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埼玉県狭山市柏原新冨士見橋~昭代橋の入間川沿いにて義高の鯉のぼりという五月イベントが開催されました❕❕しかもパンフェスが同時開催されグルメキッチンカーも多数出店🎶GWを楽しみたい家族連れで会場は溢れていました。義高の鯉のぼりという五月イベントですが平安時代木曽義仲の嫡男義高は鎌倉に人質に出され源頼朝と木曽義仲との仲違いにより戦争状態となり自分の命が危うくなった義高は鎌倉から埼玉県狭山市まで逃げたのですが埼玉県狭山市入間川沿いで打ち取られて亡くなりました。源義高氏の弔い
◎このブログの目次はこちら夏休みの旅行は、石川県加賀市の片山津温泉に2泊3日で行ってきました!家族5人での旅行だけど、子どもはワガママ中高生で、80代の母もいて、加えて自家用車もないもうね、こうなったら現地別行動っすよ!子どもたちはホテルで過ごし母は徒歩とバスで観光私と夫はレンタサイクルと、各自自由に過ごしたのでした初日は午後に片山津へ到着。夕刻にかけて、柴山潟の周囲をレンタサイクルで一周しましたので、写真レポートをお届けします!柴山潟
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。「比企能員の変(1203年)」「源頼家暗殺(1204年)」と進んだようで。次に来るのは「畠山重忠の乱(1205年)」ですかねー。というわけで、その関連として「畠山氏」の系図を紹介してみようかなと。今日はそんなブログとなりますw畠山重忠@中川大志サン2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より系図をご紹介する前に、前提として。「坂東八平氏」という言葉があります。房総の豪族となった「上総氏」と「千葉氏」。相模に勢力を持った「三浦氏
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。越中遠征目的のひとつ「源平シリーズの予行演習」≒源氏銅像をおってきましたので、今回はそちらからになります。ということで、戦国武将の銅像、今回も出てきません。申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。木曽義仲(埴生八幡宮)これから、しばらく木曽義仲さんの銅像が続きます。富山県西部は旭将軍さまでいっぱいなんです。埴生八幡さまへは銅像を左にしてまっすぐ行ったところに拝殿があります。ちょっとした石段がありま
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと中央アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。タイトルを見てお分かりかと思いますが、今回は武将すら出てきませんが、よろしくお願いします。大伴家持(二上山)大伴家持さん、まずは二上山の家持さんから。二上山=ここで家持さんが歌を詠んだこともあるということで、二上山万葉ラインの見晴らしのイイところに銅像があるのです。歌人でもカッコイイ銅像ありますよって証明になる銅像です。銅像の名前は「大伴家持卿」像でございます。二上山頂へは家持さん像を越えてから行くのです。
前稿につづいて、戦場で命を懸ける武士たちの姿を追う。◉鎌倉景正の場合歌舞伎役者の市川團十郎の十八番に『暫(しばらく)』がある。『暫』は、日本のヒーローものの元祖だ。超人的な力を持つスーパースターが主人公。ストーリーは単純明快な勧善懲悪ものだ。善良な男女が悪人に捕らえられて、まさに殺されようとしたときに、し~ば~ら~く~という掛け声とともに現れた正義のヒーローが現れて、大立ち回りで悪役をやっつける。ヒーローの名は鎌倉権五郎景正。鎌倉権五郎景正(1069〜?)は、平安
もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原源実朝歌意武士が箙(えびら)の中の矢並を整えていると、その籠手(こて)の上に霰(あられ)が音をたてて飛び散っている。勇壮な那須の篠原の活気みなぎる狩場であることだ。実朝を評価したとして、遡って有名なのは賀茂真淵。さらに芭蕉がいる。小林秀雄は次のように評する。芭蕉は、弟子の木節に、「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答えたそうである(俳諧一葉集)。言
☆「木曽御岳」山ろくの春御岳山の麓、開田(かいだ)高原の木曽馬御嶽さんの麓、1100m~1300mに広がる高原は、夏でも平均気温が18度と爽やかな高原で、どこからでも雄大な御岳山を眺めることができ、「木曽馬の里」では、乗馬や馬車に乗るなど、馬との触れ合いが楽しめる。標高の高い「開田高原」は里より遅れ、今が山菜のシーズン山菜の女王コシアブラ