ブログ記事416件
倭恩智神社大和国城下郡奈良県天理市海知町32(鳥居とは反対側の北西方向にP有)■延喜式神名帳倭恩智神社の比定社■旧社格村社■祭神建凝命(タケコリノミコト)「大和川」東岸の田園地帯、天理市「海知町(かいちちょう)」内に鎮座する社。大和国にありがちな、式内社にもかかわらず寂れた古社となってしまっています。◎「海知(かいち)」の地名由来は不明、以下に一説を紹介しておきます。なお南北朝時代には「海智」の記録があるようです。◎ご祭神の建凝命は天津彦根神の14世孫。その後裔が倭奄知造
志布比神社(塩干神社)(しふひじんじゃ・しおほしじんじゃ)丹後国竹野郡京都府京丹後市丹後町大字大山字白岩922(社前に辛うじて1台足らずのスペース有)■延喜式神名帳志布比神社の論社■旧社格村社■祭神志夫美宿禰命(シブヒノスクネノミコト)丹後・丹波地方に伝わる鬼賊退治に関わる社。2つの鬼賊退治が混ざっています。一つはご祭神の志夫美宿禰命のもの。日子坐王の御子神で四道将軍の一人、丹波道主命の異母兄弟に当たります。古事記においては日子坐王と志夫美宿禰命他とが勅命により鬼賊である
伊香具坂神社(長浜市木之本町古橋)近江国伊香郡滋賀県長浜市木之本町古橋1102(與志漏神社のご本殿より100mほど奥)(與志漏神社境内併設の「己高閣」「世代閣」が2021年3月現在はコロナ禍のため閉鎖中、同時に当社駐車場も閉鎖、「己高山」登山用駐車場など利用可)■延喜式神名帳伊香具坂神社の論社■祭神(不詳)與志漏神社のご社殿より後方100mほどの地に鎮座する社。ご神域内に入るのでしょうか。創建由緒等はまったく伝わっていないようです。江戸時代は十所神社と称されていたとのこと。
菅田比賣神社(すがたひめじんじゃ)大和国添下郡奈良県大和郡山市筒井町字寺垣内1140(P有るものの進入出来ない時も有り、オークワ等のSCより南西200mほど)■延喜式神名帳菅田比賣神社二座鍬靫の比定社■旧社格村社■祭神伊豆能賣神「式内社菅田比賣神社」の比定社とされている社。別の「式内社菅田神社」と対になっていると考えられています。◎ところが「菅田」という地からはかなり離れており、比定に疑問を感じざるを得ません(2~3kmほど南)。旧社地とされるところはさらに離れ
朝椋神社(あさくらじんじゃ)紀伊国名草郡和歌山市鷺の森明神丁22(境内に駐車可、ただし宮司宅の車が停まっていると転回困難)■延喜式神名帳朝椋神社の比定社■旧社格村社■祭神大国主命和歌山市の綺麗に区画された市街地内に、やや窮屈に鎮座する社。◎地名に「鷺の森」とあり式内社でもあったことから、往古は広大な社地を誇る社であったかと想像されます。◎創建年代等は伝わっておらず不明。「紀伊国神明帳」には「地祗従四位上朝椋神」と記載されています。「紀伊国神明帳」は平安末期~鎌倉初期
都賀那岐神社(つがなきじんじゃ)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原山路335(「伊那佐山」山頂)(登拝には30~40分程度必要)(アクセスや駐車場は→こちらの記事参照)■延喜式神名帳都賀那木神社の比定社■祭神高龗神頬那芸神(ツラナギノカミ)標高637.2m「伊那佐山」山頂に鎮座する社。◎「伊那佐山」は美しい山容であり、巨岩奇岩を抱えまた磐座群も座すことから、太古からの霊峰であり、いわゆる「神奈備山」であったと思われます。◎「伊那佐山」を有名にしているのは神武東征神話に登場す
板列神社(板列稲荷神社)(いたなみじんじゃ)丹後国與謝郡京都府與謝郡与謝野町字岩滝580(一の鳥居内、東側に空きスペースがいくつも有り)■延喜式神名帳板列神社の論社■旧社格村社■祭神稻廼賣神「阿蘇海」の西側、「岩滝」集落内の山手に鎮座する社。◎式内社板列神社の比定を巡り、東隣「男山」の板列八幡神社と論争が繰り広げられたものの、決着が付いていないようです。「丹哥府志」には、岩滝村の附録の部分に「稲荷大明神」とあり、これが当社のこと。江戸時代までは稲荷社とされていたよう
みなさんは「〇〇神宮」と言うと、どこを思い浮かべますかね?伊勢神宮を筆頭に有名なところで言うと、・平安神宮(京都府京都市)・明治神宮(東京都渋谷区)・熱田神宮(愛知県名古屋市)・霧島神宮(鹿児島県霧島市)などがあるでしょうか。しかし、伊勢神宮を除くこれら全ての「神宮」は最初から「神宮」の社号が与えられていた訳ではありません。明治以降になって、「神社」から「神宮」に社号が改められました。社号がどう言う意味を持つかについては、過去に記事を書いているので、興味のあ
『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』。平安時代中期に編纂された三代格式のひとつ、「延喜式」の巻九と巻十。要するに全国の「神社一覧表」である。延喜式神名帳に記載される神社は2861社あり、そこに鎮座する神は3132座もある。この2861社もの神社は「式内社」と言い、当時から存在したが記載のない神社を「式外社」という。「式外社」となった理由は様々。○朝廷の勢力範囲外の神社○独自の勢力を持った神社○神仏習合により仏を祀る寺になった神社等々。。つまり、その選定には
奈具神社(京丹後市弥栄町)丹後国竹野郡京都府京丹後市弥栄町船木奈具273(P有)■延喜式神名帳奈具神社の論社(加佐郡)■旧社格村社■祭神豊宇賀能賣神「竹野川」中流域、1kmほど東へ向かった小丘陵頂に鎮座する社。鳥居は下った麓の田園との境に設けられています。◎「丹後国風土記」逸文等に「天女の羽衣」伝説が記されます(詳細は→「京丹後の二つの羽衣伝説」記事にて)。悲しい経歴をたどった羽衣天女(豊宇賀能賣神)が「なぐしく成りぬ(心が安らかになりました)」と、最後に当地に留ま
比売久波神社(ひめくわじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、延長五年(927年)の延喜式神名帳に記載のある神社で、御祭神は久波御魂神、天八千千姫命である。社名は蚕桑(ひめくわ)を意味し、「桑の葉」を御神体としたと伝えられており、隣接する糸井神社と共に、この地域が古代より、養蚕・絹織物の生産に関わる地域であったとされている。御祭神:久波御魂神(くばみたまのかみ)天八千千姫命(あまはちちひめのみこと)所在地:奈良県磯城郡川西町唐院473
糸井神社(いといじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、延長五年(927年)の延喜式神名帳にに記載されている式内社である。社伝によると御祭神は、「本殿豊鍬入姫命、同二ノ宮猿田彦命、同三ノ宮綾羽明神、同四ノ宮呉羽明神」と記されており、応神天皇の御代に、呉国から来た綾羽・呉羽(あやは・くれは)の織女が天皇の勅により大和で綾織を織ったとされ、その時に創建されたとも伝えられている。御祭神:豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)所在地:奈良県磯城郡川西町結崎68