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彼女のために始められることは何一つ上手くいかない。ーこの女性は、1542年に生まれ、生後すぐにスコットランド女王、わずか5歳でフランスへ渡り、フランス王妃となり、18歳で再びスコットランド女王となった悲劇の王妃、メアリー・スチュアート。しかしメアリーは悲劇の女王として名を残します。美貌に恵まれ、これほどよい条件を持って生まれた女王がどうして哀れな末路を辿ることになってしまったのでしょうか?メアリー・スチュアートは、スコットランド国王の一人娘でエリザベス女
1530年に生まれたイワン4世。イワン4世は生涯になんと7回も結婚しました。多くの妃を持ったことで知られるイギリスのヘンリー8世の6回を上回る数しかもイワン4世は多くの妃を持っただけでなく、極めて残虐、冷酷で複雑、苛烈な性格のためロシア至上最大の暴君(ロシア皇帝、イワン4世1530〜1584)そんなイワン4世の妃となった7人の妻たちの人生はイワン4世のその残虐な性格に翻弄され、それぞれ波瀾万丈の人生を送る羽目になってしまった(父親、ヴァシーリー3世)1530年8月25日、イヴァン
(グイド・レーニ作と伝えられるベアトリーチェ・チェンチの肖像ローマバルベリーニ国立絵画館)1599年9月1日、ローマのサンダンジェロ(聖天使)橋広場には大勢の人々賀集まっていた。(サンタンジェロ城)22歳の名門貴族の娘、ベアトリーチェ・チェンチの処刑を見るためである。だが、どうみてもら少女にしか見えないそのあどけなさとは裏腹に罪状は『父親殺し』。では彼女はなぜ父親を殺してしまったのでしょうかベアトリーチェ・チェンチは名門貴族のフランチェスコ・チェンチとエルシリア・サンタクローチ
上野の森で開催中の千客万来の「怖い絵展」には、2種類のセイレーンの絵が出ている。ひとつは半人半魚のセイレーン、もうひとつは半人半鳥のセイレーンだ。まずこちらは人魚に近いセイレーン。ハーバード・ジェイムズ・ドレイパー『オデュッセウスとセイレーン』(1909年)。もうひとつは顔がニンゲンで、体は完全に鳥のセイレーン。すごい存在感。ギュスターヴ=アドルフ・モッサの『飽食のセイレーン』セイレーンを、人間の顔と鳥の体で表すものと、魚で表すものの2通りがある