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通算207回目の韓旅12月の韓旅(12/6~14)レポこちらの記事のつづきです。『12/1112月の韓旅⑭益山編スンドゥブの朝食後、ユネスコ世界文化遺産弥勒寺址で歴史の勉強』通算207回目の韓旅12月の韓旅(12/6~14)レポこちらの記事のつづきです『12/1012月の韓旅⑬全州編ドラマ「25,21」ロケ地と韓国歴史ドラマに…ameblo.jp全羅北道益山(イクサン)市正午発のシティツアーバスを利用して、益山駅まで戻ってきました。駅の東口から2ブロック目にある益
高尾空港駅からまずはMRTで高尾駅に移動MRT高尾国際空港駅は地味空港出て地下に駅がプラットホームはどの駅も似てるで、7駅くらい先のMRT高尾駅で台鉄に乗り換え台鉄はJRみたいなものこれの準急に乗って台南まで約50分台南到着現地時間で18時日本のローカルさんみたいな感じ台南駅は工事中日本統治時代の建築が色濃く残っている。当時の写真でも外はすごいはってんしてる。向こうにそびえ立つのはシャングリラホテル(泊まりません)
先週から3回シリーズで放映されている台日共同制作ドラマ「路(ルウ)」。原作は、芥川賞作家吉田修一の小説。1990年代後半から2000年代にかけての台湾新幹線プロジェクト進行の8年間の軌跡を軸に、4組の登場人物たち(多田春香と劉人豪、安西誠とユキ、葉山勝一郎と中野赳夫、陳威志と張美青)の紡ぐ物語を描いた長編です。ドラマはまだ2回目が終わったところですが、原作を裏切らない映像です。亜熱帯の台湾の溢れんばかりの陽光や豊かな緑、開放的でパッショネートな台湾の人々の日常に、コ
土日ドラマの🦊お楽しみが終わって、寂しいけど…解放感もあり(笑)🇯🇵🇰🇷時差なく見れた初めてのウクドラマだったから、嬉しすぎて毎週ブログ書いてたけど、これはこれで面倒だったのꉂ🤣𐤔私のブログは備忘録だからテキトーだけど✍️ドラマの内容をちゃんと説明しながら、面白いブログ書いてる人を尊敬するわー✨『「九尾狐伝1938」#11#12』あぁー💧終わってしまった「九尾狐伝1938」😭これから🦊じっくりリピリピ🩷ウクウクするけども(笑)とりあえず視聴後ホヤホヤの気持ちで✍️『「九尾狐伝1
ハッシュタグランキングで1位になりました。湾生の引き揚げに興味がある方が多いのかしら?こう言う過去があったと言う事をたくさんの方に知って頂けたら幸いです。こんな拙いブログなのに、最近はまたアクセスが増えて来て、嬉しく思います。いつもお読み頂き、ありがとうございます。昨日4月30日は父の3回目の命日でした。あの日、病院から連絡があって、慌てて車で駆けつけたら、主治医が、先程一度心臓が止まりましたと。でもまた動き出したましたと聞き、父に私が来た事を呼びかけました。すると、5
2024年2月28日夕方ホテルでちょっと休憩してから活動再開夜店でも見ながら散策しようとぶらぶら歩きますなんとなく歩いていると歴史的建造物が並ぶ街並みに剥皮寮を通りがかりました。日本統治時代の歴史が学べるようになっています。夜だったので閉まっていましたが、生涯学習やワークショップができるような施設になっているようです。次回はぜひ昼間に来てみたいですね。ホテルへ帰る目標にしていたメガネ屋さん夢を叶える!応援コーチング–ひびのあゆみhibinoayumi.
日本統治時代の台湾の教育機関は、日本人は小学校、台湾人は公学校と分けられていました。台北には小学校が8校ありました。樺山小学校建成小学校旭小学校寿小学校南門小学校幸小学校錦小学校付属小学校創立年月日は樺山小学校は明治44年2月、建成小学校は大正8年4月。生徒数は両校とも1700〜1800人もいるマンモス校でした。私の父は日本人なので建成小学校に通っていました。ほとんどは日本人の子弟ですが、50人ほど居たクラスに5〜6人の台湾人の子弟がいました。この数人の台湾人の
私がいつも親しくさせて頂いている湾生のMさん(男性)1937年(昭和12年)花蓮瑞穂生まれ。2016年に公開された映画「湾生回家」にご出演されました。著書に「むかし日本人いま台湾人」があります。この本の内容は、日本時代の台湾人の学校での様子やどういう生活をして、日本人の事をどう感じていたか…と言うことが書かれています。実際に台湾に出向いて台湾の方に聞き取りをしたそうです。ここからは、Mさんのご経歴です。Mさんは花蓮港(戦前は花蓮の事を花蓮港と呼んでいた)瑞穂で生まれ、幼少期に花蓮
今回のツアーではそこここに鯉のぼりを見かけるのでそれらに対する質問が多かったです。今回のツアーで日本のお祭りについて質問があったという話をしましたが、もう一つ、今回特に出てきた質問が「鯉のぼり」についてですね!♪ヽ(´▽`)/というのも、今の季節はバスで移動すると、そこここで風にたなびく鯉のぼりを見かけるんですね。ついでにひな人形がまだ展示されている所もあったこともあって、日本の男の子と女の子のお祝いの仕方について今回は特別にバスの中で解説をしました。まず、ひな祭りについて
前回のブログ記事『日本に渡った祖父母達』前回のブログ記事『通名』以前のブログ記事『本当はこういう事を書きたかったんですよね』私のエブリスタ在りし日よ/リュウ†††一人の在日韓国人として、言いた…ameblo.jp前回(↑)の続きです。私のエブリスタ在りし日よestar.jp(エブリスタより)大抵こういう話(祖父母が日本に渡った話)をすると、何処ぞのクソサヨク共が(残念ながら在日も)「日本(大日本帝国)が悪いから貧乏だったんだ!」「植民地にされて日本の奴隷だったからだ!
日月潭は日本統治時代にはお茶の樹を栽培していました。その茶葉で紅茶を作って輸出していました。いたるところに紅茶のお土産物屋さんがありました。私が良いと思ったお店をご紹介します。廖鄉長紅茶故事館。ご紹介はこちら中にはお茶の工場で使われている機械が展示されています。二階にはお茶の葉を乾かしているところもありました。とても良い香りが立ち込めています。一度二階に上がって、参観してから反対側の一階に下りますと、またお茶の歴史の紹介があります。新井耕吉郎さんという方が日本統治時代に台湾の