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先日、台湾の大きな古地図を台湾の友人が送って来て下さいました。嘉義市これは私にとってめちゃくちゃ嬉しい。右下の方に、農林学校とあるのは伯父が通っていて1931年に甲子園で準優勝した嘉義農林学校です。嘉義農林学校は1、2年生は全員寄宿舎で寮生活だったので、伯父も嘉義農林学校の横にある寄宿舎にいたようです。農林学校の東側には嘉義神社とグランドがあります。ここで野球部の選手達は一生懸命、練習をしていたんだろうな。伯父は嘉義農林学校卒業後、嘉義営林署に勤めていたので、北門のすぐ近くの営
日本統治時代の台湾の教育機関は、日本人は小学校、台湾人は公学校と分けられていました。台北には小学校が8校ありました。樺山小学校建成小学校旭小学校寿小学校南門小学校幸小学校錦小学校付属小学校創立年月日は樺山小学校は明治44年2月、建成小学校は大正8年4月。生徒数は両校とも1700〜1800人もいるマンモス校でした。私の父は日本人なので建成小学校に通っていました。ほとんどは日本人の子弟ですが、50人ほど居たクラスに5〜6人の台湾人の子弟がいました。この数人の台湾人の
前回は台北の小学校の話でしたが、今回は中学校の話しなどをしたいと思います。その前に、幼稚園はあったの?という事ですが、ありました!台北幼稚園大正幼稚園鉄道官舎の幼稚園あと、父の一番上の姉の娘(9歳で引き揚げ)は、川端町の幼稚園に通っていたと言っていました。幼稚園に通っていた子は、裕福な家庭の子息だったそうです。大正幼稚園は、主に大正町、建成町、御成町に住んでいた幼児が主で、園舎も立派で園庭も広く、良い先生が多かったそうです。お母様方もきちっとした服装や着物で、気品がありま
今回のツアーではそこここに鯉のぼりを見かけるのでそれらに対する質問が多かったです。今回のツアーで日本のお祭りについて質問があったという話をしましたが、もう一つ、今回特に出てきた質問が「鯉のぼり」についてですね!♪ヽ(´▽`)/というのも、今の季節はバスで移動すると、そこここで風にたなびく鯉のぼりを見かけるんですね。ついでにひな人形がまだ展示されている所もあったこともあって、日本の男の子と女の子のお祝いの仕方について今回は特別にバスの中で解説をしました。まず、ひな祭りについて
ニーハオ!台北人です。YouTubeもやってます。チャンネル登録お願い致します。台湾チャレンジ台湾チャレンジ皆様初めまして。台北人と申します。日本人女性です。台湾人と結婚して、台北在住歴20年を超えました。自分で車を運転して、台湾をあちこち行くのが趣味です。台湾のおもしろい情報を現地在住者の視点でご紹介しています。台湾のレア情報、グルメ、シヨッピングや風習などをブログで発信しています。そのために映像として、もっとわかりやすくするために「見るブログ」…youtube.com先日から台湾で
次の目的地は、MRT中山駅から5分程の台北當代芸術館へ。戦前、ここは1919年に創立された旧建成小学校で、主に日本人子弟が通っていた小学校で、父含めて兄弟7人全員この学校に通っていました。ひとクラスに5〜6人の台湾人子弟もいましたが、入学するには成績優秀で裕福な家庭だと言う事が必須条件でした。児童数が一番多い時で、2000人ほどいたマンモス校です。校舎はコの字に建てられており、煉瓦造りの瀟洒な建物です。校庭はとても広大で、プールや相撲の土俵もありました。建成小学校の正門だった方
台南でのゲイマッサージでスッキリしたら...レトロな町並みがある神農街を散策。古き良き日本統治時代かと思われる町並みに灯りが灯ったら...レトロなBARへ。コンセプトがイマイチなんですが...美味いカクテルをご堪能下さい。もちろん、台湾ビールも。このフレーバー台湾ビールも美味かった。最後はジントニックをもう一杯。オブジェ。まだまだ飲み足りないゲイの皆さんへは...たんまりとご用意致します。お夜食も。
二日目朝食付きにしていたので、ホテルでバイキング。ハーゲンダッツアイスがあるわぁと思ったら、無かった😭ライチーのジュースが美味しかった。フルーツとヨーグルトドリンクコーナー❣️お料理は種類も豊富でどれも美味しかったです!緑色の果物の密棗(ナツメ)があっさりしていて好きです😋忠孝新生駅からMRTに乗り、台大醫院で下車。歩いて行くとすぐニニ八和平公園に着きました。この公園は1908年に開園し日本統治時代に都市公園として、円山公園の後に新しく作ったので「台北新公園」と名付けら
最近は、こんな拙いブログでも新しく読者さまにフォローして頂くのが増えていって、嬉しいです。日本統治時代の台湾に興味ある方が結構いらっしゃるんですかね?それなら、頑張って更新しなくては!前記事の続編みたいになりますが、私が持っている日本統治時代の台北の大きな地図で台北の中心地をご紹介します。全紙ぐらいの大きさなので、部分的になります。文字が横になって見にくいと思いますが、地図上北側を上にして写しましたので、ご了承下さい。オレンジに塗っている所が臺北駅で、次の大正街駅は現在の中
朝鮮人は日本に名前を奪われた・と言う人が未だに居るようじゃが、こちらの朴春琴さんは、朝鮮名のままどころか、戦前の日本の朝鮮出身の国会議員じゃぞ。画像は、衆議院議員当選を祝う朴春琴さんじゃ。それどころか、朴春琴さんは帝国議会で、朝鮮人にも、日本人と同じ徴兵制を・と請願し、朝鮮人の志願兵制度を実現させたお方じゃ。ワシは某国が反日をしてるから嫌いなんじゃ。親日であれば歓迎するぞ、これは日本統治時代の朝鮮で撮られた一枚じゃ。かわいいやろ!これ今の北朝鮮じゃよ。以下は中
2024年2月28日夕方ホテルでちょっと休憩してから活動再開夜店でも見ながら散策しようとぶらぶら歩きますなんとなく歩いていると歴史的建造物が並ぶ街並みに剥皮寮を通りがかりました。日本統治時代の歴史が学べるようになっています。夜だったので閉まっていましたが、生涯学習やワークショップができるような施設になっているようです。次回はぜひ昼間に来てみたいですね。ホテルへ帰る目標にしていたメガネ屋さん夢を叶える!応援コーチング–ひびのあゆみhibinoayumi.
私のブログを見つけてメッセージを下さった方がいます。その方のお祖母様が台北生まれの湾生で、台北の旭小学校に通っていらっしゃったとの事。なので、旭小学校近辺の地図をご紹介します。台北の小学校(日本人の子弟が主)は7つありました。旭小学校は、そのうちの一つです。詳細はよく知らないのですが、この学校も立派な校舎だったと思います。実はこの昭和10年の地図をマジマジと見てたのですが、私の伯母さん(父の長姉)の旦那さんは台北の川端町で老人ホームを経営していたとの事。川端町辺りを見ていたら
日本統治時代の台灣臺北駅周辺の地図です。上部のオレンジ色の所が臺北駅。左側の円形黄色が北門。その少し南に下った線路の近くに竹の家があります。この竹の家は高級料亭です。樺山小学校の同窓会に参加させて頂いた時にこの竹の家の親族のTさんにいろいろお話を伺いました。この竹の家は公会堂の近くの大和町にあり、(この地図はかなり古いようで、違う地図には公会堂はこの位置に載っている)エレベーターもある高級旅館でした。日本時代の最後の総統19代安藤利吉も泊まったそうです。ここで雇う芸妓さ
《寸感》日本統治時代の1935年に発売され、朝鮮全土で一躍大ヒットし、湖南地方の南端に位置する港町・木浦を全国的に知らしめた。そして木浦出身で当時10代後半だった新人歌手の李蘭影は一気にスター歌手へと上りつめた。(略)歌詞を一見すると、木浦を舞台にした別れのラブソングのように感じられるが、日本の植民地下で苦悩した朝鮮民族の悲哀が所々に散りばめられている。(略)李蘭影は1936年から38年にかけて岡蘭子の名前でテイチクレコードから日本語のレコードを出している。(大和泰彦)(2024.1.25
私がとてもびっくりした事があります。それは、私の父の様な戦前の台湾で生まれ育った日本人や日本統治時代に台湾に移住していた日本人の戸籍が台湾にあって、それが今だに台湾に大切に保管されていると言う事です。その台湾での日本人の戸籍があると言うことを知ったのは、「湾生回家」と言う映画の劇中で、湾生の方が台湾の市役所に赴き、日本統治時代の自分の戸籍を手に取り涙を流しながら感激しているのを見たからです。父の本籍は鹿児島なのですが、台湾での戸籍はどういう風に書いてあるんだろう?とても興味がありま
台北市内には、8つの小学校があったそうです。日本人の子弟は小学校で、台湾人の子弟は公学校でした。以前の記事にも書きましたが、建成小学校には台湾人の子弟もひとクラスに5、6人いたそうです。(他の小学校もそうだと思います)台湾人の子弟が日本人の小学校に入学するには厳しい審査があり、まず成績優秀である事、そして家庭が裕福である事が入学の条件だったそうです。父の記録より台北市内の小学校名アイウエオ順旭小学校樺山小学校建成小学校寿小学校幸小学校南門小学校錦小学校付属小学
日本統治時代台北市内の御成街道沿いにあった林田桶店。現在の中山北路にあります。林田桶店は戦前から続く手作り桶の専門店です。とても歴史を感じる建物ですね。現在もお店は継承されており、ご子息が跡を継いでおられるそうです。素晴らしいですね。日本統治時代の建物がまだ残っています。日本統治時代このお店は、三村糸店と言うお店でした。私の知り合いの湾生の方の、お友達のお店があった所です。現在はオーダーメイドの紳士服のお店のようでした。この建物もかなり古いですね。ここは、旧徳丸理髪
5月5日(日)明洞駅から地下鉄に乗車し、西大門刑務所歴史館へ。韓国でも5月5日は「こどもの日」で祝日。よって入館料が通常より割引になっていた模様。大人2人分の入館料を渡したら、おつりをくれたのでね。割引料金で入館できたんだから、歓迎すべきところだけれど、親子連れを含む多くの来場者がいて、刑務所のイメージとは違って観光地に足を踏み入れた気分になったよ。ここ西大門刑務所歴史館は、日本統治時に建設され、終戦後も使用されてきた刑務所で、約80年使われてきたのだとか。長きにわたり罪人を収