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飛鳥時代を代表する三体の半跏思惟像奈良斑鳩中宮寺卍の本尊『如意輪観世音菩薩①』と京都太秦広隆寺卍の本尊『弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)②』、さらに同じく広隆寺の国宝『弥勒菩薩半跏思惟像(宝髻弥勒、通称泣き弥勒)③』過去に其々1回ずつお目にかかっているけれど、「この三体の仏さま、一度じっくり見比べてみたいものだなあ」とずっと思っていました。苦節十数年、その機会がやってきたんです(^^)まず、中宮寺卍を訪ねた日⬇︎如意輪観音菩薩さまにお会いしました(画像は中宮寺HPからお借りしました)東
『渡来人』第9回<飛鳥時代の渡来人>飛鳥時代は、蘇我氏が飛鳥の地で政治を主導的におこなった時期がその始めとみとめられるので、7世紀初頭がその始まりと考えられます。646年に実効性は疑われているが薄葬令が出され、このころから大型の前方後円墳がつくられなくなった。707年に文武天皇が火葬され、この八角墳を最後に古墳がつくられなくなる。また、飛鳥時代の成立区分が明確ではなく、ここでは蘇我政権が確立された7世紀初頭とします。すなわち、古墳時代は3世紀中頃~7世紀中頃で、飛鳥時代は7世紀初
太秦広隆寺、西門から入りました。この日は平日の閉門近くとあって停まっている車は数台でしたが、広大な駐車場があります。あまりにも広く人の気配が少ないので、私はポツンとそこに立って、どこか知らない大陸の国にいるような気がしました。あの赤い鉄の扉の向こうには違う世界があるのではないかと思いました。一人の高齢の男性が竹箒を使って広い広い駐車場の一角を掃いていました。木陰を探して広い駐車場の反対側を歩いていた私には、痩せて腰が曲がったその人が自分の背丈よりも長いその竹箒を使って何を掃