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2023.7.14今日の採血結果💨白血球1,300→1,200赤血球2.74→2.75ヘモグロビン8.3→8.4血小板251,000→355,000好中球420→470前回同様、白血球の動きが悪い。でも、主治医からは「造血は進んでいるので、予定通り骨髄検査(マルク)をやりましょう。明日一時退院です」とのこと。88日間の入院生活がやっと終わる寛解導入療法の終了時の骨髄検査では、顕微鏡でみてもがん細胞がなく、遺伝子レベルでもPML-RARαは検出されませんでした。今
2月29日あけましておめでとうございます(笑)前回のブログは年末、今回は年度末です。TwitterというかXではコメントしたりしてますが、ブログはご無沙汰です。さて。もはや、本当に病人だったのか?という感じで過ごしています。いわゆるコーポレート系の職場に転勤してから初めて迎える年度末。まぁまぁ地獄でございます丁度、病気をした時と同じような仕事をしておりますが、その時より多岐に渡る仕事を任されており。毎日が飛ぶように過ぎていくこの感覚、久しぶりです。そんな中
母が来てくれて、わたしと母は、院内のコンビニへ出かけた。ペットボトルの水などが切れかけていたからだ。商品を受け取ると、母が持ってくれた。「重たいもの持って内出血したら大変だからね」と言っていた。素直にありがとうと伝えた。コンビニから戻り、しばらくすると看護師さんと主治医の先生が別室へ案内してくれた。ここからの記憶は、印象でしかない。目に映るもの全てに色が無くなった。これは比喩ではなく、本当に色が消えた。あんなに深い絶望を、わたしは初めて知った。今までもショックを受けることはあったが
初めて来る病院。自宅から、スムーズに行って高速を使って40分程か。母と、何処が受付かなー?、なんて話をしながら病院に入った。その時は意識さえしていなかったが、外の空気は今現在あれ以来吸っていない。その日は、確かくもり空だった。救急で、可動式のベッドに横になるや否や、10人程の人がわたしの周りに集まって来て、あれこれとわたしに質問をした。「痣はいつからある?」「最近脱毛が目立つなとかそんな変化はあった?」「親近者でリウマチの人はいる?」「咳はいつ頃から?」などなど。あまりに大勢の人がわ
2020年6月11日新型コロナウィルス騒ぎ、一時期とは雰囲気が変わってきましたが皆様いかがお過ごしでしょうか?私は今はいわゆる事務職なのでリモートワークが続き、非常にストレスのたまる日々を過ごしておりますさて、そんな中お休みをいただいて病院に行って参りました。そう、本日はみんなだいすきマルクの日(笑)白血病患者になると避けては通れないこのマルク(骨髄穿刺)。通常の血管に流れる血液=末梢血に白血病細胞がいる状態というのは、ある程度進行しているので、血
12月7日(月)一昨日、ブログをアップして生存をPRしたわけですが・・・物語には続きがありました。寝る前・・・部屋中に響き渡る音でお腹(腸)が鳴っていたのです。あれ?これ自分のお腹の音?とビックリするくらいの音。グォー、キュルキュル・・・、ギュィーン・・・嫌な予感が少しだけありました。が、その時点で苦しいわけではありません。この時点では音が鳴っているだけ。なので、寝る前にちゃんとトイレに行って、便秘のダメージもケアして万全の状態で眠りについた・・・筈で
入院生活があと1週間となって、ウキウキしていたところで、ある問題が発生しました😱トリセノックス🐓の影響かよくわかりませんが、「胸の圧迫感」が発生しました。発生したのは、トリセノックス点滴中ではなく寝起きのタイミングで、症状としては心臓🫀をギューっと握られているような痛みで、5〜10分続きました。これが2日連続で発生したので、いろいろ検査をして診ていただきました。心電図の検査をしても、QT延長にはなっておらず、エコーによる検査や24時間の心電図測定などもしていただきましたが、特
2024.4.17昨日は月イチの外来受診日先月の受診日は、ブログに書くの忘れてました💦白血球2,800ヘモグロビン12.4血小板191,000前回からほぼ横ばい。未だに白血球は基準値には届かないけど、問題なしとのことでした毎回血液検査の結果が出るまで、ほんとにドキドキ。まだまだ続くんだな~。今回は3か月おきの婦人科受診もありました。まだホルモン補充療法は続けています。いつまで続けるか相談したら、職場復帰するとまたホルモンバランス崩れるかもしれないから、もう少し様子を見まし
前回の投稿ではまだまだ病気の存在に気づくことはありませんでした。9月5日に初めて痣のようなものに気づき、9月7日にそれが右足にも出てくるという異変を経て、9月9日、これはいよいよ普通ではないということに気づきます。なんとなくぼやっとした痣だったもの以外に、明らかに紫色の斑点のようなものが増え始めてきました。写真がわかりづらいのですが、ひざ裏あたりに親指大の紫色の斑点ができてます。また、お見苦しいので写真は割愛しますが、腰からおしりにかけてかなり大きな紫斑もできていました。
最近、母乳が落ち着いてしまっていたことには気づいていたがついにほぼ出なくなっていたAPLにかかった娘は完母で育てていたこともありできれば母乳をあげたいと思っていた私自身も母乳は出過ぎてしまうくらいだったためあまり心配していなかったが1日に1回あげるかあげないかやはりもう必要ないと見なされてほぼ出なくなってしまった。これがけっこうメンタルにきていて2年半出ていたついに出なくなったことで寂しさもあり、もう下の子に母乳をあげられないことがショック。母乳でもミルクでも十分
まめです。(20代後半未婚です。西日本にて生活しております。どうぶつの森ポケットキャンプ(スマホゲーム)のLv.がついに50を超えました!笑)2017年、秋、急性前骨髄球性白血病(AML-M3.APL)との診断。ほぼ現在に追いつきました!!これまでは過去のことを、記録として思い出しながら書いていたので、「〜だった。」「〜なのであった。」みたいな文体でしたけど、これからはフワフワ〜っと書きたいなぁと思いますので、引き続きよろしくお願い致します5日間の荒海クルーズを終えてからは、平穏な日々を
備忘録のように書き出します。読みづらいかもです。7月下旬、風邪をひいた。仕事を休む程のものではないが微熱ぽく、鼻水が少しと、咳が出た。痰の絡まない、乾いた咳。わたしはこれまで、花粉症やアレルギーも無いし大病も無いが、季節の変わり目には必ず、軽く体調を崩すタイプだった。そして咳だけが残る。いつものパターンか、と思った。毎度の事なので、普段なら病院へは行かないが、8月に好きなアーティストのライブを控えていたので、仕事終わりに内科を受診した。「よくある夏風邪です。クーラーの当たりすぎには気
2020年6月18日今日は外来でした。先週のマルクの結果を聞く日。また、改めてちゃんと書きますね。
最初に入院🏥した部屋は、個室のクリーンルーム(無菌室)でした。ドラマ📺で見ていたような、透明なフィルムの中に閉じ込められて、ベッド🛏に寝たきりみたいなことはありませんでした。部屋の中では自由に動くことができ、ベッド、洗面所、トイレ🚽、テレビ、冷蔵庫があり、窓もあるので外の景色🌆を眺めることもできました。イメージとしては、バスルーム🛀の無いビジネスホテル🏨といったかんじでした🤗とは言え。つい先週まで、旅行🛳したり、山登り🗻したり、ジョギング🏃♂️していた私にとっては、とっても退
お久しぶりですだいぶ間が空いてしまった、、💦忙しいのとしんどいので投稿せずでした、、やれやれ先日、診察行ってきました採血とマルク(骨髄穿刺)やってきました、、久しぶりのマルクでガクガクブルブルしかも今回のマルクは研修医がやることに、、ガクガクブルブル担当医がついてるとはいえ怖えぇぇとはいえ、未来の血液内科医なんでね我慢しますよ👍将来お世話になるかもしれないし、自分じゃなくてもこれから白血病になる人たちを救ってもらわないといけないからね、、オレの体で存分に練習するがいい!と心
2020.6.16今日は月に一度の外来。気づけば退院してから3ヶ月が経過時が経つのは早い毎月、外来の前には気分が落ち込みますが今回は特段不安な気持ちにそれというのも突如、膝に現れた不明なアザ初発時にも見たことのあるやつまさか、やっちまったかぶつけた記憶はないちなみに初発の時のはこれ似てるというわけで昨日より気が気ではなく寝不足で迎えた本日問題ありませんでしたーいやぁ、本当に良かった毎月のこととはいえ、呼ばれるまでは生きた心地しなかったこれでまた来月の外来ま
ようやく最終日のトリセノックスも無事終わり、最後に確認マルクをされ(痛かった)明日の退院を待つばかりとなりました。拙い文章をお読み頂いた皆様、本当にありがとうございます。これからは、外来のみなので更新頻度はより低くなるかとは思いますがよろしくお願いしますで、最後にずっと気になってた症状。物忘れ・集中力が続かない・マルチタスクが出来ない・覚えられない。同僚と息子から大丈夫か?と心配されるほど、上記機能がおちました。はい、ポンコツです歳のせいか、入院が長かったからか…色々考え悩みまし
ご無沙汰しておりますおかげさまで毎日バタバタ過ごしておりブログが久しぶりになってしまいました今回は近況報告です11月14日外来で定期検査をしてきました!本退院から今月で半年。下界では時が経つのが早い血液検査の結果は白血球2300血小板130000他の数値は特に問題なし。うーん、、白血球と血小板はなかなか基準値に届きません基準値にいくまで私は時間がかかるタイプなのかな?主治医からFDPの値は問題なく、前回までのWT1の値も50以下なので大丈夫でしょうと言われました。