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「市道香椎4800号線」の開通が待ち遠しい「市道香椎4800号線MAR/2022」「市道香椎4800号線工事現場のいまAUG/2022」「市道香椎4800号線工事防音壁のアートFEB/2023」の続きです。「市道香椎4800号線」は、香椎宮二の鳥居前①から「3号線博多バイパス⑥」へ結ぶ僅か340mの市道です。しかし、前のブログで報告した通り、この4800号線は極めて便利な道路になる。今年の冬季から春季にかけては、工事が少し滞っていた感があったが、夏ごろか
****「はごろも」という、かわいい看板が目印の羽衣商店街は、西友とサミットがある広いメインストリートのほかは、寂れてひと気がなく、終わったような雰囲気が漂っていたメインストリートと直角に交わる裏道の商店街は、この薬局から先は、完全に住宅街に飲み込まれており、その先には南武線の踏切があるぐらいで、店などはなさそうだった住宅街の裏手には、なにかの工場があったが稼動しておらず、あたりは静まりかえっている裏道を
****高円寺から早稲田通りに出て、阿佐ヶ谷方面に向かう「すぎなみ道草のすすめ」が終わったのは、陽が傾きだしたころだったので、ずいぶんあたりが暗くなってきた目的の長屋門は、早稲田通りではなく、少しひっこんだ住宅街のなかにあるので、またしても取材が失敗するのではないかと、一抹の不安がよぎるでもまあ、どうせ行き当たりばったりの成り行きまかせなので、とりあえず中杉通りとの交差点を目指した途中で古道のような道が
付替え工事とは香椎川の流れを移動させること「市道香椎4800号線MAR/2022」「市道香椎4800号線工事現場のいまAUG/2022」「市道香椎4800号線工事防音壁のアートFEB/2023」「市道香椎4800号線骨格が見えて来たOCT/2023」の続きです。「市道香椎4800号線」は、香椎宮二の鳥居前の参道(県道24号線)Aと3号線博多バイパスBとを結ぶ僅か340mの・・・されど、極めて重要な役割を果たす道路になる。この「香椎4800号線」の敷設工事
文京区音羽。護国寺や鳩山会館、講談社などが有名。文教地区と言われるだけあって優秀な学校も点在。まずは音羽の歴史から。古地図を見てみると、今の音羽は1~2丁目になっているが、江戸時代から昭和40年代(定かではないが)くらいまでは音羽1~9丁目まであった。有名な護国寺は、1681年、五代将軍綱吉が、生母、桂昌院の願いを請け建立を命じ、当時から浅草寺、回向院に次いで人気のある寺だったという。(およそWIKIから)この辺りの「音羽」「青柳」「櫻木」という町名も桂昌院の奥女中の名前
『大型車が通ると家が揺れる』娘の家ではなく築13年の我が家のことです。普通車なら大丈夫なのですがトラックなどの大型車が通ると家が揺れるんです数年前にも同じようなこ…ameblo.jpの続きです。補修方法を考えて、連絡をすると言ってくれた○○係長この人なら信用出来るかも?と思っていました。すると翌日15:00過ぎにインターホンが鳴りました。誰だろう?と思い、出てみると
いわき市平大町の一角に「中央橋」と書かれた橋の欄干の跡。かつて、この場所には「新川」が流れていました。その川に架かっていた橋の欄干の跡だと思われます。新川は江戸時代に開削され、磐城平城の外堀の役割も兼ねていました。明治時代になり、新川沿いには桜が植えられ、その桜並木は町の名所に。その後、新川周辺が市街地化し、治水対策として昭和44年度に暗渠化され、地上部分は緑地公園に。中心市街地の中を東西に貫く2.4㌔・メートルの新川緑地公園になりました。街の歴史を見守ってきた橋の欄
2022年10月20日(木)〈Eテレ〉📺️おじゃる丸(再)▽20ー36:やじるし【初回2017年10月13日(金)】▽脚本:今井雅子▽絵コンテ:春日森春木▽演出:片貝慎▽作画監督・原画:田中理子▽動画:甲斐根寛幸・山田諭・カズマとおじゃる丸が歩いていると、道ばたに「↑」と書かれたフダが落(お)ちていた。その先をたどると、カズマが大好(す)きな、何でもないただの小石があった。よく見ると、「↑」や「→」や「←」のフダがあたりにたくさん落ちている。たどって行くとおもしろいものがある
愛知県豊橋市豊橋市上下水局広告デザインマンホール第一環境株式会社キャラクター水来ちゃん料金徴収など水道サービスを行う企業らしいです。通称水上ビル農業用水を暗渠化した上に建てられた15棟のビル群です。建物の下には農業用の牟呂用水が流れます。牟呂用水に架かる橋の欄干。水路を暗渠化した上に高い建物というのは、構造上は難しく一般的には道路になり、こういった景色はレアだとか。10の妻面には壁面アート・トリエンナーレのペイント🖌️ビリヤード屋さんの店先ビリヤード🎱忘れ
この日は牧野記念庭園まで行って、帰りは裏道を通って白子川に出て、川沿いを歩いて大泉井頭公園を通って、その先の暗渠化された遊歩道を歩いて帰ってきました。牧野記念庭園、私の母校の中学校のそばにあります、ずいぶん遠くまで通ったんだなと今になると思います。その後、新しく中学校が出来たので、私の子供たちはそちらに通いました。この日は約一万歩の散歩でした、暖かくなったので快適な散歩道でした。途中、まだ満開のさくらです・・・井頭いこいの森の中を通って・・・し
****バラック建築、闇市あがりの商店街は、当ブログの定番ネタであるが、まだひとつ“大物”を紹介していなかったというのもこの物件は、もろに地元なので、見馴れているため地元ぶらぶら歩きのような記事に、ちらっと何度も出てきており、わざわざ単独で取り上げる気が起きなかったからだしかし、あらためて第三者的な視線でこの場所を見ていると、やっぱりちょっと凄いな……と思ったので、気合いを入れて撮影してみた。前述のとおり、日常的に通り過ぎている場所なの
家の前の田んぼです左側の水路と下水の管があり水漏れしているのか?この田んぼは・・大昔、ばーちゃんが嫁に来た頃は、暗渠パイプの設置」もありませんでしたので、膝から腰ぐらいまで深い田んぼだったそうです今は、暗渠のパイプ入ってるから大分良いと・・・今年は麦の作付けでしたので、来年の事を考え湿田対策でもみ殻を投入します某農業の先輩と湿田対策になりモミ殻入れると3年はいいよ!とのお話ががあり厚めにもみ殻をトンバック7個入れてみました。団粒構造になってますます泥濘に
こんばんは!!!春だから?ちょっとセンチメンタルどうもーペパさんです今日のコトバ暗渠さてこの漢字をどれだけの人が読めてどれだけの人が意味を知ってるか………「あんきょ(暗渠)」と読み意味は昔は川だったところが現在は道路になっているそんな場所を言います最近面白いテレビ番組を見つけた「道との遭遇」道のマニアさんが色々なことを教えてくれます名前があ
多摩川をめざして無量寺の前、道路をはさんで向かい側に中丸子公園があります。公園内には、こんな石碑があります。大正時代、多摩川の氾濫に際し、堤を築いた有吉神奈川県知事の功績をたたえた石碑でした。ここから多摩川までは中丸子緑道を歩いていきます。暗渠の上に造られた緑道です。そして多摩川に出ました。(撮影:2024.2.24)
杉並区出身ながら松庵川なる川があったとは知らなかった。最も暗渠ではあるけれど。今日はその松庵川の暗渠道を辿ります。松庵川は人工の河川で、割と川としての歴史は短く明治以降に出来た川で、主に排水に使われていた川。実は名前は特に無くて松庵川の名前自体1990年代に郷土史家によって付けられた名前らしい。だから杉並出身ながら知らなかったわけだ。まずは西荻窪へ。駅からあるいて吉祥女子高辺りへ。ここは杉並区を外れて武蔵野市。松庵川の源流は甲武鉄道(現在のJR中央線)工事の際に土砂掘削で掘られた窪
こんにちは。私はここ何年もテレビをしっかり見ることはなくなりまして。ニュースは大したことを報道しないし、近年のドラマは全く分からないし、バラエティも同じようなものばかりで興味が湧きません。たまに気に入った番組はTVerなどのサイトで視聴するんですけど、そんな中で偶然見つけて大ファンになった番組というのがいくつかあります。その一つが、名古屋・CBCテレビで毎週火曜日深夜に放送されている「歩道・車道バラエティ道との遭遇」です。歩道・車道バラエティ道との遭遇|CBCテレビ|毎週火曜
🌼🌼🌼🌼🌼②北千住崖っぷちバラック地帯🌼北千住の中心街から西に向かう。いつの間にか通りの名前が「いろは通り」から「ニコニコ商店街」にかわっていたこの商店街を横切る道を左に曲がると、以前の記事で紹介した柳町の赤線跡地に出るが、今回はそのまままっすぐにすすむ柳町には千住の果てのような印象があるが、その先には元町があり、荒川と隅田川にはさまれたやけに狭い千住桜木町は、さらにその果てにあるような町であるこの写真
🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲⑬住宅街のソープランドと方型屋根京成船橋駅から房総往還方面に向かってぐねぐね延びている、細い路地の飲食街は、出桁造り商家や古そうな稲荷があることから、江戸時代からの古道だと思われたやがてその路地は、新しく敷設された広い道、拡幅された房総往還によって上書きされて続きがわからなくなるが、やや斜め前方から再びはじまっていた道路によって上書きされる以前、おそらく昭和40~50年代ごろまでは、京成船
前回からの続き。排水工事U字溝設置その①まずは材料の買い出しへ〜いつものホームセンターでお買い物(^^)U字溝とモルタルとコテを購入。材料費7000円くらい(´∀`)よし、早速作業開始!まずは嫌いな穴掘りから(;´Д`)ここをーーーこうしてやったぜ(=´∀`)人(´∀`=)いえーい暗渠のパイプやら砂利やらが埋まっていたので、大して掘っていないけどね(´-ω-`)笑そしたら暗渠のパイプは取り外し、砂利はそのまま転圧して使えるので楽チン♪これが排水ラインのパイプ。だいぶ
新宿で少し時間があるので、今回は新宿辺りから流れ出ていた蟹川の跡を辿ってみた。実業之日本社刊東京暗渠散歩より抜粋本当の水源は新宿西の青梅街道あたりだが、全く痕跡も無さそうなのでとりあえず「らしい」ところから。最初は西武新宿駅東側あたり。(地図①)少し谷間になっているあたり、と思われる。歌舞伎町のメインルートの花園通りは実は蟹川の跡。微妙な曲がり具合が確かに川だ。実は自分も花園通りが川跡とは最近知った。都電跡の四季の道と合流するあたり。川の跡どころか都電の跡の雰囲気も全く無い
本日は津幡町・内灘町・かほく市を調査。液状化の被害は広範囲かつ深刻です。道路はひび割れ(左上)、家屋の外壁は破損し(右上)、暗渠(あんきょ)管路のコンクリ塊は路面レベルから大きく隆起し(左下)、電柱は傾く(右下)。復興への支援策拡充が必要です。
午後は北品川から移動して武蔵小山へ。駅から品川用水の跡、と思われる道を行く。内陸だけど先程いた北品川と同じ品川区。最もこの道の左側は目黒区。この道が区境。今日はこの先、林試の森公園辺りから始まって目黒川まで続く羅漢寺川の暗渠を下る。実業之日本社刊、東京暗渠散歩より写し。水源は地図でもよくわからないけど、都道の26号線通り沿いに明らかに暗渠の道があったからそこからスタート。住宅地の狭間を抜けていく。この川が品川区と目黒区の区境。いくつかの合流があるようだ。その1つ、六畝川の暗渠