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本養寺は、池田市内唯一の日蓮宗寺院であり、正式名称は「瑞光山本養寺」、本尊は、本門教主釈尊です。江戸時代中期の画家、松村月渓(四条派の祖、呉春)が滞在し、画道に精進したことから、「呉春の寺」と呼ばれています。[本養寺の略歴]室町時代初期の応永十六(1409)年五月、玉洞妙院日秀上人(関白従一位近衛道嗣公の末子)により開創されました。戦国時代、荒木村重が居城を池田城から有岡城(伊丹)に変更したのに伴い、本養寺を伊丹に移しました(*1)が、有岡城落城後の天正十(1582)年、本養寺は、近衛
地域に眠る歴史の魅力を再発見する「有岡歴史企画」。大変ご好評をいただいている天野セミナーの第3弾の開催が決定いたしました!今回のテーマは、伊丹市民なら誰もが知る有岡城主・荒木村重と、後の天下人・豊臣秀吉。信長という絶対的なリーダーの下で、この二人はどのような関係だったのか?「実はライバルだったのではないか?」という刺激的な視点で、戦国時代のドラマに迫ります。講師は戦国史研究の第一人者・天野忠幸先生!講師には、昨年に引き続き天理大学教授の天野忠幸先生をお迎えします。天野先生は「荒木村重
駄六川(だろくがわ)駄六川は、兵庫県伊丹市を流れる川で、伊丹市北部の瑞ヶ池(ずがいけ)などを水源としています。川は南下し、最終的に猪名川に合流します。法定河川としての延長は約3.3kmです。Googlemap伊丹駅前地図掲示板歴史的に見ると、川の流域にはかつて北河原村や天津村などの農村があり、灌漑用水として利用されていました。また、猪名川との合流点付近は「川湊(かわみなと)」と呼ばれ、江戸時代には伊丹の酒を運ぶ水運の拠点でした。伊丹観光略図(抜粋)村重の時代の有岡城は、もっと広く
令和7年2月23日(祝・日)有岡城跡にあるアイホール(伊丹市立演劇ホール)にて、天理大学教授の天野忠幸さんに「村重と光秀ふたりはなぜ信長から離れたのか?」をテーマにおはなしいただきました。参加者は定員の倍の200名。予定を大きく上回る参加者で埋め尽くされた会場はじめに荒木村重研究会役員で村重子孫の西﨑Gouさんより、荒木村重研究会のブログを是非ご覧くださいと挨拶があり、その後天野先生が登壇され、天野セミナーが始まりました。織田政権は急成長して部下によって滅びるという運命をたどった、