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2018年9月中旬の大宮散策の続き。「東光寺」を参拝し、旧中山道大宮宿を歩いた後は、「塩地蔵・子育地蔵」に向かいました。東光寺・旧中山道大宮宿のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12593228211.html旧中山道大宮宿を歩いていると、「塩地蔵尊子育地蔵尊」という案内板を発見。旅の途中、病に倒れた父を救うため、2人の娘が地蔵のお告げに従い塩断ちした、という伝説が今に伝わります。旧中山道から路地を入った所に
(前回「旧中山道:加納から新加納へ(後)」より続く)新加納を出て、中山道を鵜沼宿に向かいます。貞享二年の貝原益軒『岐蘇路の記』*に、各務野ひろさ三里四方有と云。但東西は三里ばかり。南北一里半程に見ゆ。此野に田畠なし。たゞ青草のみ生ず。享和二年の大田南畝『壬戌紀行』**に、此あたりより鵜沼までの間を各務野といふ。三里四面ありといふ。また、『木曽路名所圖會』(1805年)に、各務野新加納より東の方にあり。廣き野なり。此邊を三野の其一各務野と
(前回「旧中山道:加納宿から新加納へ(前)」より続く)木曾路(中山道)は、蔵前で左折します。細畑の一里塚からは1.7km、この日の目的地鵜沼宿までは13.2kmの道のりです。境川に架かる高田橋を渡ると、上流方向に名鉄各務原線。東海北陸自動車道の高架下を抜けると、濃川橋の西詰に、「中山道間の宿新加納」という石標が見えてきました。江戸時代の道中記、例えば、等々力豊田家「伊勢参宮日記」*(天保六年)に、新加納村中食六十四文梅
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼final廃業してしまった片流れの不動産屋国道17号線(首都高速中央環状線)のところで「きつね塚通り商店街」は終わっていたきつね塚の通りは当然、その先まで続いているが、常々僕が唱えている「広い道路は町を分断して結果として滅ばす」のとおり、その先には老舗っぽい酒屋が1軒残るだけで住宅街になってしまうあとは板橋駅まで行って、どこかで夕食を摂って帰りは高円寺にでも立ち寄って古着屋を回ろう…
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。醒井宿にある旧醒井郵便局舎にやってきました。1915年に建設されてから、1973年まで醒井郵便局として使用されていた木造2階建ての洋風建築です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に関わったそうです。ウィリアム・メレル・ヴォーリズといえば、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)を創立してメンソレータムを日本に普及させた実業家ですよね。1階は、休憩所として無料開放され
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
皆さんこんにちは!さて、NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』、今月から始まりましたね!仕掛人も、上白石萌音さん演じる「安子」に、朝から元気をもらっています。幸せも束の間、ストーリーは戦時中に入ってしまいました。これからの展開、どうなるのでしょうか?さて、今日は、そんな『カムカムエヴリバディ』でも登場した、滋賀県の「豊郷小学校旧校舎群」をご案内します。この建物、そうです、「安子」が、松村北斗さん演じる「稔」を見送りに行った「岡山駅」ですね!実は岡山県ではなく、滋賀
2018年3月29日(木)に、会社からお休みを頂き、旧中山道の軽井沢~岩村田の区間を歩いた記事のその2です。当日の歩行ルートは☟(ルートラボの大きな地図はこちら)。全部併せて歩いた距離は、ルートラボベースで25.6㎞。さて、その1では沓掛(くつかけ)の宿場に入って早々、廃旅館となってしまった脇本陣跡を見たところまでをご紹介しました。(☟再掲)この宿場は、何度かの大火のせいで風情が残っていない、とはいうものの、ちらほらそれらしい商店などが見られます。その先の信号交
何と本日はお休みを頂いて、旧中山道歩きを堪能して参りました。何てったって、今期の御休みを取ろうと思ったら今日か明日しか無い訳ですからね(≧∇≦)。歩行ルートは☟(ルートラボの大きな地図はこちら)。朝6:58上野発の新幹線で8時過ぎに前回ゴールの軽井沢駅に到着。新幹線の駅が直接スタート地点だとラクでいいなあ。まずは駅から、プリンスホテルのスキー場などを激写。まだちゃんと雪残ってますね。都内は朝早くからかなり暖かかったですが、こちらは暖かいながらもちょっと風が吹くと急に冷