く道二つめは三
名古屋城の本丸御殿(後半)本丸御殿の廊下や天井などにも見どころはたくさんあります。次は徳川家光上洛時に増築された上洛殿です。絢爛豪華に飾られた城内から外に出ました。金のシャチホコが見えます。不明門。御殿椿。名残惜しいので何回も天守を仰ぎ見ます。足もとにこんなものがありました。(撮影:2023.10.16)
浜松城は「出世の城」浜松城では徳川家康と井伊直虎が出迎えてくれました。天守門から中にはいります。すぐに天守閣が現れます。数年前に来た時と同様に、天守閣に入場します。最上階・3階からの眺め。若いころの徳川家康公の像が見えました。(撮影:2023.10.17)
郡山城は畿内統治の要として機能し大坂城を防御する役割もあったようです1591年に秀長は59歳で病死し養子になり家督を継いだ弟の秀保も1595年に亡くなった事で秀吉の側近で後に五奉行に名を連ねる増田長盛が入城しました本丸は自然石を積んだ野面積みの石垣で固められ築城当時の状態を伝えています
苗木城は標高432mの高森山に築かれた山城ですが、山というよりは岩の上の砦のような印象を受けました。その特異な城跡を山頂の天守展望台まで歩きました。二の丸跡で休憩していた夫婦?。ここは遠山家や家臣の住居があった場所。文書や刀剣類が納められていた御朱印蔵跡。切石の石垣が特徴。苗木城の天守へ行くにはつづら折りの道があり各所に門があった。ここは坂下門跡。天守近くにあった千石井戸。今も水が湧き出ていた。武器蔵・具足蔵があった場所。笠置矢倉近くの巨
診断メーカーの使い方で、神的な使い方をされた審神者さんの真似をしてみました(^^)刀剣男士の名前を診断に入れるという使い方。これが最高でした(^^)キャヌスン!!、何やってんの!?(笑)BL思考のないとある審神者なるもの(一人称)ですが、コレはオッケー!!やー、早くおじじ様来マイ本丸してくれないかなぁ。。。後は、自分の名前入れてみて。あー、、、(^^)江雪左文字さん、小夜さんの面倒見てて、一緒に寝ちゃったんですね。江雪さんのちょっと緩んだとこが見られて、とある審神者なるも