ブログ記事97件
中国大陸の古代王朝の各々の支配民族は何だったのか調べている。漢民族(Y-DNAハプログループO3とO2)は自らを華夏族と呼んでいる。華族の周王朝は現在の漢民族の主流のY-DNAハプログループO3であったが、夏族の夏王朝はどうであろうか?O3、若しくはO2であろうか?夏王朝と周王朝に挟まれた殷(商)王朝は漢民族に対して異民族であり、実は縄文人と同族のY-DNAハプログループD2(旧分類)であった。また、彼らは中国大陸に広く分布していた先住民であった(参考)。これに対し、実は中国大陸最初の夏王
日本には文字が無かったとされており、縄文土器にしろ弥生土器にしろ、模様か絵しか描かれていないと思い込んでいた!しかしながら、改めて土器を見ると文字らしき意味のありそうな文様や記号があった。どうも、縄文土器の派手派手しい文様には、実は意味が込められていたようだ。また、弥生土器にも神代文字と思しき記号が刻み込まれていた。ただし、土器に刻まれたものは文章と見るには文字数が少ないものであり、今のところ意味を汲み取ることは難しそうで、考古学者らは記号と見ている。それでも何らかの意味が必ずあり、記号と言
縄文時代の日ノ本(ヒノモト)の首都圏である東日本と弥生時代以来の日本(大和、ヤマト)の首都圏である西日本を結ぶ聖なるラインの真上に、浜松市の賀茂神社があり、江戸時代のこの地に生まれた賀茂真淵がいる。彼は古事記、日本書紀、万葉集をベースに日本を研究する国学に取り組み、日本語についても研究した。そして本居宣長へも影響した。賀茂真淵記念館と賀茂神社賀茂神社、静岡県浜松市中区東伊場1丁目17-1伊雑宮、三嶋大社、江島神社を結ぶ線上参考①日本語の基礎を作った男「賀茂真淵」2012.9.1(
羌族は3000年以上前から存在し、縄文人のルーツであり、春秋戦国時代の斉を建国し、秦の国も同族の国で、ついには斉、秦は日本列島に渡来し、邪馬臺国からヤマト朝廷になりました。我々の本家である羌族を調べる。世界遺産の九寨溝、四川省西北部の「アハ・チベット族・羌族自治州」参考①中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史(参考)を丸々コピぺし、新知識を挿入しました。この「羌」とは一体何者なのか?調べてみました。>羌という文字は甲骨文のなかに頻出する。商(殷)王朝と戦って捕らえられた羌人は人身御供
神代文字の豊国文字そのものを直接見ていないが、・豊国文字(古体)はエジプトの象形文字に似ている・豊国文字(新体)はヘブライ文字に似ている・豊国文字(新体)はカタカナの起原・ヘブライ文字の一部がひらかなの起原と報告されている。豊国文字は古史古伝のウエツフミを記述する神代文字で(参考)、海人族安曇氏が使用した。漢字は秦の始皇帝が書体を統一した文字であり、宮下文書を徐福が書いたように、漢語と万葉仮名を使用したことを明らかにしている(参考)。漢民族が幅を効かせる前、東アジアに広がる同じ原日
神戸市の住吉川の東側では10人全員が「ハル」を使うと回答したが、ら西側では「テヤ」3人、「ハル」3人、「どちらも使わない」が4人と、分散する結果になったが、今は『ハル』の方がよく使われている。神戸市の住吉川神戸市外国語大学の中井幸比古教授は「山側と海側、対象の年齢層など、調査の条件が変わればこんなにはっきりと結果が出ていなかったかもしれない。住吉川が境になったのは偶然なのでは」と分析する。また、甲南大の都染直也教授は住吉川より西側の住民の回答が分散していることに、「神戸はおしゃれな街だという