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●摩多羅神(またらじん)(※画像は文化遺産オンラインより)(島根県安来市の清水寺所蔵「木造摩多羅神坐像覚清作」)天台宗は常行三昧堂の守護神にして、「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん」の本尊。また、京都太秦は広隆寺に於ける牛祭の祭神でもある。元来はインドの神であるとされ、伝教大師(最澄)が入唐する際に伝えられ、また唐で修行していた円仁(慈覚大師:天台宗3代座主)が帰国する船上にて声を聞き、感得したことから比叡山に勧請された。頭に幞頭(ぼくとう)を被り、狩衣を着て鼓を持っ
数年前、平安時代後期の仏師定朝とその次世代の仏師長勢の作品を探しもとめていたことがありました具体的には、定朝の作品は平等院の阿弥陀如来と六波羅蜜寺の地蔵菩薩像(定朝確定作ではないが、鬘掛地蔵と呼ばれています)、長勢は広隆寺の日光月光と十二神将です今回、その復習(反省かな?)を兼ねて、六波羅蜜寺と広隆寺に行ってきましたで、六波羅蜜寺で疑問が湧いたので、そのことを書きますね↓まずこちらは過去記事、2014年に六波羅蜜寺に行った時の記事今回もまず鬘掛地蔵に対面してみました地蔵菩薩立像(伝
秦氏の氏寺、広隆寺金澤成保京都右京の太秦にある廣隆寺は、平安京遷都の以前からある京都最古の寺院で、蜂岡寺、秦公寺、太秦寺の名でも知られる。秦氏の氏寺であり、国宝彫刻第一号の弥勒菩薩半跏像を所蔵することで知られ、聖徳太子信仰の真言宗単立の寺院でもある。『日本大百科全書』の解説によれば、秦氏は、東漢氏(やまとのあやうじ)と並ぶ古代の渡来人中の雄族で、応神朝に秦の始皇帝の後裔の弓月君(ゆつきのきみ)が、120の県(こおり)の人民を従えて移住したと記されているが、新羅系の渡
『二人の月読の内緒話』日本の太陽神『天照大御神』が最高神とされたのは、明治時代のことであるらしい。『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』神々の国「高天原(た…ameblo.jp↑のつづき。日本の月神は、渡来人である『月読』に消されてしまった。『月読』は「月弓」とも書かれることがある。つまり、元々は『弓月国』の民であったはずだ。かつて、天王山脈の北側、現在のカザフスタンとウイグルの間に『弓月(クンユエ)』という国が存在したという。その付近には、なんと『ヤマトゥ』
昨日は、西宮神社の「万度祓」に参加した後(5回目)、京都の太秦方面へ先日、天王寺方面の神社を訪ねてから聖徳太子のことがすごく気になりだして、中山康直さんの「聖徳太子コード<上>」を読んだのですが、そこでパズルがまた埋まりだして、とにかく聖徳太子さんゆかりの場所へ行きたくなり、弥勒菩薩半跏思惟像に久しぶりに会いたいこともあり、今回は広隆寺を訪問しました。その足で、まだ参拝したことがなかった「蚕の社」と、その途中にある「大酒神社」に
3月25日、京都旅行二日目です。この日も朝から小雨が降ったりやんだり。でも前日に比べると雨は少なめ、曇りが優勢でした。ほとんど傘をささずに歩けてよかった!最初に金閣寺に向かいました。とっても久しぶりです。やっぱり外国人観光客がすごく多くて大混雑です。少しずつ池に近づいて…あ、見えそう、あ、見えた!久しぶりに見た金閣はとてもとても美しかったです!周囲の山には霧がかかり、どんより曇り空、そんな中で静かな輝きを見せる金閣。予想をはるかに超えた美しさに感動してしまいました
3月6日9時48分東京駅発のぞみ号座席は満席で、12時に京都へ到着しました。まず向かったのは昨年、前を素通りした広隆寺です。京都駅から烏丸線、東西線、嵐電で。前回に訪れたのは1992年。もうその時の記憶はほとんどありませんが、お宝が陳列されている霊宝殿には初めて入ります。弥勒菩薩は必見ですよ。再び嵐電で仁和寺に向かいます。ここも昨年、足が痛くて泣く泣く屈辱の素通り。今年は足が元気なうちに、満を持しての訪問です。世界遺産、敷地が広いです。いろいろ拝見するためには奥