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JR日豊本線大泊暗渠(おおとまりあんきょ)大分県臼杵市大字大泊臼杵駅-津久見駅間橋幅:34.00m径間:0.90m架設:1916年(大正5年)頃と推測訪問日:2020年1月11日(土曜日)津久見から臼杵へ抜ける県道217号線(クネクネの山道)が工事中ということで、無難に臼杵側から県道217号線を大泊地区へ周り込みました。以前から気になっていた「こうもり谷渓谷入口」の看板が立つカーブする場所です。詳細は不明ですが、暗渠が完成した後に、井戸は掘られたようですが、推測の
溝口神社から津田山へ向かっています。大山街道の標識を発見。川崎フロンターレのペナントも掲げられています。R246へ向かう途中で見つけた暗渠。用水路の跡でしょうか。R246に架かる津田山陸橋を渡ります。多摩川に向かって、丘陵を開いて下っていく様子が見て取れます。城址のような法面に遭遇。かなり強引に切り開いたんでしょうか。開発と自然の共存は難しいですね。津田山弁財天に到着。紅白の祠が、いかにも弁天様な感じです。祠の裏には
🏠🏠🍚🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍚そして辿り着いたのは廃墟の町・2菖蒲の散策はこの図(┻╈)の左側からはじまり、ついに(╈)の上側の(〡)細い縦線まで到達した菖蒲のメインストリートの十字路の反対側は、商店街としてはすでに終わった雰囲気が濃厚で、曲がるとすぐに2棟の廃業した商家、そして戦前の建造物だと思われる元は旅館らしき廃墟があった廃墟の斜め向かい側にも一目で廃墟だとわかる、前回の記事にチラリと端だけ見せて思わせ振りに終
🚙🚙🍶🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🍶④小町大路の土蔵造り商家と旧車大路に驚く鶴岡八幡宮の真ん前を横切る北鎌倉から続く道を、小町大路に曲がると、そこには面白味の欠片もない平凡な町並みが続いていたやけに交通量が多いその通りを、少しガッカリしながらすすむと、北鎌倉からはじまった鎌倉散策シリーズにおいて、もう何棟目にしたのか忘れたぐらいたくさんあった房総スタイルの古民家を発見したこれで俄然「さすが鎌倉だ。やはり期待に応えてくれるぜ」と、散策する
今日は昼間は時間があるからどこか街歩きを。川の暗渠散歩は食傷気味だから今日は別テーマで、と考えていたが結局他が思い当たらず、また夜からの目的地の兼ね合いで結局暗渠散歩へ。到達点が今日の目的地の上野、という事から今日は谷田川(谷戸川)、藍染川の暗渠を下ります。2つの川では無くて、上流部が谷田川(谷戸川)、下流部が藍染川と名前が変わるので、文中でも途中で名前変えるけど同じ1本の川です。地図で見るとかなり大きな谷間を形成しているけど、これはかつては石神井川がかつてはこの部分を流れており、そのと
🌼🌼🌼🌼🌼②北千住崖っぷちバラック地帯🌼北千住の中心街から西に向かう。いつの間にか通りの名前が「いろは通り」から「ニコニコ商店街」にかわっていたこの商店街を横切る道を左に曲がると、以前の記事で紹介した柳町の赤線跡地に出るが、今回はそのまままっすぐにすすむ柳町には千住の果てのような印象があるが、その先には元町があり、荒川と隅田川にはさまれたやけに狭い千住桜木町は、さらにその果てにあるような町であるこの写真
****昨日は曇りだったので殺人的な熱帯夜から解放され、ようやくものすごい熱波が退いた感があるが、それでも一般的な夏からすると、十分ファッキンな暑さであることにはかわりがない思い起こせばこのクソ暑さは、この取材のころあたりからはじまったような記憶があるが、あまりにもクソ暑いので、その記憶も定かではないが(というより、思い出すのも腹立たしい)確実なのは、この日、昼前はどんよりと雲って、ややすごしやすい気温だったのが、逆川の記念碑から目九尻川に出たあ
****バラック建築、闇市あがりの商店街は、当ブログの定番ネタであるが、まだひとつ“大物”を紹介していなかったというのもこの物件は、もろに地元なので、見馴れているため地元ぶらぶら歩きのような記事に、ちらっと何度も出てきており、わざわざ単独で取り上げる気が起きなかったからだしかし、あらためて第三者的な視線でこの場所を見ていると、やっぱりちょっと凄いな……と思ったので、気合いを入れて撮影してみた。前述のとおり、日常的に通り過ぎている場所なの
1932-1984の期間、小樽築港駅(昔の場所)から港湾が拡大したのに伴い函館本線の貨物支線が伸びていました。これは小樽市が4.2kmを市費で作り鉄道省に寄付をし、それにより鉄道省は浜小樽駅を作ったのです。両方の駅間は3.2kmなので、構内線を含んでいるのかもしれません。そして浜小樽駅(貨物駅)から更に各埠頭と、後は運河沿いの現在の港町交差点のところまで支線が伸びていました。この部分は当初は小樽臨港鉄道という会社が運営していたようで、戦後に国鉄となりました。今回は時間の関係で、小樽築港駅構
(1)原町東部第2号雨水幹線1)概要本雨水幹線は、高度経済成長期に田畑が商工施設に改良する際、アスファルト化によって雨水冠水対策が必要となるため新たに整備したもので、既存の用水路や排水路を改良したものではない。上流は、集約される3幹線がすべて陸上自衛隊駐屯地内部に接続されており、駐屯地の雨水排水は周囲の雨水排水を取込み梅田川に放流する経路で計画された。本地域は仙台市内でも比較的雨が多い地域であるとされ、開削構造により整備されている。地上部から確認できる開削区間の上流は、以下写真の宮城野区日
🐟🐟🍛🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🍛⑯暗渠蓋商店街と老舗のカレー屋堀切菖蒲園駅前、いや正確には、駅のガード下を横切る川の手通りは、文字通り葛西用水西井堀という川(用水路)に平行していることから名付けられたようだ宅地化が進行した現在では用水路の必然性は失われ、流域のほぼすべては暗渠にされている暗渠といっても文字通りの意味ではなく、すでに水は流れておらず埋められてしまったというのが正確だが、ここでは便宜的に暗渠という表現を使用する西
<分流直後の七郷堀>大正5年(1916年)に撮影された、広瀬川から七郷堀が分流されている写真である。広瀬川に架かる橋は、かつてのレンガのピアノ木造橋による愛宕橋で、愛宕堰はまだ建設されていない。七郷堀は、ブロック構造でもなければコンクリ-ト擁壁もないため、ただの川にしか見えない。<分流直後の六郷堀>1953年8月の洪水時に撮影された写真である。広瀬川から分流した直後の六郷堀で撮影方向は分流箇所を背にしており、広瀬川から直接分流されている箇所の写真でないのが残念である。こちらも素掘り構造
『大型車が通ると家が揺れる』娘の家ではなく築13年の我が家のことです。普通車なら大丈夫なのですがトラックなどの大型車が通ると家が揺れるんです数年前にも同じようなこ…ameblo.jpの続きです。補修方法を考えて、連絡をすると言ってくれた○○係長この人なら信用出来るかも?と思っていました。すると翌日15:00過ぎにインターホンが鳴りました。誰だろう?と思い、出てみると
新宿で少し時間があるので、今回は新宿辺りから流れ出ていた蟹川の跡を辿ってみた。実業之日本社刊東京暗渠散歩より抜粋本当の水源は新宿西の青梅街道あたりだが、全く痕跡も無さそうなのでとりあえず「らしい」ところから。最初は西武新宿駅東側あたり。(地図①)少し谷間になっているあたり、と思われる。歌舞伎町のメインルートの花園通りは実は蟹川の跡。微妙な曲がり具合が確かに川だ。実は自分も花園通りが川跡とは最近知った。都電跡の四季の道と合流するあたり。川の跡どころか都電の跡の雰囲気も全く無い
今日は西日暮里に用事があり、ついでに何か散策出来るような暗渠とかないか調べたところ、藍染川(あいぞめかわ)放水路(排水路)なる暗渠があるそうなので行ってみる事にした。藍染川は染井霊園辺りを水源とし、駒込から南下して谷中辺りでよみち通り、へび道になっている部分を経由して不忍池に注ぐ川。上流部分は谷田川と呼ばれている。あまり河川幅も無く下流部では洪水被害も多かったため、途中から排水路として大正時代に藍染川放水路が作られた。藍染川は辿った事はあるけど、実はこの放水路を知ったのは数日前に暗渠を探し
ばーやんの記事まとめ基礎工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション建て方工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション気密測定┌我が家のC値は?└泉北ホームの最高気密は?造作工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション仕上工事まとめ工事内容WEB内覧会まとめ内覧会DIYまとめDIY計算と実測まとめ計算と実測前回の記事はこちら『暗渠排水の水はどこに逃がす?』ばーやんの記事まとめ基礎工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション建て方工事まとめ┌工事内容└
ポイントや割引やクーポン使って、ちょっと高い物を買った時仕事休みの日に近所の暗渠道暗渠跡をコーヒー飲みながら散歩したりしてる時とか。番外では、今年衆議院選挙に出る地元小選挙区の推しの日本維新の会O.Mさんを見かけた時もね
🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲⑬住宅街のソープランドと方型屋根京成船橋駅から房総往還方面に向かってぐねぐね延びている、細い路地の飲食街は、出桁造り商家や古そうな稲荷があることから、江戸時代からの古道だと思われたやがてその路地は、新しく敷設された広い道、拡幅された房総往還によって上書きされて続きがわからなくなるが、やや斜め前方から再びはじまっていた道路によって上書きされる以前、おそらく昭和40~50年代ごろまでは、京成船
庭の水はけが悪くコケが生えてきました。雨の後は、泥だらけで歩きまわるとポーチやウッドデッキが泥だらけになります。排水を改善すべく、表面排水の改善と暗渠排水路を作ろうと思います。表面排水というのは、そのまま流れて下水に流れる排水で、9割を占めるそうです。なので、改善はこっちがメイン。もう一方の暗渠排水というのは、残り1割が、地中に染みこんだ後、水を速やかに流す為の地下水路です。------------------------------現在の表面排水状況は、こんな会所(白いマンホ
付替え工事とは香椎川の流れを移動させること「市道香椎4800号線①MAR/2022」「市道香椎4800号線②工事現場のいまAUG/2022」「市道香椎4800号線③骨格が見えて来たOCT/2023」の続きです。「市道香椎4800号線」は、香椎宮二の鳥居前の参道(県道24号線)Aと3号線博多バイパスBとを結ぶ僅か340mの・・・されど、極めて重要な役割を果たす道路になる。この「香椎4800号線」の敷設工事で、一番の難題は参道(県道24号線)と交わる「二の鳥居
7月31日(月)☀36.1℃🌄4:48🌇18:47この日のお散歩は、東京都・板橋区民の方ですらも分からないだろう、板橋区の『過去の川』を歩きます。「地中に埋設したりフタをかけたりした水路」ということで、『暗渠(あんきょ)』と呼ばれる川の跡を探しながら歩きたいと思います。反対語、見えている川は『開渠(かいきょ)』と言います。板橋区のホームページから見つけた資料によると、板橋区にある『暗渠化された河川』は「出井川」「蓮根川
クスノキ参道(勅使道)の混雑が緩和する■「市道香椎4800号線①工事始まるMAR・2022」■「市道香椎4800号線②工事現場のいまAUG・2022」■「市道香椎4800号線③骨格が見えて来たOCT・2023」■「市道香椎4800号線④香椎川付替え工事MAR・2024」の続きです。香椎宮参道脇の樹林(しょうぶ園前バス停の後ろ)の切り開きが、「国道3号線博多バイパス」に通じる「市道香椎4800号線」の工事の始まりだと確認出来たのは令和4年
斜めに入っている道路の亀裂は一見してアスファルトの亀裂かと思うのは間違いこの下には、川が流れていて(暗渠川)橋が架かっているのだ今度、橋の修復工事or架け替え工事するようだ
****逆川が目九尻川から分水されていた堰は、とっくの昔になくなっており、矢倉沢往還から先には、川の痕跡もほとんど残されていなかったしかし、逆川が目九尻川に接近するあたりには、清らかな水が流れる謎の水路が開渠で流れていて、度肝を抜かれたーーというのが、前回までのあらすじであるところが、その水路は、相鉄本線の線路の土盛りにぶつかって、忽然と姿を消してしまい、疑問だけが残った。どなたかこの水路のことをご存じの方は、ぜひともご教示願い
熊本県のエリア別石橋数上益城郡甲佐町・美里町(旧中央町)・美里町(旧砥用町)八代郡氷川町・八代市141基●甲佐町/9基01.御手洗橋(御手洗眼鑑橋)単眼アーチ橋020102.広瀬眼鏡橋単眼アーチ橋020503.尾北の眼鏡橋単眼アーチ橋020604.堂迫橋単眼アーチ橋020705.大祗眼鏡橋単眼アーチ橋020806.豊内の個人宅石橋3径間桁橋167407.簗の樋門単眼アーチ橋167508.故・大峯の石橋単径間桁橋崩