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方違神社『大阪巡り方違神社旅行、転居の方違えならここ!』住吉大社④『大阪巡り住吉大社④広い境内に見どころいっぱい』家の近所のスーパー何件があるのですがお店からお米が消えた😳備蓄米はどこへ行ったの?あともう少し…ameblo.jpの続き方違神社さんの次は大鳥大社さんへピンクのところは住吉大社さんです。初めましての神社さん記憶に残っている中では、、、というのは小さい時はこの近くに住んでいたのでもしかしたらお参りに来ているかもしれません😊産土様はもちろん0歳から
高輪ゲートウェイの今を見に、2ヶ月ぶりに行ってまいりました実は、品川神社への参拝の帰り、新馬場の駅から高輪ゲートウェイ駅前行きのバスがあることを知り、乗ってみた、というところですニュウマンは普段生活している文化圏とだいぶ違うので、伺うたびに、異国情緒に近い新しい発見があります相変わらず、シンガポールみたいな近代さとクリーンさだわ、と思いました2年前シンガポールに行った際のお話はこちら『シンガポールに行ってきました〜滞在中のお話』シンガポールの空港に到着して、空港のMRT
初めてではないのですが、鳥栖市の四阿屋神社(あずまやじんじゃ)に昨年から呼ばれていたのですがなかなか足が向かないなかで。。。昨日の朝イチYouTubeみましたら鳥栖市出身芸人のオラキオさんが四阿屋神社の事を話しておられ「払いの水」として四阿屋神社前の川の水を紹介されていました何故か御祭神日本武尊(ヤマトタケル)の力がそのまま川の水に宿っているそうです川の工事中に偶然封印から解けた日本狼の神様大口間神(おおくちまがみ)様を守護に持たれているお話しも楽
第1752話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーです(祇器社はチーム名です)プロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏の
昨日、山頂に来られたお客さまの何人かが言っていました。「伊吹山の登山道はいつ復旧するのですか」「早く登山したい」「いつになったら登れるのですか」更には、「日本の土木技術を持ってなにをモタモタしておられるのですか」と。私は、思います。クラウドファンディングで集めたお金は、このような願いを込めて寄付されたものです。滋賀県知事さんは、いつになるかメドがたたないと言っておられますが、早期復旧出来るように力を入れていただきたい。米原市長さん、上野自治会長さん、強く後押しをしてくださいね。日本百名
2026年2026年新たに始まりました新しい年を無事に迎えられたことを本当に嬉しく思います今年もより多くの方と繋がりをもてる一年となるよう沢山の事に力を入れたいと思っていますよろしくお願いいたします占い師として2000人以上の人の四柱推命を観てきました2026年を占うと今年の干支は【丙午】丙は太陽の火のエネルギー🌞午は馬が勢いよく駆け巡るというエネルギーこの2つが最強の組み合わせとなり革新、改革などを起こす年となります日本の代表的な神様である天照大
景行天皇(けいこうてんのう)は、日本の第12代天皇とされる人物です。『古事記』や『日本書紀』などの古代の文献に登場します。↑作:弟【基本情報】・在位:記紀によれば、おおよそ西暦71年頃から130年頃まで(※諸説あり)・父:垂仁天皇・子:日本武尊(やまとたけるのみこと)など、多くの皇子・皇女を持つ【人物像・性格】・朝廷の支配領域を拡大したとされ、全国を巡行して地方豪族を服従させたという伝説があります。・『古事記』では、息子ヤマトタケルを恐れ、死地に赴かせます。・『日本書紀』
橿森神社には駐車場がありません。初めて訪れたのは、この夏の7月20日。ネットで調べたおすすめルートで、金神社参拝後、金神社付近の駐車場に車を置いて歩いて橿森神社に向かいました。スマホナビでは徒歩10〜15分。それぐらいなら行けるだろうとふんでいざ出発。ただ、夏の炎天下であるということを計算に入れていなかった。暑い、遠い、辛い既に帰り道のことを思うと泣ける。でももう引き返せない。行くしかない!そんな思いになりましたしかし、到着してみると。自然いっぱい。木陰が心地よい。人が
五反田神社(川崎市多摩区三田1-2-10)(主祭神)素盞鳴尊(旧山王社)日本武尊(1959年に勧請)(社格等)―(旧五反田村の鎮守)(沿革等)創建年代等不詳。境内の由緒書(県神社誌もほぼ同じ)によれば、明治元年に山王社から八雲神社に改称、1948年境内拡張・社殿増改築、1959年大作杉山社から日本武尊を勧請し五反田神社の改称。前身の山王社は鎌倉時代創建とする口伝があるとする。(注)大作杉山社=西生田杉山神社と見られる(氏子:大作・栗谷・五反田)。「合祀」と
氷上姉子神社元宮(宮簀媛命宅趾)尾張国愛智郡愛知県名古屋市緑区大高町氷上山(氷上姉子神社P利用)■祭神宮簀媛命氷上姉子神社の元宮であり、乎止與命や宮簀媛命の邸宅跡と伝承される地。「火高火上(ほだかひかみ)」(現在の「大高町」)と称された地の「火上山」丘陵上に鎮座します。◎「尾張国熱田太神宮縁記」(平安末期~鎌倉初期頃)が以下のように伝えています。━━日本武尊東征の途次、尊は従軍した建稲種命の尾張国愛智郡「氷上邑」にある居館に寄り、妹の宮酢媛(宮簀媛)を見初め契りを結んだ。建稲
6月某日、ヤマトタケルの墓巡りをしました。最初に訪れたのは能褒野神社。『古事記』や『日本書紀』によると、ヤマトタケルは能褒野(能煩野)で亡くなります。そしてそこに、最初の墓が造られます。「能褒野にある墓」がどこなのかは諸説あるのだけれど、明治12年(1879年)に明治政府によって比定されたのはここ、亀山市田村町の能褒野王塚古墳よ。能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)別名:丁字塚古墳三重県亀山市田村町1393御幣川と安楽川の合流
丹生神社(和歌山市栗栖)紀伊国名草郡和歌山市栗栖1(社前にP有)■祭神[主祭神]日本武尊宇摩志摩治命丹生津比咩命[配祀]丹生津比咩命[相殿]天道根命「紀ノ川」左岸、和歌山市「栗栖(くるす)」に鎮座する社。上古は「山縣村」と称されていたようです。日前神宮・國懸神宮が鎮座する「秋月」からは北東2kmほど。◎当社は歴史の波に大きく左右されたようです。御祭神は日本武尊・宇摩志摩治命・丹生津比咩命の三座。それぞれが異なる経緯で鎮まったように思われます。◎往古は「紀氏栗栖神社
こんにちは!いつもの用事で宇都宮に行った帰り、ただならぬ雰囲気を感じる神社の横を通り、思わず立ち寄ってみました。🏯白鷺神社ご祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。日本が豊かな国となることを願い諸国を旅したと伝えられ、厄除け・交通安全にご利益があるとされています。💧彩り豊かな手水舎境内には「水風船の彩り手水舎」があり、7月30日(水)から9月下旬頃まで実施中。手水舎の水は「金明水」と呼ばれ、健康や金運のご利益があるそうです。⚔️圧巻の「平和の剣」
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。最近のお気に入り番組。歴史学者磯田道史さんの歴史番組です。歴史番組いろいろあれど、説教臭くないところがこの番組の良さですかねえ。今回のテーマは熱田神宮。名古屋の名所でございます。熱田神宮は幼い頃から毎年お参りに行っているお宮さんでございます。名古屋近郊に住む人にとって、熱田神宮は一番の神様。初詣は、鳩に糞をかけられても身動き取れない長蛇の列に並ぶのです。笑ここ熱田さんには三種の神器の一つ、草薙剣が祀られてい
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、日本の第14代天皇とされる人物です。『日本書紀』や『古事記』などに登場します。↑作:弟【基本情報】・名前足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『日本書紀』、和風諡号足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)-『日本書紀』帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『古事記』・在位:記紀によれば西暦192年頃~200年。(※年代には諸説あり)・父日本武尊(やまとたけるのみこと)-『日本書紀』倭建命(やまとたけ
地図を見ても、なかなかたどり着けない場所がある。琴弾原白鳥陵(日本武尊陵)奈良県御所市冨田玉手駅から約25分の距離を歩いて行った。途中、案内板あったのだけれども、描かれている矢印と道の形が全然違っていて困惑しかなかったGoogleマップを見ても、最後まで道が続いていない。こういうこと、ままある。目的地へ繋がる本当の入り口は、全く別の場所であることも少なくない。分からないので、遭遇した地元住民に聞いた。今回の場合はGoogleマップの青い丸の場所ま
喚續神社(よびつぎじんじゃ)尾張国愛智郡愛知県名古屋市星崎1-146(P無し)■旧社格村社■祭神天照大御神国常立命迩々杵命かつては海に突き出た「星崎岬」(現在は「笠寺台地」)の下、「呼續濱(よびつぎのはま)」に鎮座する社。「年魚市潟(あゆちがた)」とも称され、「愛知」の地名由来ともなりました(鎌倉以降はもっぱら「鳴海潟」と称される)。室町頃に大堤を築き入り潮を止めて陸地化させたと伝わります。◎創建は大永三年(1523年)と伝わります。当社縁起によると「幾度か神社西の海岸堤
こんにちハワイ🤙🌺🌊←言霊の力で引き寄せ✨ハワイ行きたいぜ🌈🐬✈️先週日曜日は、加佐登神社に行ってきましたよ。加佐登神社〜ヤマトタケル終焉の地〜加佐登神社は、日本武尊(倭建命・ヤマトタケルノミコト)の亡くなられた能褒野(のぼの)の地に、尊の形見である「笠」と「杖」をご神体として創始されました。明治期に延喜式内社倭文神社など合祀し、今に至ります。遙か古代に思いを馳せる、鎮守の杜へどうぞお運びください。ヤマトタケルゆかりの、お守り、御朱印などもございます。www.kasado-jinja
富士宮市には縄文中期のストーンサークルが発掘されている事から神社となる前より古代信仰があったと思われます。御祭神の木花之佐久夜毘売命は国津神ですので先住民が富士山を信仰していたのを神社に変更したのだと思われます。山宮浅間神社(富士山本宮富士浅間大社HPより)日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の夷(えびす=賊徒)を征伐するため駿河国(するがのくに)を通られた際、賊徒の野火(野原で四方から火をつけ攻められること)に遭われました。尊は、富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、その賊徒を征伐され
能褒野神社から次の目的地へ向かう為、歩いて駅へ。井田川駅(三重県亀山市井田川町364)に到着。妙に主張する「大和タチバナ記念植樹」。手前には、ヤマトタケルが詠んだ(『日本書紀』では景行天皇が詠んだ)とされる国偲歌。ヤマトタケルの像あり。能褒野に近い駅だから、そりゃあヤマトタケル像くらいあるよね!と思いながら見る。ヤマトタケルの妻として、最も有名であろう弟橘媛。彼女は海を鎮める為、関東で身投げした。有名な女性だから、無関係ながらもヤマトタケル繋がりで紹介しているのだろうかと思いなが
伊吹山頂のアカヒダボタン5/3撮影(群生するアカヒダボタン)外見上はボタンネコノメソウと良く似ている。従来は同一視されてきたそうだが、さく蒴果の形状や、雄しべの長さ、種子の突起の形状などボタンネコノメソウとは明らかな違いがあるため1995年にアカヒダボタンという名前でヒダボタンの変種として発表されたとされる。今のところ、岐阜、滋賀、三重の三県でしか確認されていないそうです。花言葉は、「はにかみ」「荘厳」「誠実」。5月5日(月曜日)祭日こどもの日私は、朝昼夕の仕事に全集中。合
伊吹山頂に咲くハクサンフウロ8/16撮影ハクサンフウロは、フウロソウ科フウロソウ属の高山植物で、7月上旬から7月下旬にかけて開花。白山に多く自生することからこの名前が付けられたそうです。イブキフウロとは、見た目が良く似ているが、いくつかの違いがある。主な違いは、萼片の毛の状態と葉の形。ハクサンフウロは萼片に伏毛(押し伏せた毛)が多いのに対し、イブキフウロは開出毛(立ち上がった毛)が多い傾向がある。また、葉の切れ込みの深さや、葉の基部の形にも違いが見られる。花言葉は「変わらぬ信頼」。
週末は愛知県に出てきました。昨日は琵琶湖沿いにある伊吹山へ行ってみることにしたんですが…、霧が立ちこめて琵琶湖が全く望めないもう一つの目的でもある山野草の観察に主眼を置きました。ここは伊吹山の駐車場。少し視界が回復してきたかな?今日は左側のルートを琵琶湖が見えるか期待しながら登って、頂上からは急なルートを降りて来ることにしました。やっぱりガスったり、……晴れたりを繰り返します。カノコソウが可憐な花をつけてました。クサタチバナ。グンナイフクロ。中央に