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ご訪問ありがとうございます。ヤマトタケルシリーズで見たように「古事記」の作者はヤマトタケルに異常な思い入れがあるのでw九州や東国の征討はヤマトタケルにおまかせ❗なのですが、「日本書紀」には景行天皇の九州征伐が入ります。ところがヤマトタケルと比べると全然おもしろくないのです💦けれどもこの征討こそは、わたしは邪馬台国と関わると思うので、ちょっと丹念に見ていきましょう。12年秋7月、熊襲クマソがそむいて朝貢をしなかった。8月15日、天皇は筑紫ツクシ(福岡県)に発たれた。9月5日、周芳スオ
玉名大神宮熊本県玉名市玉名4600「玉名」誕生の地奈良時代の歴史書「日本書紀」(七二〇年)の記事によれば、玉名は「玉杵名邑」と呼ばれていました。その後、平安時代の「和名抄」の玉名郡名に「多満伊奈」と読まれ、太宰府天満宮の「天満宮託宣記」に「玉井名」の記録があり、「タマキナ」から「タマイナ」に変化し、「タマナ」と音がつまったと考えられています。「玉杵名」は「魂来名」のことで「神霊の安らぎの地」と理解され、「玉」は霊、「杵」は来る、「名」は土地を意味しています。
ご訪問ありがとうございます。今回から、景行天皇に入りました。まずは本文を読んで行きましょう。大足彦忍代別オオタラシヒコオシロワケ天皇は垂仁天皇の第三子である。母は、丹波道主タンバノミチウシ王の娘の日葉洲媛ヒバスヒメ命である。垂仁天皇の37年に皇太子となられた。時に、年21であった。(垂仁天皇)99年春2月、垂仁天皇は崩御された。(景行天皇)元年秋7月11日、皇太子は皇位につかれた。よって世を改められた。この年、太歳は辛未カノトヒツジにあった。2年春3月3日、播磨稲日大郎
疋野神社熊本県玉名市立願寺460HP等に「疋野神社は他の神社よりのご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。」ってわざわざアピールしてるところが良い😊「波比岐(はひき)神」というマイナーな神様。じゃあここで、古事記の記述を見てみましょう。故、其大年神、娶神活須毘神之女、伊怒比売、生子、大国御魂神。次韓神。次曽富理神。次白日神。次聖神。(五柱)又娶香用比売、生子、大香山戸臣神。次御年神。(二柱)又娶天知迦流美豆比売、生子、奥津日子神。次奥津比売命、亦名、大戸
高穴穂神社滋賀県大津市穴太1-3-112代〜14代天皇の皇居、高穴穂宮だとされる場所。この日は石山寺→瀬田の唐橋と行った時点で17時を過ぎていたので行くの悩んだけど、当日中なら周遊チケットが高穴穂神社最寄りの穴太駅までも使えるから、行った🚃💨少し暗くなりかけではあったけど、まだ明るくて良かった☀️「三帝の都」と言っても、景行天皇も仲哀天皇も主にいたのは別の場所。ここは成務天皇が長く都をおいた場所。…あれ仲哀天皇、半年?仲哀天皇は即位2年の2月6日に
バイクで30分ほど走って田川市の神功皇后ゆかりの地へ🏍💨若八幡神社福岡県田川市夏吉1636御祭神仁徳天皇・応神天皇・神功皇后地主神神夏磯媛命輝徳霊神小笠原忠真公「八幡神」が応神天皇。「若八幡」となっている場合は基本的に、応神天皇の息子である仁徳天皇が主祭神。どうやら、平清盛がここの近くの香春岳鬼ヶ城の守護神として、平家の氏神である仁徳天皇を持込んだらしい。小笠原忠真はまた後々の人で、良い政治をしたのだろう。亡くなってしばらく後、村民が朝廷に願い出て輝徳霊神っていう神
こんにちは、スタルペスです。今日は、福岡県みやま市の田油津姫伝説の古墳に来ています。みやま市瀬高町大字大草字大塚にある「蜘蛛塚(くもづか)」に来ています。※老松神社の敷地内に「蜘蛛塚古墳」はあります。※まずは老松神社にお参り。老松神社の境内にあるこの蜘蛛塚は、田油津姫(たぶらつひめ)の墓と言われています。神功皇后は山門県(やまとのあがた)にヤマトに従わない田油津姫という土蜘蛛の女酋がいるということでこれを討ち果たします。この田油津姫の墓がこの
こんばんは。九州はまた雨が降っているようですね☂️今朝は茨城で震度4の地震。都内の感染者は過去最多の224人だそうです。今回の豪雨で故郷でも多くの被害がありました。思うところあって調べものをしていたら…思いがけず重要な神様を知る事ができ、有難かったです🙏✨以前行った事がある日田市の天ヶ瀬温泉♨️1300年の歴史がある清流沿いの静かな温泉で、由布院・別府と共に「豊後三大温泉」と言われています。橋が流され、ショックを受けていたら…何と、片岡孝太郎さんのお知り合いの旅館も被災されたそ
第243話おはようございます菊水千鳳ですご覧いただいている【崇徳天皇怨霊から守護神へ】の連載を一先ず終わりにし、【日本武尊(ヤマトタケル)さん】関連の連載を書きます。今回から、【源頼朝さん義経さんの愛と涙と感動の再会物語】(仮)の連載を予定しておりましたが、源頼朝さんからの暗黙の了承を得まして、ヤマトタケルさんの特集を先にお届けする運びとなりました。ㅤヤマトタケルノミコト、俺はヤマトタケルさんまたは、タケルさんと呼ばせていただいています。生前のヤマトタケルさんは
「五島列島」の「中通島(大近)」の「矢堅目」。*画像はWikiより◆土蜘蛛二十三顧(「肥前国風土記」~4)九州各地の「風土記」から「土蜘蛛」の記事を起こし…「阿蘇ピンク石」製石棺で、「火国」や「球磨国」、「熊襲」や「隼人」について学び…ちょっぴり九州ツウになりかけています。今もし再び九州へ行くとするなら…どの辺りを巡るか悩ましいところ。行くことはできないのでしょうが(笑)~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎【過去記事一覧】はこちらに!『◆「土蜘蛛」過去記事一覧
千葉県でお仕事があったので帰りに寄ってみましたほぉ~我孫子市伊勢山天照神社住宅地の中じゃ奥に行くのかなシイの木の大木じゃ大きいね草創は古い遠く「景行天皇」の御代との伝承である古墳時代だわね日本の第12代天皇だった境内の隅にありました
滋賀県大津市の穴太(あのう)には高穴穂(たかあなほ)神社があります。穴太というように穴太衆(あのうしゅう)ゆかりの地ですね。ここには、かつて高穴穂宮(たかあなほのみや)があったといいます。日本書記には第12代・景行(けいこう)天皇の世に『幸近江國居志賀三歲是謂高穴穗宮』「近江国に行幸して志賀の地に3年いたこれを高穴穂宮という」とあり、つづけて『天皇崩於高穴穗宮時年一百六歲』「天皇は高穴穂宮で崩御したこのとき齢106歳だった」とありま
やまinぎふ連休前半は岐阜県北部の山間部へ。残念ながら幼児教室のあるスキー場のオープンはまだだったので、散策やBBQをしたりしてのんびりしてきました初パワースポット散策で今回初めて訪れたのが、郡上市白鳥町にある白山中居神社。言い伝えでは、景行天皇が神託により舟岡中居の地を平らげて宮殿を造り、大神を神殿に奉斎した(82年)ことが始まりとか…大変な歴史のある神社です主祭神は菊理媛命(ククリヒメノミコト)、伊奘諾尊(イザナギノミコト)、伊奘冉尊(イザナミノミコ
北九州小倉南区JR日豊線に朽網駅というところがある駅から降りて北に850mのところにあります帝踏石(たいとうせき)道の交差点に突然登場するめちゃくちゃでかい!!行ったら驚く!!大きな岩が5、6個転がってる感じしかし、驚くほどでかい!!帝踏石記昭和8年に書かれた石碑の説明では景行天皇(日本武尊の父親)が土蜘蛛(この辺りの有力豪族)を征伐するために来たときに、戦勝祈願をこの岩の上でしたので帝踏石と呼ばれたということが書かれてあります景行天皇とい
おのころ島神社より500メートルほど南西に屯倉(みやけ)神社があります。この一帯は、第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇が淡路屯倉(あわじのみやけ)をおいた地だといいます。屯倉(みやけ)とは天皇の直轄地であり、倉庫や食料庫があったり狩猟の地であったともいわれているようですがよくわからない部分もおおいようです。土地の支配ではなく地域民衆の支配であるともいいますから、この地に暮らしていた御原海人(みはらのあま)という隼人(はやと)系海人族とも関わりがあったのでしょ