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伊勢街道(参宮街道)歩きは宮川を越え、伊勢神宮外宮に一歩近づきました。中川原を進みます。古い町家に…「伊勢旅宿GOU」の暖簾が掛けられています。新しいお宿のようです。しばらく歩きますと道標がありました。「右宮川渉場六丁三十九間」「左二見浦二里十五丁」とあります。ここが二見道との分岐点です。外宮は近いといえば近いのですが、時間も押し迫っています。今回の二日間にわたる伊勢街道歩きはここまでとして、JR山田上口駅か近鉄宮町駅
一年前にも来ましたあきる野市深沢穴澤天神社です今年はお昼過ぎの訪問となったので太陽が翳りはじめ昨年ほどの秋色は今ひとつしかしながら小さな神社の飾らない晩秋の姿が其処にはありました訪れる人もほぼいない神社ですが(今年は女性が1名いらっしゃった)平安時代に朝廷が編纂した延喜式神名帳にも載る由緒ある神社なのです午後三時の晩秋のひかりもつとも美しー金子兜太ー
佐紀神社(亀畑)大和国添下郡奈良市佐紀町1716(P無し、いつも境内西側に停めていますが「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩10分足らず)■延喜式神名帳佐紀神社の論社■旧社格村社■祭神天児屋根命経津主命六御県命平城京の北側、かつての添下郡「佐紀郷」に鎮座する社。「御前池(おまえいけ)」を挟んで東西の「西畑村」と「二條村(亀畑)」に同名の2社が鎮座。いずれとも御祭神は同じ、またいずれとも式内論社とされています。◎創建は当社案内によると、白鳳三年(私年号、674年か)
塩田平龍光院から無言館入口バス停に戻って来ましたバスで塩田町駅へ〜そこから上田電鉄別所線で下之郷駅で下車します帰りの新幹線まで、2時間ほどあったので時間が有れば生島足島神社に寄り道する予定だったので、行程表通りのスケジュールとなりました下之郷駅から行くと北鳥居⛩️から入ります北鳥居側の社号標北鳥居は両部鳥居⛩️鳥居神額本殿を火災🔥から護った火除の御神木🌳境内案内図メインの鳥居から入り直します神門神池池の大きさが半端ないです😱本殿内殿の案内板神橋磐座磐境生島
佐紀神社(西畑)大和国添下郡奈良市佐紀町1716(P無し、いつも同名社の亀畑の境内西側に停めていますが、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩10分足らず)■延喜式神名帳佐紀神社の論社■旧社格村社■祭神天児屋根命経津主命六御県命平城京の北側、かつての添下郡「佐紀郷」に鎮座する社。「御前池(おまえいけ)」を挟んで東西の「西畑村」と「二條村(亀畑)」に同名の2社が鎮座。いずれとも御祭神は同じ、またいずれとも式内論社とされています。◎創建年代、由緒ともに不詳。伝承によると
神社名でかっこいいなってとこありますよね?◯◯坐△△神社とか好きです。〇〇津彦神社とかも。土地の名前か人の名前か入ってますと、『じんじゃ』ではなく『かみのやしろ』と読みたくなります。神は上や守、音読みだと神も人も同じてすし、神名と人名も読み方同じです。たから何って?そういう風に考えると面白い妄想が増えるたけですよ。こちらは六十六花御朱印に参加はされてませんが、放出まで来たなら久しぶりにお邪魔しましょう。神名(人名)の入った阿遅速雄神社です。延喜式神名帳記載の式内社に比定されてい
玉祖神社(八尾市神立)(たまのおやじんじゃ)河内国高安郡大阪府八尾市神立5-5-93(P有)■延喜式神名帳玉祖神社の比定社[合祀神]都夫久美神社の論社[合祀神]鴨神社の論社[合祀神]御祖神社の論社■旧社格郷社■祭神櫛明玉命生駒山麓の中核の一つを為す「高安山」の北西山麓の中腹辺りに鎮座する社。かつての「玉祖郷」。麓には「神立(こうだち)」集落が広がり、当社奥地は山頂まで樹叢のみが広がります。◎創建は社伝によると和銅三年(710年)のこと、周防国一ノ宮である玉
御野縣主神社河内国若江郡大阪府八尾市上之島町南1-70(P有)■延喜式神名帳御野県主神社二座鍬靫の比定社■旧社格村社■祭神角凝魂命(ツノコリムスビノミコト)天湯川田奈命八尾市「上之島町南」の住宅密集地内に鎮座する社。すぐ西方を「玉串川」(玉櫛川)が流れています。江戸時代以前には「大和川」は当社の背後を流れており、「玉串川」はその名残。◎かつては「三野郷」あるいは「美努郷」と称された地。当地を拠点とした三野県主(美努連)という氏族が奉斎した社とされます。「県主」とは
高橋神社(奈良市八条)大和国添上郡奈良市八条5-338(P無し、社前に車1台分ほどのスペース有)■延喜式神名帳高橋神社の比定社■祭神磐鹿六鴈命(イワカムツカリノミコト)栲幡千千姫命「佐保川」右岸の土手に鎮座する小さな社。平城京の五条大路と六条大路の間、東一坊大路と東二坊大路の間に位置しました(旧社地も同様)。◎磐鹿六鴈命という料理人の祖神を祀る数少ない社、他に上総国などで祀られています。創建年代は不詳。「内膳司」(天皇の食膳の調理を担当した役所)を務めた高橋氏が、当地にて
令和7年7月10日参拝葛井寺を出る頃はひと雨きそうな気配だったので早く京都駅まで移動しておきたかったけど、「西国で葛井寺へ行ったら近くの辛國神社も行っておいた方がいい」と友達から言われてたので、せめてお参りの間は天気もってくれよと願いつつ、葛井寺の南門から徒歩1〜2分で到着🙏🏻「辛國」で連想させるものがありますけど、お隣の葛井寺でも渡来系氏族の葛井氏と関わりが深いことを伝えていたっけ🤔延喜式神名帳に記載される河内国志紀郡の辛國神社の比定社です。御祭神は饒速日命・天児屋根命・素盞嗚命、
天高市神社(あめのたけちじんじゃ)大和国高市郡奈良県橿原市曽我町659(参道脇Pの奥2台分が当社P)■延喜式神名帳天高市神社大月次新嘗の比定社■旧社格村社■祭神事代主命[配祀]品陀別命息長帯姫比売神古代官道「横大路」の北側、新興住宅街に囲われ鎮座する社。旧高市郡「曽我村」。「曽我川」が当社西側すぐを流れています。◎創祀創建年代は不詳。「三代実録」に貞観元年(859年)に「大和天高市神」に対して従五位上の神階奉授が見えることから、それ以前に創建がなされたことが
令和7年7月9日参拝引き続き橿原市は香具山の麓。地図上では畝尾健土安神社のすぐ隣に見えたけど実際には徒歩10分ほどだったか、暑くて足が半歩ずつしか進まないのであまり参考にはならないと思いますが。まぁ、そのくらいすぐ近くの畝尾都多本神社です。どんな神なのでしょう。畝尾(うねお)とは天香久山の麓に広がるうねうねと続く丘陵先端部を表す地名のことでした。では都多本(つたもと)とは?語感的に地名のようですが、都(つ)は古語の助詞と考えて〝畝尾の袂に坐す神の社〟と解釈するのが自然ではないかと考
こんにちは。見習い占い師のウメコです。自分らしくあるために、次の上弦の月までどう過ごしたらいいか、日本の神々に聞いてみました。稲荷大明神が出てきました。稲荷大明神は、古事記や日本書紀には登場しない神様です。『延喜式(927年)』巻九、巻十に記された神社に対してその由緒等を吉田兼倶が記した『延喜式神名帳頭註(1503年)』を書き写した『群書類従(1793年)』神祇部巻二十三によると、山城国紀伊郡稲荷(現伏見稲荷大社)本社。倉稲魂神也。此神素戔烏女
令和7年7月9日参拝奈良たび4日目です🙌🏻せっかく夏の奈良にいるなら蓮が見たいじゃん。でもロータスロードは植木鉢だしなぁ。なんかないのかって調べたら藤原京跡に蓮の田んぼがあるらしい❣️最寄駅とされるJR桜井線(万葉まほろば線)香久山駅で下車しました。ストリートファイター×橿原市コラボ日陰が無くてとにかく暑いのなんのって(*´Д`)都会じゃ公共工事に文句言いたい人たちが街路樹を切るなとかなんとかゼイタク言ってんじゃないよ!!日陰がほしければビルの下で休みなさい!橿原じゃ見渡す
◆「祝詞新講」次田閏著(~20)病状は一進一退。仕事もずつと休んだまま。參拝にも行けず、痛みが少し収まる隙を狙って記事を書いております。今のところ会社も早く良くなつて!と言つて頂いてはいるものの…いつ見切りを付けられてもおかしくはないな…この先どうなるのやら…。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】「祝詞新講」次田閏著』「祝詞新講」次田閏著昭和二年発行。近代において最高の「祝詞」研究者である次田閏氏の著書。「延喜式」に掲載される「
荒田神社(岩出市森)紀伊国那賀郡和歌山県岩出市森237(P有)■延喜式神名帳荒田神社二座の比定社■旧社格村社■祭神高魂命劔根命天疎向津姫命神功皇后応神天皇菅原道真丹生都比売命大山咋命大山祇命天忍穂耳命市杵島姫命素盞嗚命香具都智命大社命白髭大明神岩出市中心街の北方、「紀ノ川」の支流である「根来川」沿いの岩出市森に鎮座する社。◎創建年代、由緒等は不詳。天正の兵火に罹り古文書等の一切を焼失しています。「神名帳」記載の式内比定社。二座が鎮座する
おはようございます突然ですけど、今、ふと、頭に浮かんだことがあります。霊能力があるからといって、幸せだとは限らない。逆に、霊能力があるから、良くないことが起きたりする。って内容なんですけど、、、だから、無理に霊能力を上げたいとか、神様の声を聴けるようになりたいとか、そんな望みを、必要以上に持たなくてもいいのかなってそれと、霊能力が高い人は、、、それぞれに、今世でやるべき使命があって、この時代に生まれてきている。それはそれで、大変だろうと思う今日この頃です
2025年5月7日日本国宝展大阪市立美術館GW終わったので空いているかなと思ってましたがチケット購入に列が出来ていました。前もってネットで購入していましたが、何故かスマホからのリンクが出来ず、シリアル番号を確認していただいて無事入場。延喜式神名帳1巻(平安時代大阪・金剛寺)も観る事が出来ました。金印は5月7日までの展示した。
牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)大和国高市郡奈良県橿原市見瀬町718(P無し、北側に境内に上る急坂がありいつもそこに停めています)■延喜式神名帳牟佐坐神社大月次新嘗の比定社■旧社格村社■祭神高皇産霊命孝元天皇「高取川」左岸の丘陵頂、橿原市見瀬町に鎮座する社。「見瀬」は「ムサ」の転訛であると本居宣長はみています。境内は第8代孝元天皇の「軽境原宮(かるのさかいはらのみや)」伝承地でも。◎当社の創祀については「五郡神社記」(文安三年・1446年)に、身狭村主青(ムサノス
[摂津国]生國魂神社■表記*生嶋神(イクシマノカミ)・生島神・生産日神(イクムスビノカミ)・生國魂神(イクタマノカミ)・生霊神(イクタマノカミ)*足嶋神(タルシマノカミ)・足島神・足産日神(タルムスビノカミ)・咲國魂神(訓み不明)■概要◎「延喜式神名帳」に記される、宮中の式内社三十六座に含まれる二座。「生島御巫祭神二座並名神大生島神足島神」(いくしまみかんなぎ)とあります。いずれも月次祭・新嘗祭の幣帛の供進社。現存はせず、宮中三殿のうちの「神殿」に継承されたと考えられています。
宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみすびじんじゃ)大和国添上郡奈良市法華寺町600(平城京跡「東院庭園の無料駐車場」から50mほど)■延喜式神名帳宇奈太理坐高御魂神社大月次相嘗新嘗の比定社■旧社格村社■祭神[中座]高御魂尊[東座]天太玉命[西座]思兼命平城京東院庭園の北隣に鎮座。高御魂尊を祀る社に相応しく木々に囲まれ、拝殿前にも左右2本ずつの木が並んで生えています。◎社名は現社名の他に、資料により「宇奈太理」「菟名足」「宇名足」等の字が宛てられて
冨都神社(ふつじんじゃ)*既に多くの「いいね」を頂いていますが、内容を大幅に追加修正を施したので、改定記事として再UPします。大和国城下郡奈良県磯城郡田原本町大字富本字門田194(P有るものの非解放、オークワパワーセンターの北側駐車場から徒歩2分)■延喜式神名帳富都神社鍬靫の比定社鏡作伊多神社の論社■旧社格村社■祭神登美屋彦命「飛鳥川」の東岸、田原本町大字「富本(とんもと)」いう古い小さな集落に鎮座する社。登記は「冨都神社」。◎創建年代、由緒ともに不詳。「式内社
◆「大神神社史」より~11【大神神社の鎭座1】今回より新たな章、「大神神社の鎭座」に進みます。「三輪山」の地理や自然等、言わば外堀からようやく本丸へ突入。…ですがまだ少々本丸の外側をうろうろしそうです。◎「過去記事一覧」を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆過去記事一覧【「大神神社史」より】』■過去記事一覧~1…【序】~2…神体山信仰の考古学的背景1~3…神体山信仰の考古学的背景2~4…神体山信
寺社巡りの原動力はさまざまでして、僕の場合は、御朱印、磐座、陰陽石などでしたけど、去年から行動欲求を一番奮い立たせるのが、祭になってるわけで。言い方乱暴になりますけど、祭と言っても御神輿や奉納花火のような一般受けのいい祭の一部分ではなく、奇祭はもちろん大アリですが、本来の神事であったり、法要であったりに興味があるわけです。そんなわけで2月14日は長谷寺のだだおしを見に行きました。諸事情によりだいぶ早く着いたので、寄り道していきました。まずはこちらへ。これはお地蔵さん初瀬川に架かる橋を
今回は隠岐の島の天健金草神社に行ってきました!読み方はこちら!天健金草神社(あまたけかなかやじんじゃ)難読ですね笑こちらの神社は、927年成立の延喜式神名帳に記載されている歴史のある神社です。天健金草命、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、抓津姫命(つまつひめのみこと)が祀られており、大屋や都万といったこのあたりの地名の由来にもなっています。また、後醍醐天皇がこの神社で脱出祈願を行った神社のようです!(無事脱出できたようです。知らなかった!)
延喜式内社論社医家神社徳島県三好市池田町の町名の元になったとも言われる事もある医家神社です。徳島県三好市池田町マチにあります。延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡倭大国玉神大国敷神社二座」に比定されています。(大日本史、阿波国式社略考、式社略考論など)延喜式式内社とは?:927年に編纂された延喜式神名帳には、朝廷より幣帛を受ける全国の神社2861社(3132座)が記されています。それらの神社は式内社と呼ばれ、927年の時点で確かにその場所に存在していた由
南宮大社の南門をくぐって南宮山中復にある南宮稲荷神社にいきました。参道を上がっていくと主に右側に多くの社等がまっられており、途中から南宮稲荷神社の朱塗りの百連鳥居を通って上がっていきます。上がり切ると前方に南宮稲荷神社で、境内最奥に鎮座する摂社になります。ここから下って南宮大社に戻って、今度は少し離れている大領神社にいきました。この神社は霊亀元年(715)に創建された古社で、壬申の乱で美濃国の村国氏、見毛君氏(むげつし)と共に功績があった不破郡大領の宮勝木実(みやのすぐりこのみ)がまっら
暖かい陽射しに誘われ,西八朔町の杉山神社と極楽寺へ初詣【社寺】杉山神社、願弘山蓮花院極楽寺(横浜市緑区西八朔町)【月日】2025年1月9日(木曜日)【天候】晴れ13℃【行程】JR十日市場駅14:12~杉山神社14:30/14:35~極楽寺14:38/14:53~十日市場駅15:13(3.6km、4400歩)西風は冷たかったが、陽射しは十分な午後だった。暖かそうな陽射しに誘われてJR十日市場駅近くの社寺、西八朔町の杉山神社と極楽寺へ出かけた。杉山神社は神奈川県下に多数ありその数
大変お世話になっている大鳥大社さま(和泉國一宮)に新年のご挨拶の為に伺いました。バレエ「御佩劍」のテーマ、日本武尊が御祭神で、927年に完成した延喜式神名帳所載の神社です。水無瀬宮司ご夫妻よりお出迎えを賜り、心より感謝申し上げます。巨大な干支絵馬が有名で、隠し絵が沢山あります。皆さんも探してみてくださいね。
東屋からほんの少し歩きまして、お次は彼方神社です。さらに先客がいたので、東屋におられた方も外で待っている状態でしたので、さらに待ちます。『おちかたじんじゃ』と読みます。先に来られていた二人組が何かパンフレットのようなものを持っていたので、見学コースのようなものがあるのかも知れません。源氏物語の登場するらしい椎本之古蹟と刻まれた石碑が建っていましたので、源氏物語の縁の地を訪ねるコースがあるのかも知れません。こちらも源氏物語宇治十帖に出てくる古蹟のようです。よく読んでませんけど。先の方