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【23年7月9日探索・24年4月16日公開】現在地はこの辺茨城県つくば市吾妻歩行者用の陸橋だ。昭和50年代前半の建造と思われ、けっこう草臥れていた。吾妻4丁目住宅だ。近くの吾妻2丁目住宅などは取り壊しが進んでいたが、ここも建て替えが近いのかも。歩道を進んでいくと・・・こんな広場のような場所になった。工事は花室トンネルの補修だった。この地下には県道24号土浦境線の自動車専用道路・花室トンネルがある。そしてその途中にバス停があるという
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。今日は、昭和50年代に生まれた人の前世についてです。最近の私のブログの記事では。人は、亡くなった後に霊界へすんなり行ける場合と。あの世とこの世の間の幽界、いわゆる浮遊霊の世界にとどまる場合があることを書いていますが霊界に行った霊での中でも。特に霊魂が浄化されると精
世の中がコロナ一色になってしまう直前の2020年1月頃、野暮用のため西武新宿線の井荻駅あたり、住所でいうと東京都杉並区井草3丁目付近をブラブラしていた時のことだ。井草(いぐさ)なる地名は、小学生時代に……いや、小学生時代から今に至るまで愛読し続けている漫画マカロニほうれん荘(鴨川つばめ作=週刊少年チャンピオン連載)にて脳にインプットされたものだ。当時、作者が住んでいたのかどうかは知らないが、主人公の3人組(きんどーさん、ひざかたさん、そうじ君)が住むアパート「ほうれん荘」は杉
◆昭和50年代には男性用パック、ファンデ、リップなどが発売されています!こんにちは、山村です!男性の化粧シリーズも10回目。今回は、昭和50年代から昭和末期までの男性コスメについてです前回ご紹介した昭和40年代の資生堂「MG5」や、マンダムの「マンダム」の大ヒットにより、団塊の世代以降は、メンズコスメ(スキンケア)への抵抗感は薄れたと思います。その後も、多くの化粧品会社から、スキンケア商品が発売されましたそして迎えた昭和50年代、CMなど広告展開を含めて話題になっ
献立:ミルクファイバーライス、牛乳、オムレツ、和風サラダ、一食ドレッシング、果物食物繊維が豊富な大麦入りのご飯を牛乳で炊いた、ミルクファイバーライス。豚肉、えび、野菜類と具沢山で、カレー粉を加えることで風味よく仕上がっています。当時、“タケちゃんマンライス”とネーミングされ、全国的に流行した給食メニューでした。和風サラダは、大根、きゅうり、にんじん、わかめにツナを加えて食べやすく。デザートのキウイフルーツは、先割れスプーンで食べるのが給食流です。
Youtubeで見つけました。すでにご存じの方もおられるかもしれません。昭和62年に取り壊された倉吉東中学校の旧校舎の動画がアップされていました。今まで、何度も倉吉関連の動画を検索してきたつもりが、この貴重な動画は数年前からネット上に存在していたんですね。8ミリフィルムで撮影されたこの動画は、画質は8ミリフィルム特有の粗さはありますが、それを補って余りある内容となっています。校舎や校庭など「動かないもの」が被写体ですので、写真と変わらないと思いきや、やはり動かないものが対象でも動画
父親がよく飲んでいたウィスキーが「サントリー・オールド」でした。無くなると次に買ってくるのがまたまた「サントリー・オールド」。「スーパーニッカ」というウィスキーは買わないのかと聞いたら、「ウィスキーはやっぱりサントリー。ニッカは2流メーカーで美味しくないから買わない。」と言っていたのをよく覚えています。そんなものかと、当然お酒の味のことなど知るはずもない小学生のボクは、しっかり「一流はサントリー。ニッカは二流。」と刷り込まれました。思えばボクの親世代に人は一流メーカー信仰が強かったかもしれま
昭和61年に閉鎖された興和紡績倉吉工場。昭和40年代末期から50年代にかけて、上灘、下田中、昭和町、巌城のエリアは土地区画整理で大きく様変わりしました。2001年にパークスクエアへと生まれ変わった興和紡跡地ですが、かつてはここに倉吉の主力産業の中核をなす大工場があったことをリアルで知る市民も少なくなってきました。以前読者の1978さんに当時の興和紡周辺の貴重な写真をいくつか送って頂いておりましたが、何と不覚にも未掲載の写真があることに気が付き、総集編として今までのお写真に加えて未掲
大映ドラマで思い出すのは昭和60年前後の「スチュワーデス物語」「スクールウォーズ」などを思い出す人も多いと思います。私も昭和の終わりくらいは大映ドラマをたくさん観た気がします!しかし、調べてみると大映ドラマが昭和30年代放送されていたことやつい最近高視聴率を集めたあのドラマも実は大映ドラマだったことがわかりました!今回大映ドラマについて綴らせていただきます!大映ドラマの歴史大映ドラマは昭和30年代の「少年ジェット」から始まりました。昭和40
今はTVを基本見なくなったが子どもの頃は結構見てた1970年代後半(1976年~78年)土曜夕方5時以降我が家では6→6→6→8→8→6→6chと見てたまず夕方5時岡崎友紀さんのドラマ再放送枠6ch奥さまは18歳やなんたって18歳が印象に残っている同世代の関東圏在住で見たことある人はこの時間の再放送だったはず5時半はまんがはじめて物語お姉さん役岡まゆみさんが一番印象深いが初代がうつみ宮土理さんだったの覚えてる人いるかな?6chでは東
画像は昭和50年代頃の絵葉書「雄琴温泉」。この絵葉書には次のような説明文が付いている。「雄琴温泉比叡山東ろくの小丘にあって、琵琶湖を隔てて近江富士が美しく眺められる。特に冬の鴨猟、鴨料理は有名。」だが、この絵葉書に写っている風景を見ると、とてもそんなのどかな情景とは程遠い。やたらと目につくのは「トルコ風呂」の看板ばかりだ。このトルコ街は温泉街から隔離された場所にあり、温泉も引かれておらず、この光景をもって「雄琴温泉」とするには違和感を感じる。あるいは当時「雄琴温泉」イコール「ト