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私が幼少期から30歳頃まで住んでいた岸和田と言う街を回想するシリーズで、今回は駅前商店街の第三段と題して、ご案内しようと思う。前回のブログ→https://ameblo.jp/dmh17c/entry-12513446254.htmlと言うことで、今回は商店街のアーケードから外れた「府道堺阪南線」、すなわち地元で言うところの旧の26(きゅうのにいろく)から、更に海側(西側)へとそぞろ歩きしてみました。上の写真にある通り、当時は向かって
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。今日は、昭和50年代に生まれた人の前世についてです。最近の私のブログの記事では。人は、亡くなった後に霊界へすんなり行ける場合と。あの世とこの世の間の幽界、いわゆる浮遊霊の世界にとどまる場合があることを書いていますが霊界に行った霊での中でも。特に霊魂が浄化されると精
今日は中学の部活同窓会でした集まったのは野球部ハンドボール部テニス部そして自分が所属していたバスケ部野球部だったH君のお店に集まりました昭和の風情が漂うお店ですベイシティローラーズアラベスク映画グリースのジョントラボルタとオリビアニュートンジョン風浅田美代子クリームソーダのタオルこのお店の壁に貼ってあるのですが懐かし………すぎます私は兄の影響もありビートルズが好きでしたがベイシティローラーズのLPジャケットを見れば昭和50年代前半を感じます今
旧市街地繁栄の最後の象徴ともいえるジョイニー倉吉。新規開店は昭和50年。閉店は平成の半ばと聞いておりますが、ボクはもう倉吉にはいなかったので、その後の「たからや」への屋号の変更等の時系列は一切解っていないです。倉吉初登場のエスカレーターは衝撃でした。それまでのタイヨーのベルトコンベアで喜んでいた田舎者にとっては憧れの都会の象徴「エスカレーター」に誇らしさを感じたものです。一部ガラス張りの壁面もカッコよかった。レコード店があるのも都会チックで、倉吉も都会への道を歩み始めたな(笑)と思
昨年頃まで、滋賀県の雄琴という場所に残っていた屋上広告看板である…。「トルコ?」「滋賀?」はてさて、今の40歳以下の方ならお分かりにならないだろうが、こちらは現在の「ソープランド」の看板であって、昭和59年まではトルコ風呂と呼ばれていた所以である。※昭和50年代後半に日本へ留学していたトルコ人学生の抗議によって、ソープランドに改名される。と言うことで、今回は関西圏と申しますか、とりわけ大阪を中心とした昭和50年以降の性風俗産業
読者の「qtwqrさん」に送って頂きましたジョイニーの写真特集も今回で最後となりました。引退後の写真ですが、ジョイニーとホテイ堂が両巨頭として君臨していた時代を知る人にとっては、これらの懐かしい写真を眺めていると、いろいろと胸に去来するものがあると思います。最終回の今回は、解説はそこそこにして多数の写真群をジックリとお楽しみいただきたいと思います。貴重な写真の数々を惜しみなくご提供していただいた「qtwqrさん」に深く感謝いたします。
スペースアポロナガイパンの昭和の懐かしい菓子パン期間限定発売!フジパンのグループ会社「ナガイパン」昭和50年頃に販売していた洋菓⼦の「アポロ」を再現((= ̄□ ̄=;))ナ、ナント!!「マツコ&有吉かりそめ天国」で話題になった"幻"!?のパン期間限定で復活!商品名は「スペースアポロ」!ミルク風味のクリーム緑色の文字ふんわりスポンジケーキにミルク風味クリームをサンドミルク風味クリームの上にトッピングされたザラメがザクザク食感ヽ
◆昭和50年代には男性用パック、ファンデ、リップなどが発売されています!こんにちは、山村です!男性の化粧シリーズも10回目。今回は、昭和50年代から昭和末期までの男性コスメについてです前回ご紹介した昭和40年代の資生堂「MG5」や、マンダムの「マンダム」の大ヒットにより、団塊の世代以降は、メンズコスメ(スキンケア)への抵抗感は薄れたと思います。その後も、多くの化粧品会社から、スキンケア商品が発売されましたそして迎えた昭和50年代、CMなど広告展開を含めて話題になっ
大学卒業して20年以上。すでに福岡生活は人生の半分未満となり、もう随分前の話ですが、私は幼少期から小学五年までの約10年間を、北九州市八幡西区にある鉄竜という変わった名前の町で過ごしました。隣町は鉄王。いずれも新日鉄の社宅群に埋め尽くされた町でした。いまはもう社宅群はすべて取り壊され、当時の面影は消えつつあります。以下ではその鉄竜と当時よく出かけていた思い出の繁華街黒崎の過去から現在について記録しておこうと思います。長くなりますが、よろしければどうぞ。写真は国土地理院空撮データベースより
【23年7月9日探索・24年4月16日公開】現在地はこの辺茨城県つくば市吾妻歩行者用の陸橋だ。昭和50年代前半の建造と思われ、けっこう草臥れていた。吾妻4丁目住宅だ。近くの吾妻2丁目住宅などは取り壊しが進んでいたが、ここも建て替えが近いのかも。歩道を進んでいくと・・・こんな広場のような場所になった。工事は花室トンネルの補修だった。この地下には県道24号土浦境線の自動車専用道路・花室トンネルがある。そしてその途中にバス停があるという
画像は昭和50年代頃の絵葉書「雄琴温泉」。この絵葉書には次のような説明文が付いている。「雄琴温泉比叡山東ろくの小丘にあって、琵琶湖を隔てて近江富士が美しく眺められる。特に冬の鴨猟、鴨料理は有名。」だが、この絵葉書に写っている風景を見ると、とてもそんなのどかな情景とは程遠い。やたらと目につくのは「トルコ風呂」の看板ばかりだ。このトルコ街は温泉街から隔離された場所にあり、温泉も引かれておらず、この光景をもって「雄琴温泉」とするには違和感を感じる。あるいは当時「雄琴温泉」イコール「ト
昨日訪れた須磨浦山上遊園。笑わずには乗られないカーレーター乗り場でずーっと掛かってた音楽が耳にこびりついて離れない。何だろう~どこかで聞いたことがあるような?で調べてみたら私と同じようにあの音楽に注目した人がいたのでまた笑ってしまった。おかげですぐに見つけることが出来ました。同志よありがとう。で、その曲とは星を求めてという曲でした~!有名な曲みたいですね。ていうか、昭和50年代に呼ばれた親戚の結婚式でこんな感じの曲が多用されていたように思います。
大映ドラマで思い出すのは昭和60年前後の「スチュワーデス物語」「スクールウォーズ」などを思い出す人も多いと思います。私も昭和の終わりくらいは大映ドラマをたくさん観た気がします!しかし、調べてみると大映ドラマが昭和30年代放送されていたことやつい最近高視聴率を集めたあのドラマも実は大映ドラマだったことがわかりました!今回大映ドラマについて綴らせていただきます!大映ドラマの歴史大映ドラマは昭和30年代の「少年ジェット」から始まりました。昭和40
世の中がコロナ一色になってしまう直前の2020年1月頃、野暮用のため西武新宿線の井荻駅あたり、住所でいうと東京都杉並区井草3丁目付近をブラブラしていた時のことだ。井草(いぐさ)なる地名は、小学生時代に……いや、小学生時代から今に至るまで愛読し続けている漫画マカロニほうれん荘(鴨川つばめ作=週刊少年チャンピオン連載)にて脳にインプットされたものだ。当時、作者が住んでいたのかどうかは知らないが、主人公の3人組(きんどーさん、ひざかたさん、そうじ君)が住むアパート「ほうれん荘」は杉