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🌿🌿🏡🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏡《年間ベストショット2024》9月・荻窪・代田橋荻窪9月はいつものような長期にわたる連載記事がない代わりに小ネタが多く、したがってあちこちの町を訪れているため、必然的に写真の数が多くなってしまったなので、解説はなるべく簡潔に、というより解説ではなくコメント、キャプション程度に抑える。でないと読み終えるのは一苦労だろうまず
🍚🍚🍞🍚🍚🍚🍚🍚🍚🍚🍚🍞《年間ベストショット2024》4月・三軒茶屋・滝野川この月は世田谷区、目黒区の東急東横線、新玉川線の沿線、そして引き続き滝野川に傾倒していたかつては東京市の「区」であった滝野川は、戦後になると23区から降格して、単なる北区の町名になってしまったあたりにもこの町の凋落具合が見てとれる一方、東横線沿線が発展したのは戦後になってからのことで、滝野川が賑わっていた頃は、まだ開発途上の段階で中目黒や祐天寺によう
🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰⑮ディープな飲み屋街の外周を歩く商店街の全体が廃墟のような中央銀座商店街を象徴する巨大な映画館廃墟「オリオン座」の裏手にある、車も通れないような細い路地には、北関東でもっともディープと言っても過言ではない飲み屋街があるまず最初にオリオン座の真裏の路地に入ってみたら、たちまちその怪しくも毒々しい雰囲気に魅せられて、夢中で写真を撮りまくったまだ夕方の早い時間なので、飲み屋が営業するような時間帯ではなく、あたりにはひと気
🍺🍺🐺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🐺《年間ベストショット2024》7月・大山・板橋本町大山さて前月の中山道の仲宿の入り口を横切っている王子新道を、南方に10分程度歩くと東武東上線・大山駅の東口商店街「遊座大山商店街」にぶつかる「遊座大山商店街」は、ほとんどの店が飲食店のような印象の町で、昔懐かしい雰囲気の中華料理屋、居酒屋がある一方、駅前付近は全国チェーンの飲食店が目につく
🍋🍋📖🍋🍋🍋🍋🍋🍋🍋🍋📖《年間ベストショット2024》5月・川崎・巣鴨川崎冒頭の写真は古民家は壊滅している旧東海道に残る古い建物。下は川崎駅西口の市電が通っていたすぐ脇にある出桁造りの元商家ところで沿岸地区のデンジャラスゾーンは別にすると、川崎市ほど散策系のブロガーから無視されている場所は少ないのではないだろうか?その理由を考察すると市内にはかつて鎌倉街道が横切り、時代が下がって江戸時代には
🍵🍵🌼🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🌼《年間ベストショット2024》6月・幡ヶ谷・板橋上宿駒込駒込はもっとも古いブロ友さんのひとりであるMちゃんと回ったしかし、駒込という場所の見所は古河庭園の他は「しもふり銀座商店街」ぐらいしかなく、したがって散策した場所は少し前に紹介しているため重複を避けるため割愛する幡ヶ谷この頃から東京がホームの僕に残された葛飾区、江戸川と並んで「死
🏢☁🏢☁🏢☁🏢🏢☁⑤たどり着いたら廃墟と更地の町高崎の町は城下町と宿場町の性格を合わせ持っているかつては各地からの物流の集散地として、いくつもの市が立ち中山道で4番目に大きな町となり、お江戸見たけりゃ高崎田町。と、言われるほど繁栄していた。そして近代以降も東北、北陸への交通網の分岐点として、群馬県でも屈指の大都会になった――という話は、もはや過ぎ去った過去のことで、現在は深刻な空洞化にさらされ、中心街は閑古鳥が鳴いており、そんな大都会だ
(前回「旧東海道草津宿」より続く)上画像は、草津追分の道標「右東海道いせみち」「左中仙道みのぢ」。秋里籬島『木曾路名所圖會』(1805年)*によれば、東仙道東海道別道宿端に石標あり。右へ曲れば東海道石部の驛に出づる。直道は東山道木曾路なり。私は直道、東山道木曾路に入ります。同図会によれば、次の宿場である守山まで一里半の道のりです。まずは、上画像右に見えるガードをくぐることになるのですが、同図会に、草津川常にはかり橋
🍺🏮🍺🏮🍺🏮🍺🏮🍺🏮🍺🏮⑯次々と見つかる戦前型の物件ここ数日、外出(僕は通常勤務、いや通常より忙しい)しても店は閉店か早じまい。しかたなく早めに帰宅して靴を磨いていたら、ついにすべての靴(軽く20足はある)を磨き終えてしまったすることがなくなったので、いつもはしない鏡面磨きをして、靴の爪先に写る風景を見てうっとりしていたが、おかげで靴クリームの在庫が怪しくなったのに、買い足そうにもホムペを見ると東急ハンズは無期限閉店で、靴クリームを買いにゆくこ
🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑⑤地蔵通りの廃病院と謎のかりえん旧中山道と交差していた丁字路を曲がってみると、駅から1キロ近く離れているのにも関わらず、昔は栄えていたような商店街があった今では営業している店は、まばらに点在しているだけで、寂れた気配が漂うが、町並みを見ると、そこかしこに繁栄していた残滓が見てとれる、どこか寂しげな雰囲気の町であるしばらくゆくと、まだ営業している店が固まっている十字路があり、その角にある「食品
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
⛪⛪🐺⛪⛪⛪⛪⛪⛪⛪⛪🐺⑤きつね塚通り商店街の消えた町並み前回の記事の冒頭にも記したが、今回の散策のルートを簡単に説明すると王子駅を降りて北東方面にすすみ「八幡通り商店街」→「宮元商店街」→「御代の台仲通り商店街」→「旧中山道」→「滝野川市場通り商店街」ときて、登録有形文化財の銭湯「稲荷湯」も見たので再び「旧中山道」に戻るというのが現在いる場所であるこの場所には基本的に東から西の方向にすすむが、真っ直ぐではなく南北
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。醒井宿にある旧醒井郵便局舎にやってきました。1915年に建設されてから、1973年まで醒井郵便局として使用されていた木造2階建ての洋風建築です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に関わったそうです。ウィリアム・メレル・ヴォーリズといえば、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)を創立してメンソレータムを日本に普及させた実業家ですよね。1階は、休憩所として無料開放され
中山道六十九次の一里塚の場所をまとめてみました。詳細図は、他のブログをご参照ください。(まだ、作成途中で、11件ほどしか作成出来ていませんが)なお、13番目、26番目、32番目、41番目、101番目の一里塚は欠番となっています。このブログでは、画像は解像度が低いので、もう少し解像度の高い資料が必要な場合は、コメントをいただければお送りすることは可能ですので、連絡をお願いします。
2018年5月下旬に、仕事で、志村坂上方面に、仕事で出かけましたので、また空いた時間で、散策して来ました。都営地下鉄三田線で、志村坂上駅に向かったので、まずは、駅前にあるこちらから!「志村一里塚」「志村一里塚」は、旧中山道に設けられた一里塚。江戸時代に造られたものが、こうして残っているのも、スゴいことですよね!「志村一里塚」は、以前レポしていますので、詳しくはそちらをご覧下さい。志村一里塚のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entr
今から60年前の昭和36年(1961年)2月に撮影された元・新藤楼(しんふじろう)の玄関付近の写真です。当店の並びには、戦時中の昭和19年に閉鎖されるまで、板橋宿最大規模の遊郭『新藤楼』がありました。戦後は遊郭として復活することなく、この写真の中では、手袋・靴下・靴などが店先で売られています。右端の女性は、懐かしい買い物かごを腕に掛けています。立派な唐破風の玄関部分は、昭和47年の建物解体後、板橋区立郷土資料館に移築されて現在も見ることが出来ます。
皆さんこんにちは!さて、NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』、今月から始まりましたね!仕掛人も、上白石萌音さん演じる「安子」に、朝から元気をもらっています。幸せも束の間、ストーリーは戦時中に入ってしまいました。これからの展開、どうなるのでしょうか?さて、今日は、そんな『カムカムエヴリバディ』でも登場した、滋賀県の「豊郷小学校旧校舎群」をご案内します。この建物、そうです、「安子」が、松村北斗さん演じる「稔」を見送りに行った「岡山駅」ですね!実は岡山県ではなく、滋賀
江戸六地蔵とは・・・・・江戸時代(宝永~享保年間)に江戸市中との出入口各街道六箇所に造立された地蔵菩薩坐像で像高は何れも270センチ前後の大きなお地蔵さんです第一番「東海道」真言宗醍醐派海照山普門院品川寺・・・品川区南品川・・・1708年建立六地蔵の中で唯一頭上の傘が無い姿山門脇の銀杏は樹齢六百年と言われています独特の雰囲気を持つ本堂第二番「奥州街道」曹洞宗洞雲山東禅寺・・・台東区東浅草・・・1720年建立此方の本堂も独特の風貌をしています第三番「甲州街道