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初めてではないのですが、鳥栖市の四阿屋神社(あずまやじんじゃ)に昨年から呼ばれていたのですがなかなか足が向かないなかで。。。昨日の朝イチYouTubeみましたら鳥栖市出身芸人のオラキオさんが四阿屋神社の事を話しておられ「払いの水」として四阿屋神社前の川の水を紹介されていました何故か御祭神日本武尊(ヤマトタケル)の力がそのまま川の水に宿っているそうです川の工事中に偶然封印から解けた日本狼の神様大口間神(おおくちまがみ)様を守護に持たれているお話しも楽
昨日、静岡県島田市にある笹間渡神社に看板を設置する事になりお披露目会を兼ねたお祭りが行なわれました。これも不思議な経緯なのです。キミンエさん開催の合宿での出来事です。参加者の1人がトイレに行った際「神社の看板をたてたいんだけど、場所を決めてほしいんです~。」と声をかけられた事が発端それを勝弘さんに伝え勝弘さんから金色社長こと山﨑さんに伝わり。山﨑さんが声をかけられた方は人を繋ぐお役目だ!と気づき話しが進んで行く中でキミンエさんが日本武尊からのご神託も受け取り
第1752話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーです(祇器社はチーム名です)プロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏の
昨日、山頂に来られたお客さまの何人かが言っていました。「伊吹山の登山道はいつ復旧するのですか」「早く登山したい」「いつになったら登れるのですか」更には、「日本の土木技術を持ってなにをモタモタしておられるのですか」と。私は、思います。クラウドファンディングで集めたお金は、このような願いを込めて寄付されたものです。滋賀県知事さんは、いつになるかメドがたたないと言っておられますが、早期復旧出来るように力を入れていただきたい。米原市長さん、上野自治会長さん、強く後押しをしてくださいね。日本百名
能褒野神社から次の目的地へ向かう為、歩いて駅へ。井田川駅(三重県亀山市井田川町364)に到着。妙に主張する「大和タチバナ記念植樹」。手前には、ヤマトタケルが詠んだ(『日本書紀』では景行天皇が詠んだ)とされる国偲歌。ヤマトタケルの像あり。能褒野に近い駅だから、そりゃあヤマトタケル像くらいあるよね!と思いながら見る。ヤマトタケルの妻として、最も有名であろう弟橘媛。彼女は海を鎮める為、関東で身投げした。有名な女性だから、無関係ながらもヤマトタケル繋がりで紹介しているのだろうかと思いなが
孫若御子神社(熱田神宮摂社)(ひこわかみこじんじゃ)尾張国愛智郡名古屋市熱田区神宮1-1-1(熱田神宮境内)(P有)■延喜式神名帳孫若御子神社名神大の比定社■祭神天火明命熱田神宮境内の南東隅、同じく摂社で式内名神大比定社の日割御子神社の北側に鎮座する社。境内摂社でありながらも式内名神大社に列するという異例な社。「熱田七社」(熱田神宮・別宮八劔宮・高座結御子神社・氷上姉子神社・日割御子神社・上知我麻神社・下知我麻神社)には含まれていません。◎創建年代、由緒ともに不詳。「
白井市谷田地区に「沢山の泉」という湧水があります。「沢山」と書いて「さわやま」と読みます。『千葉県印旛郡誌』の「谷清村誌」の第6章古蹟名勝誌には「澤山」という項目があり、「宗像神社より四町東方に水神の祠ありて澤山と稱す日本武尊の御手洗淸水あり尊を祭れる草薙神社存すこの淸水は民の田地を養ふものにて如何なる旱魃にても神明の水德にて湧き出づること大海の如し社より辰己に御供田あり御田の米を炊きて五節句に献供す世人婦人の乳出ぬ者御供米を以て御手洗の淸水にて食すれば神變不思議よく乳出づと稱
尾津神社(桑名市多度町戸津)伊勢国桑名郡三重県桑名市多度町戸津499(境内東側にPと思しきものが隣接)■延喜式神名帳尾津神社二座の比定社■祭神倭建命[合祀]足鏡別命稚武彦命品陀和気命天照大神宇迦御魂神火之夜芸速男神大山津見神水波能売神「長良川」支流の「多度川」沿い、多度町「戸津(とうづ)」に鎮座する社。かつての桑名郡富津郷(「尾津郷」とも)。海岸までは15kmほどでしょうか、地名・社名から往古は社地は海岸近くであったものと思われます。◎当社は記紀に見える、
大府ぶらり最後は熱田神社へ向かいます延命寺から5分くらいで到着です熱田神社[あつたじんじゃ]景行天皇の40年(110年)に、日本武尊は東夷征伐に大高の氷上の里(お妃の宮簀姫の居住地)へ東下されて、大府の地をお通りになった際に、この地で御休息されたと伝えられ、後年の嘉吉元年(1441年)に永井七兵衛が噂の御休址に一社を創建したのが熱田神社創祀であります。社号標から鳥居そして…境内へスッキリとした境内です鳥居もシンプルですねこの辺りは神社の鳥居はこのスタイルが多いかも江戸末期ごろ
皆さんこんにちは。6月3日白鷺神社でお参りして素敵な6月の御朱印をいただきました。6月詣御朱印〜紫陽花〜今月いただける御朱印御守りおみくじ白鷺神社由緒延暦二年(783)、疫病〔えきびょう〕が大流行した時、国守平松下野守(文野高島)が日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の神託によって、疫病退散の祈願のため一祠を建てて祀ったのが始まりと伝えられています。御祭神(日本武尊)は、代十二代景行天皇の御子として、日本が一つにまとまり、豊な国となるよう全国を旅されました。それは、人々
こんにちは~土曜日、実家のことをしていたのですが、何だか疲れてしまい、午後からドライブに出掛けました。急に「足柄峠」に行きたくなって、富士山も見えないのに「足柄峠」を目指します。「足柄峠」は子供の頃は何度か行ったのですが、最近はずっとご無沙汰しています。「足柄万葉公園」の駐車場です。案内図です。案内図からもわかる通り、神奈川県と静岡県の県境です。入口付近です。入口付近の「足柄峠」の案内板です。
こんにちはココロカラダハッピーLABOまこです2025年末を振り返ります12月30日に埼玉県秩父市に鎮座する秩父神社へお参りしてきました秩父の駅から徒歩7分境内に一歩足を踏み入れると、時間の流れがゆるやかになるような感覚に包まれました秩父神社創建は日本武尊(やまとたけるのみこと)の時代にまでさかのぼると伝えられ、約2100年の歴史を持つといわれています御祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと):知恵と学問の神様知知夫彦命(ちちぶひこのみこと):秩父
6月某日、ヤマトタケルの墓巡りをしました。最初に訪れたのは能褒野神社。『古事記』や『日本書紀』によると、ヤマトタケルは能褒野(能煩野)で亡くなります。そしてそこに、最初の墓が造られます。「能褒野にある墓」がどこなのかは諸説あるのだけれど、明治12年(1879年)に明治政府によって比定されたのはここ、亀山市田村町の能褒野王塚古墳よ。能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)別名:丁字塚古墳三重県亀山市田村町1393御幣川と安楽川の合流
9月になり、早や3日目です。朔日参りは建部大社ゆかりの2社にお詣りしました。いずれも建部大社の境外摂社で新茂智神社と毛知比神社です。どちらも建部大社の船幸祭の黒津浜の御旅所で神饌を供する神社です。新茂智神社新茂智神社の新茂智は「しんもち」と読みます。建部大社の若宮と言われ、大津市の関津(せきのつ)にあります。鎮守の森に「新茂智神社」の扁額。なぜここにあるのでしょうか?神社鎮守の森に囲まれています。ご由緒など知らない若い頃、裏手にある湖南アルプスの笹間が岳の
氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)尾張国愛智郡愛知県名古屋市緑区大高町氷上山1-3(P有)■延喜式神名帳火上姉子神社の比定社■旧社格郷社■祭神宮簀媛命「火高火上(ほだかひかみ)」(現在の「大高町」)と称された地の「火上山」丘陵上に鎮座する社。熱田神宮の境外摂社。熱田神宮の元宮的な社とも言えるかと思います。◎創建由緒については、「尾張国熱田太神宮縁記」(平安末期~鎌倉初期頃)が以下のように伝えています。━━日本武尊東征の途次、尊は従軍した建稲種命の尾張国愛智郡「氷上邑」
松戸〜戸定邸からの続きです。「松戸散策を楽しむ囲碁会」10名以上の参加でした♪集合は松戸駅でしたが、戸定邸までは自分の足ではみなさんに合わせて歩く事はできないので、先にタクる事にしました。普通に歩けるなら、駅から近いのですが…松戸には9時30分くらいには着いたので日高屋で味噌ラーメンとカフェで時間を待とうと思い、うっかりMOSBURGERが目に付いてしまい、ふらふらとスパイシーモスチーズを注文していました♪タクは10分も掛かりません。初乗り500円。ドライバーさん
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。愛知県の西三河地方をまわっています。久麻久神社、神明社の大シイ、正法寺古墳に続いて訪ねたのは、旧幡豆町におわします幡豆神社です。式内社幡豆神社幡豆神社は西尾市の南東端、目の前には三河湾を見下ろす高台に位置していました。ただ、眺望は良くなく、木々の間に三河湾がわずかに見えるだけでした。木々がなければ絶景だっただろうに…。おかげでいい写真は撮れませんでした。延喜式内社である古社で、御祭神は建稲種命(たけいなだねのみこ
喚續神社(よびつぎじんじゃ)尾張国愛智郡愛知県名古屋市星崎1-146(P無し)■旧社格村社■祭神天照大御神国常立命迩々杵命かつては海に突き出た「星崎岬」(現在は「笠寺台地」)の下、「呼續濱(よびつぎのはま)」に鎮座する社。「年魚市潟(あゆちがた)」とも称され、「愛知」の地名由来ともなりました(鎌倉以降はもっぱら「鳴海潟」と称される)。室町頃に大堤を築き入り潮を止めて陸地化させたと伝わります。◎創建は大永三年(1523年)と伝わります。当社縁起によると「幾度か神社西の海岸堤
白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)三重県鈴鹿市この古墳は古くから日本武尊(倭建命)の墓と言い伝えられ、尊が死後に白鳥となって飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれています。以前は東西78m、南北59mの県内最大の円墳とされていましたが、平成16・17年(2004-2005)に実施した発掘調査の結果、墳形は東側に造出をもつ墳長78mの帆立貝式の前方後円墳であることが判明しました。「白鳥座能褒野の天に懸かりたり」墳丘には河原石が葺かれ
22.福北ゆたか線の駅取材-筑前垣生と筑前植木直方15:03始発の若松行で筑前垣生に行く。ここは昼食を喰う予定のとんかつ店があった場所だが、駅舎自体も木造の瀟洒なもので、取材したかった。筑前垣生駅は単式ホーム1面1線の地上ホームを有する。構造的には島式1面2線になっているが、2番線側は金網が張られては入れず、事実上は単式ホーム扱いである。駅舎とホームとは跨線橋で結ばれている。筑前垣生は1893年12月20日に底井野信号場として開設、それを1935年4月26日に駅に昇格させたの
八幡社(古鳴海八幡社)尾張国愛智郡愛知県名古屋市緑区鳴海町山ノ上5(P有)■旧社格村社■祭神天照大御神應神天皇かつての「鳴海村」の中心地、名古屋市緑区鳴海町山ノ上に鎮座する社。「鎌倉街道」沿いであったとのこと。「東海道」が整備されるにつれ現在の中心地は南へと移ったため「古鳴海(こなるみ)」と称されています。古代は西側が海岸に切り立つ山上であったと思われます。◎創建年代は不詳。元は「無格社神明社」として鎮座していたとされます。備前検地で縄除であったことから室町末期以前の創建と
もう半世紀以上前の話です。学生時代、国鉄新宿駅から塩尻駅経由で実家のある中津川に帰りました。贄川駅を過ぎる辺りから、列車は線路脇の木々の枝すれすれに、時には枝を薙ぎ払うように走り抜けます。窓から顔を出すことなんか出来ません。まさに木曽路はすべて山の中でした。そんな山の中の景色は、落合川駅を過ぎ落合川鉄橋に差し掛かると一変します。突然空が大きく広がり、雄大な恵那山が姿を現します。思わず「ワァー」と声が出そうになります。まるで狭い檻の中から抜け出た様な解放感を味わいました。学生時代、中山道を
X(旧Twitter)で気になっていた無用の皇子は西に向きを読みました。アクションシーンかっこいい✨占部というキャラが出て来るのだけど、不気味かと思いきや可愛くて、でも訳アリな感じが良い。タイトル的にもともかくは西(九州)に向かっているので、その意味でも続きが楽しみ♪
鳴海八幡宮から次は成海神社へ成海神社[なるみじんじゃ]朱鳥元年(686年)、成海神社の創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座しておりました。中世の東海道では、熱田神宮から鳴海までの区間は鳴海潟と呼ばれる干潟があり、満潮時には海となる地形でした。天神社には、日本武尊が鳴海潟で詠まれたという御歌が残っています。「鳴海浦を見やれば遠し火高地にこの夕潮に渡らへむかも」(熱田大神縁起より)御歌にある「火高(現在の大高)」とは尾張国造城館の所在地で、日本武尊の后である宮簀媛命
成海神社(なるみじんじゃ)尾張国愛智郡愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山85(P有)■延喜式神名帳成海神社の比定社■旧社格県社■祭神日本武尊宮簀媛命建稲種命かつて「成海潟」「成海浦」(鳴海潟・鳴海浦)と称された、海岸沿いに鎮座していた社(下部写真参照)。現在は名古屋市緑区の「乙子山」という微丘陵地となっています。周辺からは縄文前期からの遺跡があり、当社旧社地近くからは弥生時代の集落跡が発見されています。◎創建は天武天皇朱鳥元年(686年)のこと。「草薙剣」が盗難に遭ったも
スレッズを見ていたら、加佐登神社の事を書いている人が居て、さらに、その神社へは、江原啓之さんが来られたそう⭐︎江原さんファンの私はテンション上がりました!昔、「オーラの泉」が大好きで録画して観ていました。江原さんの本も幾つか買って読み、美輪明宏さんのコンサートも行った事があるくらいです♪その江原さんが、こちらの神社をパワースポットだと仰られ、本にも書かれたそうです。そんな折、父が神社の氏子代表をしていて、宮司さんに用事があるというので、タイミング良いし、行こう!と家族で行ってきま
橿森神社には駐車場がありません。初めて訪れたのは、この夏の7月20日。ネットで調べたおすすめルートで、金神社参拝後、金神社付近の駐車場に車を置いて歩いて橿森神社に向かいました。スマホナビでは徒歩10〜15分。それぐらいなら行けるだろうとふんでいざ出発。ただ、夏の炎天下であるということを計算に入れていなかった。暑い、遠い、辛い既に帰り道のことを思うと泣ける。でももう引き返せない。行くしかない!そんな思いになりましたしかし、到着してみると。自然いっぱい。木陰が心地よい。人が