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上野の森で開催中の千客万来の「怖い絵展」には、2種類のセイレーンの絵が出ている。ひとつは半人半魚のセイレーン、もうひとつは半人半鳥のセイレーンだ。まずこちらは人魚に近いセイレーン。ハーバード・ジェイムズ・ドレイパー『オデュッセウスとセイレーン』(1909年)。もうひとつは顔がニンゲンで、体は完全に鳥のセイレーン。すごい存在感。ギュスターヴ=アドルフ・モッサの『飽食のセイレーン』セイレーンを、人間の顔と鳥の体で表すものと、魚で表すものの2通りがある
1530年に生まれたイワン4世。イワン4世は生涯になんと7回も結婚しました。多くの妃を持ったことで知られるイギリスのヘンリー8世の6回を上回る数しかもイワン4世は多くの妃を持っただけでなく、極めて残虐、冷酷で複雑、苛烈な性格のためロシア至上最大の暴君(ロシア皇帝、イワン4世1530〜1584)そんなイワン4世の妃となった7人の妻たちの人生はイワン4世のその残虐な性格に翻弄され、それぞれ波瀾万丈の人生を送る羽目になってしまった(父親、ヴァシーリー3世)1530年8月25日、イヴァン
彼女のために始められることは何一つ上手くいかない。ーこの女性は、1542年に生まれ、生後すぐにスコットランド女王、わずか5歳でフランスへ渡り、フランス王妃となり、18歳で再びスコットランド女王となった悲劇の王妃、メアリー・スチュアート。しかしメアリーは悲劇の女王として名を残します。美貌に恵まれ、これほどよい条件を持って生まれた女王がどうして哀れな末路を辿ることになってしまったのでしょうか?メアリー・スチュアートは、スコットランド国王の一人娘でエリザベス女
フランスパリのオルセー美術館エドガー・ドガ「バレエのレッスン」これ、とっても印象に残ってるドガは同世代の画家の中でもひときわデッサン力が優れていたそう実際にバレエを観ているような臨場感を与える迫力これがドガが構図により生み出した力「今」を生きる人の息遣いがこめられドガはパリ・オペラ座の舞台裏に通い練習中のバレリーナをスケッチし膨大なデッサンをもとに最終的な「バレエのレッスン」の構成を作り上げましたドガが描いた「エトワール、または舞台の踊り子」は怖い絵とし
皆様、お元気ですか。医療や介護、皆の生活の為にお勤めの方々毎日ありがとうございます。そしてご訪問いただいた皆様、今や「生きてます」確認だけの更新と化したヘタレブログへお立ち寄りくださりありがとうございます。今少し時間的、体力的余裕が無い為古い記事を再投稿いたします。────────────────────────────────────────────2012年にUPしました「怖い絵」シリーズ第一弾『横櫛(よこくし)』甲斐庄楠音(かいのしょうただおと=1894~19
ーどんな犠牲を払っても王妃になど絶対なりたくない。シェイクスピア「ブーリン家の姉妹」や「ザ・チューダーズ」に出てくるエリザベス一世の母、アン・ブーリン。イギリス貴族の娘としてアンはおよそ1502年にに生まれ、思春期に当時の最も洗練された国、フランス宮廷へ留学しました。ブーリン家は、わずか4代前まで平民(地方農民)の家系であった。アン・ブーリンの父親は野心家であり、次々と伯爵家と縁組したり娘を国王に差し出すことで、爵位や領地を増やしていった