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ポイントや割引やクーポン使って、ちょっと高い物を買った時仕事休みの日に近所の暗渠道暗渠跡をコーヒー飲みながら散歩したりしてる時とか。番外では、今年衆議院選挙に出る地元小選挙区の推しの日本維新の会O.Mさんを見かけた時もね
斜めに入っている道路の亀裂は一見してアスファルトの亀裂かと思うのは間違いこの下には、川が流れていて(暗渠川)橋が架かっているのだ今度、橋の修復工事or架け替え工事するようだ
日本三大古碑の1つ、多賀城碑を堪能したあと、多賀城跡を歩いてみました↑昨日もアップした多賀城政庁南大路跡当時も実際、これくらいの幅だったんですよちなみに奈良時代の官道って幅が10メートルくらい、両側にはちゃんと側溝もあったようです。↑南大路の一番低い箇所に設置されていた排水暗渠施設跡↑排水暗渠施設の解説板↑手前が多賀城創建当初(724~)の南門跡、右奥は藤原朝狩によって修築された頃(762~)の官衙主屋が再現されています。↑こ
さらに阿佐ヶ谷方面に進む。このあたりもまだアートの気分を引きずっていて、いくつものオブジェが見られる。これはその中でも目立ったものだけれど、背景の室外機の無機的な感じとマッチして味わいがある。例により作者不詳。さらに歩くと妙ちきりんな構造物が。障害物としか思えない。タイル貼りだ。なんでこんなものがあるのか。水道空気弁と…。上水道にかかわる施設なんだろうが、タイルで飾られているのが面白い。局の配慮か住民の希望か。いずれにしても珍しい。さてここが緑道の西のはずれである。桃園川自体
鎌倉街道中道(なかつみち)歩きの第四回として、上野毛から新宿御苑までの区間を歩いた旅日記のその2です。歩行ルートや見て回った街道遺構などはこちら↓。寄り道も含めると歩いた距離は16kmちょっとくらいだと思います。その1では、天祖神社にお参りした後、鎌倉街道中道に左後ろから道が合流して来るY字路で後ろを振り返ると庚申塔やお地蔵さんが並んでいたのを発見したところまでをご紹介しました(↓再掲)。ほどなくこれまで歩いてきた上野毛通りの鎌倉街道中道は、目黒通りに合流します。合流した地点
(1)原町東部第2号雨水幹線1)概要本雨水幹線は、高度経済成長期に田畑が商工施設に改良する際、アスファルト化によって雨水冠水対策が必要となるため新たに整備したもので、既存の用水路や排水路を改良したものではない。上流は、集約される3幹線がすべて陸上自衛隊駐屯地内部に接続されており、駐屯地の雨水排水は周囲の雨水排水を取込み梅田川に放流する経路で計画された。本地域は仙台市内でも比較的雨が多い地域であるとされ、開削構造により整備されている。地上部から確認できる開削区間の上流は、以下写真の宮城野区日
今日の個人的な一番のNEWSは来春ブラタモリ復活っアレ見てるとねー普段使わない色んな言葉を覚えるのよねーチート、暗渠(あんきょ)などは代表格またBlu-rayに録らなきゃ小さな楽しみが増えるのは良い事ださ今宵もうんにょり水曜ZORY。。。
前回終わりに辿りついた高南みどり公園には、かなり目立つオブジェが据えられている。これだけど、ルイズ・ブルジョワじゃないよ(笑)。作者がわからない。中央に腰かけた少年は釣り竿を振るっている。桃園川を意識してのことだろう。桃園川緑道の由来。中野区から辿って来た者には、ずいぶんと中途半端な場所に感じられる。しかし杉並区はここを起点にしたいのだろうね。緑道らしい道に戻って、早くもこんな物件が。細かい部分に手が入っているのがわかる。回り込んでみたが、もしかしたらリノベーションの途中かもしれない
2024年12月13日11月の始めに県庁裏の大口分水工から、暗渠の水路をたどり、挫折していました。リベンジなのであります。八幡堰、県庁裏から南側の堀を通って、東側に出て、そのまま北上のルートをたどりましたが、そうではなく、道路の下をくぐって、婦人会館と栗田書店の間に川があったよね。そっちに行っているんだ!それを追いかけます。もはや暗渠を探す散歩ではありません。ここをたどっていくと、信毎の建物の裏ですが、信毎はしばらく前に新しい社屋になっていて、ついでに川辺もきれいになったような
東京都練馬区を訪れました。「田柄」という地名の通り、田柄川が流れている…というか暗渠(あんきょ)となっている為、パッと見はよく見かけるような道。道路と道路の間に緑があって、この雰囲気が個人的にとても好き。そこに現れた商店街。動画にもあるのですが、ここにはかつて「フレッシュマート『おおき』」というスーパーがありました。子どもの頃、ここに買い物に行った記憶があるのですが、なくなっていました…閉店について記事を書いている方がいたので、ご紹介します。ねりまく通信「約50年間ありが
赤穂の製塩業は、余りにも有名ですが、かつての赤穂は、井戸を掘っても塩水が出る(よく言えば、磯の香りがする)土地でした。そこで、千種川を約7Km遡った地で取水し、城下町まで開渠で導水。城下内では2間(4m)四方の石組枡を通し、ろ過して暗渠として流水させる設備を完成させました。農業用水とは明確に区別し、清潔さを保ち、しかもなんと、戸別給水(1戸づつ)給水したと言われています。(完成は、1616年)江戸の「神田上水」、福山の「福山上水」と共に、日本三大上水道のひとつです。こ
【情報解禁】"ウルトラ"なメンバーで綴る暗渠アンソロジー(短編小説集)「ANKYOLOGIZMVol.1」を冬コミ(12/30)で委託発売。(その後も何らかのカタチで販売予定です)私は詩と写真で参加させて頂いてるんですが、表紙の写真モデルとして萩原佐代子さんにご参加頂きました!実はこの表紙にさせて頂いた萩原佐代子さんの写真作品。とある宝塚&劇団四季出身の俳優さんに「人生で見てきた写真作品の中で一番好き」とまで言っていただいた作品です。暗渠という題材はもちろん私の詩の内
クスノキ参道(勅使道)の混雑が緩和する■「市道香椎4800号線①工事始まるMAR・2022」■「市道香椎4800号線②工事現場のいまAUG・2022」■「市道香椎4800号線③骨格が見えて来たOCT・2023」■「市道香椎4800号線④香椎川付替え工事MAR・2024」の続きです。香椎宮参道脇の樹林(しょうぶ園前バス停の後ろ)の切り開きが、「国道3号線博多バイパス」に通じる「市道香椎4800号線」の工事の始まりだと確認出来たのは令和4年
姉の子に留守番出来るか確認するもいい返事がもらえないので出かけられず。姉が帰ってきたのでそれを指摘して「俺居なくてもいいよね?」と念押しして返事を聞かずに11時過ぎに出発。腕が痛いとずっと言ってるのに自転車で。良くならない原因、自転車なんじゃないかな?w振動や小さな体重移動に、そもそもスポーツ車みたいなサドル上げまくりで体重を腕と尻に分散させてるからサドルをほとんど上げない人と比べたら腕への負荷がキツいのかも知れない。線路沿いやそれに近いルートなので進行方向が一緒の電車
昨日のお散歩は、中新開から角田地区を通って吉原から古箕輪まで歩いて来ました。往復3.6km、知らないうちに結構歩いていました。中新開のマクドが建て替えられているので、進捗状況を見に行って、そのまま角田公園の横を古箕輪目指して暗渠の歩道を歩いて来ました。マクドは来年1月に開店予定です。Angofamilyにほんブログ村
先月行った九州旅行のお話。大阪からフェリーで新門司港に着いて、門司港駅周辺をうろついたあと(九州鉄道記念館含む)、ローカル線撮り鉄に向かいました。移動は車という、「ゆる鉄」ならぬ「ずる鉄」です。目指すは日田彦山線呼野駅。日田彦山線は元々、石灰や石炭を運ぶために敷設された路線です。いわゆる筑豊炭田にあたる地域ですかね。石炭は斜陽産業になったので、今は石灰石ですね。呼野駅、すごくよかったので、じっくり2回に分けます。日田彦山線呼野駅。待合の背面に、「呼野駅」
十数年前(もっと前かもしれない)まで、井の頭通りを横断する手段は歩道橋だけだった。↓写真左手住民の運動の成果もあり、横断歩道と信号が整備された。現在歩道橋を使う人は殆どいないが、撤去はされていない。たまに小学生くらいの子供が元気よく渡っているのを見る程度だ。その横断歩道を渡り、商店街と並行している路地へ入った。道路脇ではシャリンバイが植えられていて、ちょうど実をつけていた。↓センリョウやハナミズキの実もみられる。
🎵春の小川はさらさら行くよ🎵そのモデルとなった小川が「河骨川」と言われている。現在は絶滅危惧種となってしまった河骨(コウホネ)が自生していたことから、この名前がある。↓はコウホネの花下流で宇田川と合流し、渋谷駅付近で恩田川と合流し、渋谷川となる。現在はその殆どが暗渠となっている。渋谷駅から春の小川だったと思われる道を歩いてみた。西武デパートA館とB館の間の道(井の頭通り)を通り、宇田川交番を挟んだ左側の道を進む。右側の道は井の頭通りで、
(簡単に整理)目黒川:三宿→東京湾(天王洲)、三宿で烏山川と北沢川が合流して始まる烏山川:世田谷区内、下水道転用で暗渠化(本流)千歳烏山の高源寺の池、途中で玉川上水からの引水(水無川・中川)旧本流、旧烏山村や三鷹市の雨水・湧水+玉川上水北沢川:世田谷区内、下水道転用で暗渠化、上北沢の将軍池+玉川上水の引水今回は、烏山川の上流部の一つ「水無川または中川」を辿った。千歳清掃工場の手前で本流と別れたあと、環八をわたり、蘆花恒春園へ。公園の西側の道路脇の歩道部
【前篇】より続く。いったん林道に上がり、反対側へ下降。意外と切り立っており、トラバースしながら降りてきた。上の写真は下流側で、こちらが上流側。もちろん上を横切る平場が林道…すなわち春日野道でなんだが、あらら?吐口が見えないぞ?さっき反対側からはちゃんと貫通が確認できてたから、どうやらかくれんぼしてるらしい…。接近してみれば、果たして。倒木に遮られて隠された吐口発見!とても正対しての撮影はできない状態だった。こ
この日は大泉井頭公園方面を散歩しました。途中見かけた柿や花などです・・・ミカンです・・・井頭憩いの森周辺で・・・ケヤキです・・・雑木林の中を歩き・・・大泉井頭公園周辺で・・・道路から見た広場の水辺です・・・白子川となって流れてゆきます・・・その先の暗渠化された遊歩道を歩いて家路につきました・・・以上、11月29日の散歩道で。
2024年5月9日に敢行した、福井県宿題回収ツアー第二弾。この日のネタで記事にしているのは阿曽隧道。そこから二か所ほどの立ち寄り地点を経て、次なるターゲットへやってきた。場所はこちら。なぜか引きの写真とか全然撮ってなかったので補足として、お世話になりまくりストビュー画像を。国道8号、具谷第一隧道を抜けてほどなくの林道に入ったところだ。ここに行ったってことは、ここの次に行くのはどこなのか、当該エリアに土地勘ある同業者は一発でわかるだろうが、まあそれはまたいつか改
たぶんブラタモリだったと思うが、テレビで川に蓋をして道や公園にした暗渠というものを知った。そのときはそんなものがあるのか程度の認識だったが、気が付けばYouTubeで暗渠や道を探索する動画をやたらにおすすめされるようになった。正直そんなに積極的に観た記憶はないがおすすめされる以上たっぷり観ていたのだろう。そこまで言うのならということで身近にある暗渠渋谷川をさかのぼってみた。渋谷駅近くの開渠の場所からスタートだ。渋谷川をさかのぼるのは簡単で旧渋谷川遊歩道として整備
今日の暗渠散歩は東京を離れて千葉県船橋市の田喜野井川跡暗渠へ。なぜわざわざ船橋市の川跡かというと、幼少の頃の思い出があるから。母方の実家が船橋市にあり、幼少の折に母方の祖母に連れられて田喜野井川両岸に広がる草地に野草(お餅に入れたから多分よもぎかと?)を採りに行った記憶がうっすらと残っている。その際に田喜野井川の梯子状の梁を恐る恐る渡った覚えも。それからもう半世紀近い月日が流れているからどのように変化していることやら。つい最近まで母方の実家には何度も来ているから知ってはいるが、川沿いの低
こんにちわ😊先日訪れた新宿4丁目ですが、家に帰ってから思い出したんですよ!あの辺りにむか〜〜〜〜し、大きな『池』があったという話を!!😳💦現地で思い出さなかったのは不覚でした〜😅💦💦という事で、あらためて調べてみました。下は西新宿4丁目の1940〜50年代と現在の比較画像です↓池(十二社池)だった場所はとっくの昔に建物が建ってしまっていて池だった面影は有りません、強いて言えば例の急な坂がその名残りかと。(坂の最も低い所が池の底と思われます)今回気になったのは青いラインを引いたと
今年も11月末は平日休みになったので愛岐トンネル群に行って来ました…今年は紅葉が始まるのが遅いので早すぎたようです。昨年は遅すぎた…なかなかベストタイミングで行かれません😅城嶺橋から定光寺駅と愛岐トンネル群が見える左に登ると駅に行きますが、愛岐トンネル群は川沿いに真っ直ぐ進みます。ヒメツルソバがコンクリートの壁に咲いてます駅の階段から少し上流に行くと愛岐トンネル群があるので少し左に登って行きます。3号トンネルが最初のトンネルです。少し下流に1号、2号トンネルがありますが現在も中央
前回の記事はこちら『これからの時期は気圧の変化による頭痛に注意』ばーやんの記事まとめ基礎工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション建て方工事まとめ┌工事内容└ホームインスペクション気密測定┌我が家のC値は?└泉北ホーム…ameblo.jp以前から悩んでいた家の裏にある溝問題です!こちらは雨降った後に山から土中を通過して流れてくるので常に湿った状態になっています💦なので苔が生えているから不衛生な気がするでしょう?そしてその時の記事がこちら『掃除をしないと苔だらけになる溝』前回の記事はこ
この日は、大泉井頭公園方面を散歩しました。こんな花や木の実を見ながら・・・山法師の実です・・・大泉井頭公園周辺で・・・道路から見た水辺です・・・道路際の広場のピラカンサの実です・・・暗渠化された遊歩道を歩いて・・・南天の実です・・・柿です・・・ホトトギスの花などです・・・帰り道、珍しい色のコエビソウが・・・以上、11月18日の散歩道で。
<分流直後の七郷堀>大正5年(1916年)に撮影された、広瀬川から七郷堀が分流されている写真である。広瀬川に架かる橋は、かつてのレンガのピアノ木造橋による愛宕橋で、愛宕堰はまだ建設されていない。七郷堀は、ブロック構造でもなければコンクリ-ト擁壁もないため、ただの川にしか見えない。<分流直後の六郷堀>1953年8月の洪水時に撮影された写真である。広瀬川から分流した直後の六郷堀で撮影方向は分流箇所を背にしており、広瀬川から直接分流されている箇所の写真でないのが残念である。こちらも素掘り構造
限られた水源から平等に分水するため、丸く収めた先人の知恵「疣岩(いぼいわ)円形分水工」、1931(昭和6)年の供用開始から90年経った今も、地域の産業を支えています。取水しているのは、蔵王の山々の森林を源とする「澄川」。遠刈田温泉の上流にある取水堰から、暗渠(地下水路)を通り、水力発電所で利用された後、サイフォンの仕組みで地上に溢れだし、きっちりと分水されて、それぞれの用水路を流れていきます。蔵王に向かう幹線道路沿い、近くに「たまご舎蔵王本店」があります。とにかくこの地域は、円田、円形