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昭和60年発行「梅ヶ谷伝」(堀田次修著)より一部加除一.生いたちと生家入門のころの梅ノ谷(押田音次郎)<梅ヶ谷伝より>明治大正の両時代にかけて、史上最年少で大関・横綱に昇進し梅・常陸と称される空前の黄金時代を築いて遂には相撲常設の国技館建設に至らしめた第20代横綱二代目梅ヶ谷藤太郎は、明治11年(1878年)3月11日、富山県の旧中新川郡西水橋町大町(現在の富山市水橋大町:生誕時は越中国新川郡西水橋)において、父押田喜平、母ふさの四男として生まれた。幼名は音次郎。家は売薬と
とうとう配信開始されたNetflix『イクサガミ』を速攻で観てみました!こちらも原作があるんですねイクサガミ(1)(モーニングコミックス)Amazon(アマゾン)う〜ん、あえて原作(小説もあり)を読まずに観始めました時は明治。幕末を戦い抜いた侍たちも刀を取り上げられ行き場を失い、仕事も無く極貧な生活を送っていました。また、疫病『コロリ』(現在で言うところの”コレラ”)が流行。貧しい者たちは次々と命を落としていってしまいました。主人公である岡田准一さん演じる士族で
昭和61年に中学二年生だった、私の英語の教科書に載っていた小泉八雲の"AMUJINA"Longago,therewasalongslopeinthecityofEdo.Itwasaverylonelyplace—カッコいい挿絵、覚えてますか。(^ω^)ムジナのお話を知ってから、作者の小泉八雲についても、たくさん興味を持ちました。小泉八雲はペンネームで、彼は、ヘルンさん(ラフカディオハーン)という外国人です。彼の書いた「Gl
小結緑島友之助■生い立ちから入幕まで明治大正の両時代にかけて、20代横綱二代目梅ヶ谷藤太郎、22代横綱太刀山峰右衛門、関脇玉椿憲太郎とともに越中出身四大力士の一角を占めた小結緑島友之助(みどりしまとものすけ)は、明治11年(1878年)1月12日、富山県の旧中新川郡北加積村(現在の滑川市横道:生誕時は越中国新川郡横道村)で農家の二男として生まれた。本名は高木友之助⇒彌右衛門(やえもん)。父親は土地相撲で「緑山」の四股名で大関を務め、友之助も17歳の時点で五斗俵二俵(約15
いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれ
富山の朝乃山の先達、横綱の太刀山。偽物の美術品を贈られたという話だが、太刀山という人は相撲界への入門を嫌がった。明治31年の徴兵検査の折に、老本彌次郎(太刀山)の体格と怪力ぶりが評判となった。梅ヶ谷、荒岩といった友綱一門の看板力士一行が北陸に巡業した際、話に聞いていた友綱が、彌次郎のもとに行司の木村庄之助を使いに出した。しかし元々相撲が嫌いで「家業を継ぐ」ということ、父も跡継ぎであると断ったが、友綱が彌次郎を連れてきたものは招待券を出すと言い、何とか親しい人間が相撲場まで連れ出した。
こんにちは今日も観光日和お立ち寄り下さってありがとうございましたさていよいよ明日からの週朝ドラばけばけどこかで山橋薬舗が登場しそうです松江大橋の界隈が出るたびについ山橋薬舗を探してしまう(笑)どんな展開になるのか気合いを入れてテレビの前に座りたいと思います何度か書きましたが明治時代の店のちらしです細かい細かいいろんな物を売っていたようです大きく切り取るとまた面白い松江大橋も左手に見えます初代陸軍軍医総監松本順さんの店の看板ビールはあるかな🍺?メガネ
https://news.yahoo.co.jp/articles/691617e0880ef95ff1c78aaa161d6ed75dd1241c?page=1「主人公のキャラがつかめない」「“大胆な再構成”って大丈夫?」朝ドラ『ばけばけ』に視聴者が抱いた“不安”が杞憂であるワケ(東洋経済オンライン)-Yahoo!ニュース9月29日、113作目の朝ドラ「ばけばけ」(NHK総合)がスタートしました。同作は「怪談」を発表した小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの妻・小泉セツがモデルの物語。
3月に山陰方面へ旅する前、娘がチャットGPTに相談していて、旅行計画立てるのにAIかとビックリしたが・・・過去に名を馳せた人に限らず、昔の人達の写真をAI技術でもって現代に蘇らせる。YouTubeで最近よく見かけますが、これも本当に驚くわ昔の人の写真は斜に構えていて、ほとんどが澄まし顔。そんな写真の人達が普通に微笑んでいたり、はにかんでいたり、何か話していたり。それがとても自然な動きで表現される。この動画、イケメンと銘打っているだけあって、これ観ていると日本男子イケてるわ👍と思うわね
◆今回は、三越の前身三井呉服店と、鰹節商のにんべんをとりあげます!こんにちは、山村です!今回は、明治29年~30年に出版された浮世絵シリーズ「東京自慢名物会」の解題の番外編第2弾最初は、日本橋駿河町にある三ツ井呉服店。のれん印は「丸に井桁三」。東京自慢名物会より三ツ井呉服店(部分)明治29年東京都立図書館所蔵まずは狂歌の読み下しから。「名に高き冨士を背中に駿河町見世に三ツ井の客としろ物千秋」三ツ井呉服店のある通りからは、富士山がよく
大正6年発行「太刀山」(龍野周一郎著)より一部現代語訳■太刀山の生活ぶり太刀山の横綱免許状太刀山の性質は温厚篤実(おんこうとくじつ)で、親に孝行な事は言うまでもなく、友誼(ゆうぎ:友情)もまた頗(すこぶ)る厚く、門弟に対してはこれを我が子のように慈しみ、多くの力士の通用性(つうゆうせい:同類のものに共通して備わっている性質)とも言うべき豪放粗大(ごうほうそだい:大胆で細かいことにこだわらない性質が過剰であるさま)の風もなく、渠(きょ:三人称の代名詞:本書では太刀
自分で言うのも何ですが、私は子供の頃から、気が短く、思慮が足りず、そそっかしいところがあります。そんな私はよく母から「とんけ」と言われました。簑島良二著『日本のまんなか富山弁』(2001年初版)には載っていませんが、「とんけ」とは、「あわてもの」や「おっちょこちょい」という意味で使われる富山弁です。■とんけ「あわてもの」「おっちょこちょい」【用例1】あんた、なんちゅとんけながいね(あなたは本当にあわてものですね)【用例2】とんけにもとんけにも(どう
「古今相撲評話」の記事より、22代横綱太刀山峰右衛門と19代横綱常陸山谷右衛門の本場所全取組十番を紹介します。太刀山は常陸山の3歳年下(二代目梅ヶ谷の1歳年上)で初顔合わせ時は満25歳。通算成績は太刀山の3勝4敗3分(引分を除けば4連敗のあと3連勝)でした太刀山と常陸山の取組とされる写真(撮影時期不明)1.明治36年1月場所初日●東前頭9太刀山対西大関常陸山○太刀山に常陸山は剛勇無双の名力士に新進の強力士、化粧立ち数回にて立ち上がるや太刀より激しく突きかけしも、常陸
大正6年発行「太刀山」(龍野周一郎著)より一部現代語訳■家族と家庭太刀山の妻子(右端が妻とら子、左端は次女峰子)太刀山は明治37年2月8日、愛知県人で元代議士となった事のある今は故人の大導忠七氏の媒酌により、同県海東郡蟹江町佐藤嘉蔵の長女とら子と結婚した。渠(きょ:三人称の代名詞:本書では太刀山を指す)は28歳で幕内筆頭にあった時、とら子は明治13年7月10日の生まれで25歳の時である。爾来(じらい:以来)琴瑟(きんしつ:夫婦が仲よく睦まじいこと)相和(あいわ)し家庭は極